大蔵委員会金融及び証券に関する小委員会

1980-12-05 衆議院 全70発言

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会議録情報#0
昭和五十五年十二月五日(金曜日)
    午前九時一分開議
 出席小委員
   小委員長 山崎武三郎君
      大原 一三君    熊川 次男君
      笹山 登生君    平泉  渉君
      平沼 赳夫君    藤井 勝志君
      山本 幸雄君    佐藤 観樹君
      沢田  広君    柴田  弘君
      竹本 孫一君    簑輪 幸代君
      柿澤 弘治君
 小委員外の出席者
        大 蔵 委 員 渡部 一郎君
        大蔵政務次官  保岡 興治君
        大蔵大臣官房審
        議官      小山 昭蔵君
        大蔵大臣官房審
        議官      吉田 正輝君
        大蔵省銀行局調
        査課長     土田 正顕君
        参  考  人
        (東京証券取引
        所理事長)   谷村  裕君
        参  考  人
        (社団法人日本
        証券業協会会
        長)      北裏喜一郎君
        参  考  人
        (証券取引審議
        会会長代理)  大月  高君
        大蔵委員会調査
        室長      葉林 勇樹君
    —————————————
十二月五日
 小委員柿澤弘治君十一月十二日委員辞任につき、
 その補欠として柿澤弘治君が委員長の指名で小
 委員に選任された。
同日
 小委員熊川次男君十一月二十七日委員辞任につ
 き、その補欠として熊川次男君が委員長の指名
 で小委員に選任された。
同日
 小委員中村正三郎君及び川口大助君同日小委員
 辞任につき、その補欠として藤井勝志君及び沢
 田広君が委員長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員藤井勝志君及び沢田広君同日小委員辞任
 につき、その補欠として中村正三郎君及び川口
 大助君が委員長の指名で小委員に選任された。
    —————————————
本日の会議に付した案件
 金融及び証券に関する件
     ————◇—————
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山崎武三郎#1
○山崎小委員長 これより金融及び証券に関する小委員会を開会いたします。
 金融及び証券に関する件について調査を進めます。
 本日は、参考人として東京証券取引所理事長谷村裕君、日本証券業協会会長北裏喜一郎君、証券取引審議会会長代理大月高君、以上三名の方々の御出席をいただいております。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人各位におかれましては、御多用中のところ本小委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。
 銀行法等の改正をめぐる諸問題等につきまして、参考人各位それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。
 なお、御意見の開陳は、小委員からの質疑にお答え願う形式で行いたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
 それでは、参考人に対する質疑に入ります。佐藤観樹君。
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佐藤観樹#2
○佐藤(観)小委員 参考人の方々、きょうは朝早くからお越しをいただきまして大変ありがとうございます。
 御存じのように、銀行法の改正も窓販及びバンクディーリングという問題がどうも最大の問題として残っているような状態のようでございまして、その意味では、この問題は単なる銀行界と証券界のかきね争いというようなものではなくて、十年先、二十年先の金融構造にこたえて、一体日本の金融制度、とりわけ直接金融、間接金融というものをどうしていくべきか、五十年に一回と言われる銀行法の改正ですが、この次のときには五十年では済まない、もっと早いと思いますけれども、私たちとしてもそれにこたえて、後顧に憂えのないような、誤りのないような銀行法の改正にするために、きょうはそれぞれ長年の経験をお持ちの三参考人の方にお越しをいただいたわけでございます。私は主に実体面におけるバンクディーリングの問題制度面、法律面における問題についてお三人の権威ある方々にお伺いをしていきたいと思うのであります。
 証券界もこの窓販及びバンクディーリングにつきましては大変強く反対をなさっていらっしゃいます。過日、銀行界の代表の方にお越しをいただきましていろいろと御意見を承ったわけでございますけれども、証券界がどういう理由で窓販及びバンクディーリングに反対していらっしゃるのか、それは単なる証券界のエゴではなくて、国民経済的な立場から見るとどういうことになるのだろうか、まず、この点からお伺いをしたいと思うのであります。
 北裏さんはお御足がよろしゅうございませんので、私たち聞こえますから、よければどうぞ座ったままで結構でございます。
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北裏喜一郎#3
○北裏参考人 いま先生からお話がありましたように、途中で足のぐあいが悪くなりましたらあるいはちょっと失礼するかもしれませんので、あらかじめ御了承をお願い申し上げます。
 いま先生からお話がございました点につきまして、私どもの考えをちょっと説明さしていただきます。
 結論から先に言いますと、証券界といたしましては、今回の銀行法改正につきまして、銀行の窓販、バンクディーリングを織り込むということは絶対反対するという立場をとっております。
 その反対理由をあらかじめちょっと申し上げますと、第一には、今回の銀行法改正の趣旨から見まして、銀行の窓販、ディーリングを改正法に持ち込むことの必要性が認められない、こう思っております。それで今回の銀行法の改正の動機でございますけれども、スタートを見ますと、昭和四十八年当時の狂乱物価がございまして、特に銀行、金融機関などの批判がございました。そこで大企業に対する融資を改めるとか、中小企業に対してもっと融資せにゃいかぬとか、あるいは消費者金融をもっと拡充せにゃいかぬというようなところから始まっておるのでございます。
 本来、バンクディーリングは一つの柱であるかもしれません。しかし、主要問題ではなかったと思います。それは御承知のとおりでありまして、いまの銀行批判ということの中で、銀行の社会的な責任を最も重視した銀行業務のあり方をこの際はっきりする、そうして投資家、預金者保護ということに徹する、あるいは裏返して言うと、銀行の健全性をどうして確保するかということについて国の監督を強化するとか、あるいはディスクロージャーとか、融資規制とかいうようなものも規定するものだと了承しておりました。また了承しております。むしろ銀行窓販あるいはバンクディーリングを認めることによりまして、言い過ぎかもしれませんが、銀行の経済社会に対します支配が一層強化される結果になる、それをこの際銀行法に盛ることは御趣旨ではないのではないか、こう考えておるわけでございます。
 第二番目としましては、銀行の窓販とかバンクディーリングはわれわれの資本市場に非常に大きな悪影響を及ぼす、こう考えておるわけでありまして、わが国の金融制度では、実は昭和二年の銀行法制定当時、いまより約五十何年前ごろから銀行と証券との分離体制のもとに運営されていたのでございます。そういう歴史的な経緯がございます。この分離体制、あるいはまた私どもでは専業体制とも申しますが、これは直接金融と間接金融が相互に相携えて、あるいは相互に相競争して車の両輪のごとくする方が経済の円滑な運営ができるということにねらいがあったのではないかと思います。約半世紀以上の問題であります。銀行の方が一層力が強くなって経済社会に対しまして圧倒的な支配力を持つということになりますと、このような弊害が一層大きくなるのではないかということは、いまさら私が申し上げるまでもなく言えると思うのでありますが、分業体制によってそういう弊害に歯どめをかけるという意味を持っておると思うのでございます。現在の銀行、証券の分業体制は、いま申しましたように半世紀前からの一つの歴史的経緯でできたものであります。いまここで急に変えなければならぬという理由はないと私は思っておるわけです。
 第三の理由といたしましては、いま先生のお話にありましたように、銀行と証券のかきね争い的な議論がありますけれども、これは率直に言いますと、銀行が証券の本業に進出することを考えているのではないかという重要な問題を含んでおるように思います。今日、証券会社の業務といたしましては、株式と公社債が二つの柱でございまして、公社債業務のうち、その七割は国債でございます。恐らくこの安定成長経済と言われるものの中にありましては、証券会社の業務に占める公社債業務のウエートは非常に高くなると存じております。銀行が窓販、バンクディーリングということを行うことは、とりもなおさず銀行が証券会社の本業、しかもその主要な業務に進出する意図があるとわれわれは考えるわけであります。これはなかなか証券会社にとっては御承知のとおり死活の問題であろうかと存じております。
 第四番目には、銀行が窓版とかバンクディーリングを行うことはお客さんにとっては便利ではないかということをよく言われますが、これはきわめて表面的な理由でありまして、多くの弊害が生じて顧客の利益が損なわれるおそれがあるのではないか、その公算の方が多いのではないかというように私どもは感じております。もともと銀行は預金の受け入れあるいは貸し付けということが本業でございまして、仮に窓販、バンクディーリングを行うということに仮定いたしましても、恐らく銀行としては自行の利益を優先することは、これは企業としては当然であろうと私は推測するのです。というのは、もっと具体的に言いますと、預金のレートの方が低い、公社債のレートの方がやや高いという点でありまして、まず預金を吸収することが先決になるだろうというのは企業として当然であろうと思います。したがって、銀行の窓口販売が個人消化に非常に役立つというふうに考えるのは少し早計ではないかと思います。
 そのほかに、銀行と申しますのは、御承知のとおり、現在日本では国民各層、また企業を問わず個人を問わず非常に大きな影響力を持っておりまして、たとえばかつて批判されました歩積み両建てのごときもそれでありましょうし、公社債の場合でもそういう形式で企業などに押しつける、中小企業にも押しつけるということになりかねないおそれをわれわれは抱いておるわけであります。そういう意味では、顧客にとって便利であるというような観点からではなくて、非常に公正な取引が阻害されるであろうとわれわれは申しておるわけであります。
 もともと大量に国債を保有して、しかも常に売り方に回るというのが銀行でございます。今日、みずから申されるとおり、銀行並びにその他の金融機関が国債を保有している率が非常に多いのでありまして、その保有者である銀行は、どちらかというと常に売り方に回るというのが過去においては無論そうでございましたが、将来においても恐らくそうであろうと思うのでありまして、もともと証券会社というのは中立的な機能を持っておりまするいわばブローカー的な、われわれ証券会社が買うのは必ず第三者である購買者を求めていくわけでありまして、自分で持つということではないのであります。価格形成の場合も売り方と買い方の中に入るという仲介機関であるのがほとんどでありますが、売りを中心とする片一方にウエートを置いた銀行がそういう仲介機関になるということはあり得ないと考えておるわけです。
 それははなはだ疑問に感ずる第四点でございまして、私は冒頭に、また後ほど細かい先生方の御質問にお答えしたいと思いますが、銀行による窓販、バンクディーリングの問題は、これは一国の金融制度の根幹にかかわる重大な制度の変換であると思いまして、単にかきね論争的な物のとらえ方は、私は、われわれ自身のような単に企業者としてはそういう面もあるということを言われるかもしれませんが、一国の金融制度の根幹としてはこれは大きな変革になるわけでございます。これほどの重大な問題でございますので、現在のところ今後の八〇年代、九〇年代、二〇〇〇年代となった場合、いま先生の言われましたように、三十年の日本の経済環境あるいは金融界がどうなるかという観点からいまそれを議論されまして、それに伴ってわれわれの国民生活がどうなるかという長期的な観点から本格的な論議を尽くすべきであると信じておるわけであります。
 まずお答えいたします。
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佐藤観樹#4
○佐藤(観)小委員 いまお話しをいただいたのでございますけれども、まず単純に感ずることは、窓販を銀行がやれば一体個人消化というのは進むんだろうかという単純な疑問がまず出てくるわけですね。
 それで、確かに窓口が多くなるから、その意味では国民との接点が多くなるという点は私も否定しないのですけれども、過日のこの小委員会で松沢参考人がアメリカの金融資産との構成比を見ると、まだまだ有価証券の比率が日本ではふえるのではないだろうかということを言っていらっしゃいましたけれども、私もその傾向はあると思うのでありますが、やはり預金に来られる方と有価証券を資産として持たれる方というのは、私は単純にそこが一緒ではないんじゃないだろうかと思うので、単純に窓口をふやせば個人消化が進むだろうかというと、まず起こるのは恐らく預金のかわりに国債を買ってもらうというような事態が起こるだろうし、もう一つは、当大蔵委員会でも長年のこと歩積み両建てという問題をやってきたわけですね。いま北裏参考人のお話にもございましたように、恐らく売れない、政府は大変金利の悪いのをかなり押しつける傾向がございますから、そういう売れないものになると、今度は融資をしてやるかわりに、歩積み両建てではなくて、ひとつ国債を持ってくださいという、何というのですか、押し込み販売というんでしょうか、割り込み販売というんでしょうか、そういうことが恐らく今日までの歩積み両建て問題の延長線として起こるんではないだろうかと私には考えられるのでありますが、果たして銀行というのは、バンクディーリングの問題は別としても、窓販をやれば個人消化というのは進むというふうに考えていらっしゃいますでしょうか。その点、北裏さんはどういうふうにごらんになっていらっしゃいますか。
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北裏喜一郎#5
○北裏参考人 お答えいたします。
 ただいま先生の申されたように、実はこれはなかなか予想の立てにくいことでございます。また、現に銀行の窓販によってどのくらい個人消化が進むとか、販売が進むということは、私自身もなかなか予測を立てにくいし、また銀行でも具体的な数字を挙げておりません。ただ漠然と窓口の多い方がよかろうという意味であって、どのくらい消化するかということは、銀行側でも出しておりませんし、私どももなかなか予測難でございます。ですけれども、個人消化というのはそう一挙に進むものではございません。またそれが多ければ多いほどいいというように皆さんお考えかもしれませんが、やはりそうでもない、ある限界があるということは、その後の公社債市場、国債市場という価格形成の面で、極端に言えば九割方個人消化したらいいとか、一〇〇%個人消化がいいという御意見はないと思います。おのずから限度があるということを申し上げたい。
 個人の金融資産は、御承知のとおり年々蓄積されていきますが、この中で徐々にそこで初めて安定保有、安定した個人が自分の資産選好上持とうとするという意味で安定保有ということになると私は思うのであります。そうしたことを考えますと、これまたあるいは耳ざわりになるかもしれませんが、銀行の日ごろの行動を考え合わせますと、銀行が窓販を行うことは、あるいは先生のような懸念があるのではないかと私どもも思います。したがって、国全体としては個人消化というものがそれほど大きく進むと考えるのは、これは即断でございます。そういうことはあり得ないと私は考えております。個人消化でございますよ。銀行は本来預金を集めることが本業でございまして、そして貸し付けてその利ざやを取るというのが本業でございます。これはもう申すまでもございませんが、銀行が企業からいいますと非常に利益が少ない、手数料が少ない、そういう業務を、国債を一生懸命に販売するというようになると私には思えません。
 また同時に、銀行は、私どもにない、証券業にない、言いかえれば力を持っている、強みを持っているということはいろいろな面で言えると思います。いまの問題に関連して言いますと、資金の所在、法人のみならず、法人の金融、金繰り、資金需要というもののみならず、個人の家計のやりくりということも十分わかってきておるのじゃないか、がっちりその資金のソースがわかっているというのが今日の銀行の強みでございます。たとえば、法人のことは申すまでもございませんが、個人の家計といいますとよくわれわれ月給取りの給与振り込み口座というのがありますが、現在で二千二十七万口座がございます。個人が皆会社から銀行に振り込んでいます。二千二十七万口座でございます。これは六十年までには、銀行さんが申されておりますし皆さんも予想されますが、恐らく三千五百万口座、ほぼ世帯数に等しいだけのものが家計の給与振り込みという形で行われる。そういう意味で法人、個人を問わず銀行がその資金のソースを握っているということは残念ながら言わざるを得ないと思います。それだけの非常に強みを持っています。
 それから、きょう議論になっておりますマル優口座でございますが、現在金融機関全体では一億六千口座、約人口比に等しいだけの口座があるわけです。これは金融機関全体でございますけれども、特に銀行となりますと約七千六百万口座でございます。それに反しまして、われわれ証券界は、国債が大量発行されました五十年以来見ますと、現在で七百八十六万口座でございまして、約十分の一でございます。今日としては銀行はこの強みを生かしまして自分の預金を全部国債にすることは可能でありますけれども、そうしたのでは銀行が成り立ちませんから、預金をふやさずにどこへ出ていくかというと、恐らくまずはわれわれ証券会社が持っている、国債にはマル優とほかにマル特がございますが、そこへ出ていくのではないか。ということは、証券業者が営々と築いた中におけるそういうマル優、マル特の七百八十六万口座の中に十倍近い銀行の強みが入ってくるということを想定しておるわけでございます。その分だけは実は証券会社が扱っておりますけれども、そこに振りかえるだけでは個人消化がふえるということになるでしょうか。私どもはそのことを、預金を全部振りかえるというのはわかりますけれども、あるいは部分を振りかえるというのはわかりますけれども、むしろ預金はコストが安いからなるべく温存しておいて、国債をやるならば他業ないしは特に証券業のようやく七百数十万口座、その中に入ってくるのじゃないかという危惧を持っておるわけです。そういう意味では、全体としては個人消化がふえるという考え方は、全然ふえないというのは極論でございますけれども、そうたくさんふえないということはおわかりでございましょう。国全体ではそういう意味では大きくふえないと私は思っておるものでございます。
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佐藤観樹#6
○佐藤(観)小委員 これからの国債発行の状況を考えてみますと、六十年には御存じのように借りかえ債が建設国債のうちの六分の五、もう一回償還をして借りかえをしなければいかぬというのが発生をしてまいりますし、五十九年度までに赤字国債ゼロと言っても建設国債は残るわけでありますから、そういった意味で六十年からはさらに大量発行ということに事実上なっていくわけですね。なおかつ、確かに日本の国債の個人保有がアメリカ、ヨーロッパ並みになったとはいうものの、やはり基本的な安定保有として個人保有は進めていく方向で考えなければいかぬと思うのでありますが、この今後も発行されるであろう大量発行の状況の中でどうやってなお一層個人消化を進めていくか、これはいわば発行条件を実勢に合ったものにということに尽きるのではないかとも私は思いますけれども、その点については長いこと業界にいらして実務をやっていらっしゃる北裏さん、どういうふうに考えていらっしゃいますでしょうか。
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北裏喜一郎#7
○北裏参考人 いまの先生のお話でございますが、私は実務家でございますから、お答えいたしますのも主として実務面から実際には申していく以外にないと思いますが、実は昭和五十年から五十四年まで最も国債を大量発行せざるを得ない時期でございますけれども、それはすでに発表しているとおり平均で個人消化が証券会社の扱い二〇%になっています。これは統計上平均で出ております。もっと詳しく言いますと、都市銀行が三四%、その次が証券会社の二〇%、それからあと興長銀とか信託銀行、その他信用金庫とかございますけれども、二位がわれわれで二〇%売っているということを御銘記願いたい。
 いまの御質問のように、今後の借りかえという問題を現在議論しておりますけれども、実はことしは特によく売れまして、平均二〇%というのは去年までの数字で五カ年の平均でございます。ことしは実は現在で約四〇%弱、三九%売っているわけでありまして、これはむろん証券界がトップであります。ことしのはまだ残っておりますから、これは御参考までに申し上げるわけでありますけれども、いま先生おっしゃられましたとおり、やはりわれわれはブローカーでありますから、国の非常に低利なあるいは御用金的なものではむずかしい、市場実勢に沿うという先生のお話、これが一番基本でございますが、この発行条件が市場実勢に沿うならば恐らく現在の個人消化——主として個人消化というのはほとんど大部分は実は統計上は個人等となっておりまして、二七・何%となっております。たしか二七・八%ぐらいだと思います。ですけれども、その中でまた分けますと、このマル優、マル特と言いましたものは二二・五%でございます。あとは全部乗りかえるかどうかわかりませんが、これはマル優、マル特は零細な五十万、百万、二百万という人が多いのでございまして、しかもこれは法律上御承知のとおりみんな証券会社に置いておかなければいけない、持って帰れない、名前も初めから出しておるということでございますので、これは一〇〇%というのは少し言い過ぎかもしれませんが、借りかえは可能でございます。
 従来の社債、国債を含めまして借りかえ、乗りかえということについてわれわれは努力を証券会社の仕事として進めてまいりました経験から言いますと、ほぼ一〇〇%と言いたいが、それに近い数字がマル優、マル特のものの二二・五%は全く借りかえられる、その他の分につきましても証券会社の従来の乗りかえ経験から言いますと相当乗りかえられると思っております。そういう意味では、いまの先生の御質問の借りかえについては、事証券会社に関する限りはそれほど心配しておりません。しかも、これが借りかえが終わった後の国債の大量発行ということもお触れになりましたが、恐らく借りかえそのものによるものは新しい資金が要るわけじゃございませんけれども、国債その他を含めまして恐らくもう少しどんどんふえてくるかもわかりません。
 しかし、一面、また日本では個人金融資産が御承知のとおりどんどんふえておりますが、いまの日本の貯蓄率は御承知のとおりでありますけれども、仮に半分になる、一割にしかならぬ、一〇%ぐらいに想定しましても恐らく三十兆ないしは四十兆ぐらい金融資産が年々ふえてくる。いまの貯蓄率の半分と仮定いたしましても、三十兆ないしは四十兆ふえるだろうと想定しておりまして、国債の増発、大量発行というものが借りかえプラスありましても、これはきわめて簡単にいけるのじゃないか、こう思っております。
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佐藤観樹#8
○佐藤(観)小委員 ディーリングに関する問題なんですけれども、銀行界が窓販及びバンクディーリングをやりたいと言っている主張の中には、いまの流通市場が北裏さん御出身のところの野村証券も含めまして大手四社、そしてその下の中堅八社、ここにほとんど流通市場が寡占状況になっている。したがって、価格形成自体が必ずしも公正ではないのじゃないか。したがって、新規参入者が入ることによって一番重要な価格形成の公正さというものを保ちたいのだというのが銀行界の主張のように思えるのであります。
 ただ、北裏参考人も言われましたように、またわが党の堀委員も前の小委員会でも言われましたように、ディーラーたるものが最大の持ち手であるというのが果たして価格形成に入っていった場合どうなるかということも、私はわかるのでございますけれども、いずれにしろ、大手証券会社が事実上流通市場を寡占をしている、これが公正な価格形成になってないんだという銀行界からの批判に対しては、北裏さんはどういうふうに考えていらっしゃいますか。
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北裏喜一郎#9
○北裏参考人 現に寡占の問題は今度の論議の中にもよく銀行ないしは世間で言われることであります。四社の売買シェアが高いことは事実であります。ですが、よく考えてみますと、国債が大量発行され、個人に持たすというのは、五十年からわずか歴史が四、五年でございます。これを考えなければいかぬと思うのです。寡占の弊害はよけいあるということもありましょう、しかし、われわれは、基本的には価格形成が寡占によってゆがめられるのじゃないか、談合によって価格形成がゆがめられるのじゃないかというように理解しますと、実はそうでなくて、仮に四社あるいは総合証券でありましてもなかなか激しいのでありまして、公募債の商いというのは五銭ないし十銭くらいの差で、それは一銭高くとも一銭安くともおのおのが競争しておるわけです。価格形成の面では四社寡占ということは当たらぬ。
 売買量の結果としての水準は、確かに量は四社が多いということは事実でございます。しかし、恐らく四、五年の歴史を見ますと、いまのように手数料が非常に薄いということから見ますと、一般の業界では必ずしもやってないという意見があると思いますけれども、これは今日ではほとんど全部やっておりますけれども、時をかせば、年月をかせば恐らく全業者の大きな柱になるということは信じて疑わない。これは過去にもそういう歴史がございました。国債でなくて社債とかあるいは割引債という金融債をやる場合にも、そういう傾向から始まっております。これについてはすべての業者がやっているのは事実でありますが、国債につきましても年月をかせばすべてやるということは当然であろうと思いますが、今日はまだ四、五年しかたってないので、まずはそういうところから始まっている。そういう意味では、量は確かに事実でありますけれども、価格形成には寡占はございません。
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佐藤観樹#10
○佐藤(観)小委員 北裏参考人、どうぞお座りください。
 私、この後、制度面、それから法律面の問題について谷村参考人、大月参考人にちょっとお伺いをしておきたいと思うのであります。
 と申しますのは、この問題が発生をしましてから私もいろいろ調べてみたのでございますが、証取法六十五条の第二項があって、国債についても、しかもディーリングまで銀行ができるんだという一つの根拠には、昭和二十三年の証取法六十五条第二項で穴があいているではないかというのがどうも法律的な基本的な根拠になっているようなんであります。ところが、いろいろ調べてみると、どうもそうはいかないのではないかという気がするので、そんな単純ではないんじゃないだろうか。銀行法第五条でいう付随業務とあわせてこれがバンクディーリングまでできるという御主張のようであります。
 ところが、昭和二十三年にできた証取法の母法と言われるものがアメリカの一九三三年のグラス・スティーガル法、国法銀行法と言われるものでありますが、確かにこれによってアメリカではバンクディーリングをやっているわけですね。ところが、この前昭和五十二年に、当時GHQでこの問題を担当したトーマス・フランシス・モートン・アダムスという方が日本に見えて専修大学教授の志村先生と対談をやっておりますけれども、何分アダムス氏もお年でありますから、そう二十三年のごたごたした時期のことを細かく覚えておられませんですが、私がちょっとここで新しい発見をしたのは、この六十五条の第二項を入れたのは実はGHQではなくて、むしろ大蔵省の方から言ってきたんだということを言われているわけなんですね。これは志村先生が二度確認をして、そうだということをアダムス氏も言っている。もちろん大蔵省がそうするとグラス・スティーガル法の方を援用したのかもしれませんけれども、いずれにしろ、GHQの指令でアメリカ法をそのまま持ってきたという説は必ずしも正確ではないのじゃないだろうかということなんですね。
 それからもう一つあわせて言えば、これは昭和二十二年にあった証取法が二十三年に、わずか一年で改正をされているわけですね。そのときの改正の大きな項目というのが、免許制の問題と銀行、証券の分離ということが二十三年法で出てくるわけで、その意味では二十二年と二十三年、わずか一年の間に新しく入った銀行、証券の分離というこの思想が一つ大きな要素となってくると思うのですね。昭和二十三年にこの証取法六十五条の第二項ができた背景の中で、私はこの点非常に重要な点だと思うのです。
 これから当時直接御関係のあった谷村参考人、大月参考人にお伺いするのでありますが、あわせて二十七年に長銀法ができて、この中ではっきりと第六条で国債の取得ということが法律上書かれるわけでありますし、もう一つ昭和二十七年に国民貯蓄債券法というのが、これは一年しか実際には運用されなかったようでありますけれどもできて、これは取り扱い機関が郵便局と相銀、信金、証券会社、農協。郵便局は売りさばきと償還、買い上げ、割り増し金の支払いまでできるが、相銀以下は売りさばきのみという法律だったようであります。何でここで市中銀行は入ってこないかというと、市中銀行はこれに反対をされたということのようでありまして、いずれにしろ二十三年に証取法六十五条第二項が入り、その前の二十二年で改正された銀行、証券の分離の思想がさらに鮮明になり、二十七年には国債の売買という文字を書く、つまり長銀法ではっきり明記する、それから国民貯蓄債券法でもやはり売買、売りさばきだけでも法律にはっきり書かなければいけないんだということがここで出てきていると私は思うのですね。
 そういった意味で、六十五条の二項でディーリングまでできるんだというのは少し拡大解釈じゃないだろうか。特に私がそのことにいわば確信的なものを持ったのは、この六十五条の二項というのは、先輩に釈迦に説法でございますけれども、単なる都銀だけではないのですね。長銀はもちろん信託会社、相銀、信金、農協、保険会社、それから労金まで、この六十五条の二項でいうところの政令で定める金融機関に入っているわけで、じゃそこまで、労金や農協までディーリングがやれるということをわざわざ書くということは、これは本当にそのつもりで書いたとしたらちょっとあり得ないのではないかと思うのですね。
 そういうことを考えていきますと、ここでいう六十五条の二項というのは、私はいわゆる商品有価証券の売買をいうのでなくて、いま行われておりますような投資有価証券の売買のみを扱っても構いませんという観念でこの六十五条の二項というのは書かれていると見ざるを得ないんじゃないかというふうに私いろいろ考えてみたのでありますが、その点は御両人いかがでございましょうか。
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大月高#11
○大月参考人 ただいま証券取引法第六十五条二項の解釈についていろいろ御質問ございました。
 一つは、このできたいきさつがどうかということでございます。
 これは、私も証券取引審議会の委員としまして、証取審の場でもこの問題、そう具体的にどうこうということじゃございませんけれども、証取法及び証取法の二十二年、二十三年法、それからそれに引き続いて四十三年法がございます。そういうようなことに絡みまして、銀行法との関係をどういうように解釈したらいいのかということについて当局において十分話を詰めてほしいということをいろいろ議論いたしまして、それは答申にも明確にしてあるわけでございます。それは解釈がいろいろあるというほかに、いきさつも明確でないという点があるのが原因でございます。
 私もその点、歴史的にいろいろ調べてみました。大蔵省が出しております「昭和財政史」にもいまの関係の記述がございますし、それから志村先生、アダムス氏の会談の記録も私読んでみましたし、自分でも当時銀行局におりましたので、そういう関係でいろいろ調べてみたわけでございますが、二十二年法と二十三年法の違いのポイントは、おうしゃるように六十五条にあると思います。
 二十二年法を制定いたしましたときには、司令部の担当官がブレントリンガーという人でございまして、この方は必ずしも証券業務には精通してなかったようであります。それが二十二年法ができまして未試行の段階で担当者がアダムス氏にかわった。アダムス氏は、ある程度証券のことにも精通しておられた。そういうことで、アメリカのグラス・スティーガル法というさっきお話がございました、銀行で証券業務を禁止しておるあの条文はどうしても必要なんだということで導入されたというように私は承知しております。それが日本側の働きかけがあったのか、あるいはどの程度そういう意見の調整があったのかということはつまびらかにいたしませんし、残念ながらアダムス氏の示したという原本がいまどこにも見つからない。これはちょっと妙なことだと思うのでございますけれども、見つからなくて、それを翻訳したと称せられるメモというものが他に残っているだけであります。それから法制局の当時の担当者も、当時はやはり司令部一辺倒ということでございましたから、どの程度実質的な審議をやられたかということもつまびらかにいたしません。それから当然関係のある当時の証券取引委員会と銀行局との間でどのくらい折衝があったのかということもつまびらかにいたしませんし、多分そういう意味の突き詰めた議論は余りなかったのではなかろうか、これは私の推測でございます。
 そういう意味でできた条文でございますが、あの精神を読んでみますと、六十五条はいま二項問題が非常にやかましく言われておりますが、実は一項問題だと私は考えております。ということは、先ほど先生のお話しになりましたように、あそこでも銀行、信託会社その他政令で定める金融機関は証券業務をやってはいけない、こう書いてあるわけでございます。やってはいけないというからには、あらゆる金融機関をあの政令で指定しなければ、指定から外れた金融機関はやってもいいということになるわけでございますから、政府当局としてはあらゆる金融機関を網羅する意味で、あそこに全部指定してある。そういう意味で、二項はその禁止を解除するだけでございますから、それなるがゆえに全部をそれじゃやってもいいというところにはすぐにはいかない。それじゃその第二項、禁止の解除でございますから、それは国債、地方債その他政府保証債というような公共債だけについては禁止の解除がしてある。では次に、その禁止の解除があれば、すぐやれるか、そういうことになると思うのでございます。
 ところが私が考えますのに、アダムス氏のつくりました現在の証券取引法は、要するに銀行法に規定すべき事項と証券取引法に規定すべき事項とが観念的に混淆しておるのじゃあるまいか。というのは、第二条に証券業とはという規定がありますが、そこに書いてございますのは、金融機関以外の者が左に掲げる行為をなす営業というように、金融機関を外してあるわけでございます。そうしますと、いま言われておる金融機関が証券の仕事をすることは証券業務であるのかどうかという基本的な問題がございまして、これはフリーの分野というように野放しにしてある。金融機関については野放しにしてあるというか、逆に申せば免許の制度もない、免許することもできない、こういうことになっておるのだと思います。証券業をやろうとする人は免許を受けろというふうになっておりますから、それが外れておるということは免許もできないということになるんじゃないか。そういう意味で、そこらのところの調整がどういうような気持ちで立法されておるのかということは明確でない。
 次に、銀行法の問題が絡んでくると思いますが、銀行法は先ほどお話がございましたように、じゃ、できるとすれば一体どこで読むのかという問題になります。銀行当局及び金融界では、これは付随業務として読めるということに主張しておられますが、この点については谷村参考人が非常に歴史的に詳しく御研究になっておられますので、お答えはむしろそちらの方からがいいかと思います。
 結論的に申しますと、私は付随業務と読むのは無理だと考えております。というのは、銀行法そのものの精神が極端な専業主義をとっておりまして、はっきりこういうことはやってもいいということ以外のものはやらないという精神でございますが、証券業自体が一つの大きな分野をなしておるそのものを単に付随業務として読むということになりますと、ほかにもいろいろ読まなければいかぬ問題がある。むしろどんどん拡張解釈が行われる可能性があると思うわけでありまして、銀行法に書いております付随業務というのは、本当に付随しておるもの以外ではないというふうに私は考えます。
 いろいろいきさつはございますし、また議論のあるところだと思いますけれども。そちらでいろいろな他業的なものを禁止しておるという精神と、先ほどの証券取引法の解釈と両方読み合わせますと、現状においてすぐできるかということは疑問だ。ただ、いま皆さんの御検討の対象になっております事項は立法問題でございますので、それはいまのような精神は精神でございますから、その精神を踏まえて疑問のないきれいな体系を皆さん御相談になっておつくりになるというのが最善であろうと考えております。
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佐藤観樹#12
○佐藤(観)小委員 あわせて、銀行法第五条の問題について、いま大月参考人からお話がございましたが、ちょっと谷村参考人にお伺いしておきたいのでございますけれども、どうもあの当時の、昭和二年に銀行法ができた帝国議会の審議の中身を読んでみますと、簡単に言えば、あそこで言っている国債の売買というのは、いわばいま流に誓えば投資有価証券の売買という意味であって、それ以上の商品有価証券の売買まで言っているんじゃないんだというふうに帝国議会の議事録というのは読めるんじゃないんだろうか。その基本にふるのは、基本と申しますか、状況のもとにあるのは、実は銀行、証券分離というのは二十三年の証取法六十五条から発するんじゃなくて、歴史は銀行法の昭和二年よりももっと古くその精神というのはあったわけですね。
 もう釈迦に説法ですが、日興証券が日本興業銀行から分かれたのは大正九年ですし、野村証券が大阪野村銀行から分かれたのが大正十四年、いまの山一証券、前の小池証券でありますが、これが小池銀行から分かれたのが昭和五年、大和証券が昭和七年に藤本ビルブローカー銀行から分かれているわけですね。ですから、すでに昭和二年にできた銀行法の改正のときから、状況としては金融恐慌もございましたので、銀行、証券分離という思想は精神的に脈々とやはり流れていた。
 銀行法第五条付随業務を読むときに、あるいは銀行局長の通牒第二千四百五十四号という中に書かれている有価証券の売買というものを読むときには、これはあくまで商品有価証券ではなくて投資有価証券だと読むべきではないだろうか、周りの状況からいってもやはりそう判断すべきではないんだろうかというふうに思うのでございますが、その点はいかがでございましょうか。
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谷村裕#13
○谷村参考人 ただいまの御質問と、それから先ほど大月参考人が答えられました御質問についての私としての若干の補足と、二点について申し上げたいと思います。
 まず、ただいまの御質問でありますが、昭和二年当時は銀行というのが一番大きな存在でありまして、証券業と称するようなものとか、あるいは公社債売買業と称するような業者というものはそれこそほとんどなかったと言ってよろしいかと思います。
 そういう時点におきまして、なおかつ当時昭和二年、銀行法制定に当たりましていろいろ準備をいたしておりました段階では、初め公社債売買業務を兼営できるというような案もあったようでありますけれども、それを案から落として、公社債売買業というのは銀行としては他業として兼営できない、こういうことを立案の過程にも明らかにいたしておりますし、またいま御指摘のように、銀行法による銀行が売買をするという問題について考える限り、きわめて少数の例外を除いてはというふうなことを言って、お客から頼まれて取り次ぐこともあろうがなどとは言っておりますが、いわゆる資金の運用としての売買ということがあります。こういうことを申しておるのが私が調べた限り、当時の帝国議会の議事録に出ていることでありまして、そうして御指摘の銀行局長通牒の付随業務としてなし得るということの中に、保護預かり、代金の取り立て等々と並んで有価証券の売買というのが入っておりますけれども、これはいまお触れになったように、よく読んでみますと、やはり帝国議会での問答を受けて、運用としての証券の売買である。そうでなければ、たとえば株式なども有価証券でございますから入ってまいりますが、銀行は当然株式の売買も運用としてならできるわけでございます。それを指して言っているようだと思います。
 そこで、実は現在では解釈が変わっておりまして、運用としての投資有価証券の売買というのは付随業務ではなくて、コールをとったりコールに出したりするのと同じような資金運用としての一つの、そのときそのときにおける銀行の事実行為であるという解釈にいま銀行法上はなっておりますけれども、当時の銀行局の国会  当時は帝国議会でありますが、答弁では、そういう事実行為としての、運用としての売買も付随業務であると考えておったような節があってああいう通牒になったのではないか。これは私がそう考えている点でございます。
 いずれにいたしましても、佐藤委員は問題をいわゆる引き受けとか募集の取り扱いとかいう問題と、ディーリング、売買、特に不特定多数の人を相手にしてちょうど証券会社がやっていると同じような意味での売買をやることと二つに分けて御質問になっておられますから、まず売買の方だけについて言えば、銀行法の解釈として、商品有価証券として証券業者がやるような売買ということは、銀行のみならず他の金融機関法のどこにも現在規定されておりませんし、また精神からいってもそれは考えていないことだと私は思っております。
 しかし、第一の先ほど大月参考人が答えました問題について若干私として補足いたしますと、確かに一般的に六十五条一項によって禁止の網をかぶせ、そして六十五条二項によってその禁止を公共債等について解いているわけでございますが、解くからには多少何がしかのことがそういった金融機関についてできるのかもしれないという気持ち、考え方があったと言われても無理もないと思います。それだからこそ当時の日本側は、やはりそれだけはいいことにしておいてもらわないと困るということも言ったと思いますし、またアメリカでもそういうふうになっているの、だからということを言ったかもしれません。
 私が調べましたところによれば、二十七年に貯蓄債券を売り出しましたときに、その売り出しは特別に、そのときの法律によりまして相互銀行等については他の法令にかかわらず売りさばき業務をなすことができるというふうに規定いたしたわけでありますから、相互銀行等については本来はできないが、他の法令にかかわらずこれはできる、こう売りさばきのあれを設けたと思います。
 銀行は、そのときには余り賛成しないという立場でありましたから実行はいたしませんでしたが、それでは銀行はどうだったかといいますと、法律上は銀行法には規定がございませんが、銀行は昭和十八年の兼営法によって兼営しております。貯蓄銀行法に国債の募集の取り扱いということが業務として認められております。その貯蓄銀行法上の業務を銀行は当時兼営いたすことができておりましたから、たとえば六十五条二項で例外だと言われておりますのも、制度的に見ますと、国債の募集の取り扱いという今日は証券業務になっておりますものは、当時といえども銀行に許されていた法律上のものであったということも言えるのでありまして、全く例外がないというわけではない。
 それからまた、募集の取り扱いだけでなくて、問題が引き受けということになりますと、私は佐藤委員のおっしゃったとおり売買というものについては問題があると思いますけれども、引き受けということになりますと、どうも当時まだ非常に漠然としておりました。それで銀行法をつくりましたときにも、法律上の定義がそこではっきりいたしませんが、引き受けというようなことが、特に社債については銀行等についてはあったわけでございますし、それは根拠は銀行法にはないにしても、あるいは商法じゃなかろうかと言われたり、当時ありました担保附社債信託法に基づいてそれを兼営するという形において銀行ができるといったような意味でのことがありましたから、社債についてできるのなら、あるいは公共債のうちでも政府関係機関についてもできる、地方債についてもできる、国債についてもできるというふうな考え方がなかったわけでもないと思います。そういうような意味で、引き受けとか売りさばきとかいう点については、六十五条二項をつくったときに、あるいはという解釈があったかもしれないと思いますが、御指摘のように売買ということについて言いますと、どうもそれほどできるというはっきりした観念はむしろなかった、またあったらおかしいんじゃないかというふうに私は思っておるわけでございます。
 その他いろいろグラス・スティーガル法との関係とか御指摘がございましたが、長くなりますから、この辺でひとつ私としての答弁を申し上げます。
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佐藤観樹#14
○佐藤(観)小委員 ありがとうございます。
 私のお伺いしているのは、むしろ当時の銀行局のOBとして、お二人ともそうでございますし、あるいは金融制度あるいは証取審の委員として学識経験者という形でお伺いをしているわけでございますけれども、いま谷村参考人お答えがございましたのの具体的な一つのあらわれというのが長期信用銀行法だと思うのですね。ここの第六条で言う業務の中に書かれている国債の引き受け、これはあくまで一つは引き受けというのを明文化しているということですね。したがって、本業としてこれは明文化しているわけでございますので、これをもって実は銀行もできるんだということには逆にならないだろう。二十三年、二十七年というわずか四年間の間、そのころの流れている精神というのはやはり明文化しなければそれ以上のことはできないんだという思想が流れていたんじゃないかと思うのです。この長銀法を読むと、引き受けまでは長銀についてはいいですよ、しかし売買、ディーリングまではこれでは読み切らぬというふうに私は思うのですが、いかがでございましょうか。
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大月高#15
○大月参考人 ただいまの長期信用銀行法は、私、立案者でございますので、あるいはいまの御質問に比較的正確にお答えできるんじゃないかと思います。
 実はその条文につきましては国会修正まではまいりませんでしたけれども、大蔵委員会の御意向がありまして、私どものつくりました原案が修正されたといういきさつがございます。私どもが立案いたしましたときには、実は現在の長期信用銀行法の仕事をもう少し広い、どちらかといいますと性格的にももう少し違った投資銀行的なものにしようという感覚があったわけでございまして、そういう意味におきましてただいま証券業務として言われております社債の引き受け及び募集その他もやれるように、つまり金融界における長期金融と証券界における長期金融の事業的直接金融、そういう問題の接点に立って両方の調整役をやらした方がいいんじゃなかろうかという感覚で立案したわけでございますが、党の方でも御了承を得まして、正式の法案として出すところへまいりましたら、やはり証券界の方の反対が非常に強うございまして、それまで長期信用銀行にやらすのは行き過ぎだということがございまして、事業債その他の面はそれをカットした、しかし公共債の方は六十五条の、解釈は別といたしまして精神もございますので残した、こういういきさつでございます。
 したがいまして、長期信用銀行法で仮にできるからといって銀行法で認めるという精神ではないわけでございます。長期信用銀行という特別の性格を持った銀行に積極的にやらしたい、こういう感覚から出た発想でございますから、長期信用銀行法即銀行法というふうに解釈するわけにいかないだろう、あれは特別法とわれわれは考えておるわけでございます。
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谷村裕#16
○谷村参考人 大月参考人は立法に参画しておられますから当然そのように考えておられますし、私も大月参考人のすぐ次の後任者として仕事をした関係もございますし、さように考えておりますが、ここで補足させていただきますならば、銀行法による銀行の本業というのは、為替取引を行うことというのを別にいたしますと、預金の受け入れと貸し付けまたは手形割引をあわせ行うことということでございます。そういう性格の銀行法による銀行というもの、したがって世間では、ときには社債を新発債を引き受けることもあるいは国債を買うことも、たとえ市中で買おうと新発で引き受けようと、金を貸すという相対の話であろうが投資有価証券として買うのであろうが、とにかく金を貸すとか与信行為というのと同じじゃないか、こういうような意見もあるようで、金融制度調査会の答申などを読んでみますと、資金の融通というようなことでそれをひっくくっているようなところもございますけれども、私は本質的に銀行のそういった証券類に対する運用は本業としての貸し付けまたは手形割引と違うというふうに考えておりまして、それが銀行としては非常に大事なポイントではなかろうかというふうに思っております。
 なぜそんなことを申すかといいますと、長期信用銀行というのは、いま大月参考人が申しましたように長期資金を直接企業に対して提供する、あるいは場合によれば社債も引き取る、ただし売り出しの目的ではやらないというようにいまの法律では修正されてなっておりますけれども、そういう形の資金供給の仕方をするものだ、こういう考え方で、長期信用銀行と銀行というものとの業態あるいは本質と申しますか、そこに差があると私も考えておりますがゆえに、長期信用銀行法においてそういう考え方があるから、したがって銀行法においてもそう考えるべきだ、あるいは将来の立法のときにもそういう考え方を入れてもいいのだというふうなことにはならない。これは私の考え方でございます。
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佐藤観樹#17
○佐藤(観)小委員 銀行側がバンクディーリングができるという法的解釈、そして現実に生きているもの、というのはこの前松沢参考人も言われたのでありますが、国債の「募集取扱および引受契約」、「第一条 乙は、政府が次の各号により発行する本国債につき共同して募集を取扱い応募額が発行総額に達しない場合にはその残額を引き受け、」何月何日に「その払込金総額を甲に払い込む。」という銀行と証券でつくった証書があるわけですね。この中に、たとえばこれは第三十一回の「募集取扱に関する引受団覚書」でありますけれども、「昭和五十五年十月より昭和五十五年十二月までの間に発行される利付国庫債券(十年)(第三十一回)の募集取扱に関しては、証券団を除く各員はこれを行なわないものとする。」ということになっていて、要するに「証券団を除く各員」、つまり銀行側はこれを行わないのであって、この覚書さえなければ行っても構わないのだということなんですね。ところが、これは募集取り扱いということでございますから、募集取り扱いというのは一体どこまでのことを募集取り扱いというのだろうか。いままでのお話をずっと総合してみると、要するに引き受け、売りさばき、ここまではまさに募集の範囲内なんじゃないだろうか。その先の返ってきた玉を仲介する、ディーリングまではこの募集取り扱いという範囲内に入らないのじゃないだろうかと思うのです。結ばれている各員がどういうふうに思っているかはわからないのでありますけれども、前後左右のいままでの法律解釈等々からいきますと、銀行が引き受け募集、その範囲内までは扱える。そうしたら、いま谷村参考人が言われましたように、これは長銀法だけに限ったものという解釈もあろうかと思いますけれども、この問題になっております「引受団覚書」に言う募集取り扱いというのは、専門家から見ますと、御本人たちがどういうふうに解釈して結んでいるかは別といたしましても、これはどういう解釈——つまり自分たちが自体をしなければディーリングまでできるという性格のものなのか、その点はどういうふうに解釈するのが正しいのでございましょうか。
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大月高#18
○大月参考人 ただいまの国債の引き受け募集の関係は、協定と覚書と二本立てになっておるかと思います。協定は、申し上げましたような最後の需要者に接触するところまでできるということになっておって、覚書の方で、金融筋ではそれはやらない、こういうことになっておるわけでございますが、少なくとも御質問にございましたようなディトリングの問題はその中に全然入っておらないわけでございます。いま金融界、証券界の方でその協定及び覚書をめぐって議論されておることは、いわゆる引き受けから募集の取り扱い、新発債をどういう窓口でさばいていくかということについて、一体金融界がやってもいいのかどうか、法律的に許されておるのかどうかという議論だというふうに私は承知しております。
 そういう意味で、その解釈について金融界と証券界の方で相対立する解釈があるわけでございますが、いろいろ先ほども申し上げましたような法律上の疑義がございますし、当時金融界の中に、自分たちは窓口のところまで出ていっていいのかどうかという点についてそう足並みもそろっておらなかったという具体的なこともあり、それから証券界の空気もあったと思いますから、そういうもののコンセンサスによっていまの覚書のところにとまっておる。それが法律的にも疑義のない範囲にとまっておるというように私は考えております。
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谷村裕#19
○谷村参考人 いまの御質問に対して私としての意見を申し上げますと、いわゆるディーリングの問題について、あの日本銀行とシ団との間の契約及び販売自粛契約というものが、ディーリングすなわち既発債の売買の問題について何か根拠になったり、議論の的になったりしているとは思いません。ディーリングの問題は、また別個に、銀行は本来ディーリングもできるはずだというふうな根拠らしいものに基づいて言われていると思います。
 しからば御指摘の日本銀行とシ団との間の募集の取り扱い及び残額引き受けの契約といういわゆるアンダーライティング契約と、それからシ団内部で証券団しか売らない、ほかのものは売りさばきは行わないのだというふうに自粛していると言われているあの覚書、これはどういうふうに見るかということでございますが、いま佐藤委員が御指摘のように、構成メンバーによっていろいろなこれについての考え方を持っていると思います。証券団の方は当然アンダーライティング契約だと思っておりますし、それから保険会社や信用金庫はたまたまメンバーとして入れてもらったのだけれども、本来いわゆるアンダーライティングができるとは思っていなくて、俗に言う応募引き受けができるという意味におけるものだと思っていたと思います。したがって、日銀との間の契約それ自身は、たまたまシ団の代表として都市銀行の方が名を連ねておられますけれども、中身として見れば、とにかく日本銀行がお出しになるものを一括そっくりシ団としては応募という形において、あるいはまた証券団として見れば一生懸命売りさばくという形において全体としてシ団がお受けします。こういうことになっておるものだと思いますし、その中で、たとえば販売を自粛していると言われるものが自粛だと思っている人もいれば、本来できないことはできないと思っている人、保険会社なんかそうでしょうが、いるのでありまして、その問題をどう考えるかということについて見ますならば、いま大月参考人が最後にいみじくも言われたように、全体としてああいう形にしておいたので一応問題のないかっこうにしているということではなかろうか、かように私も考えております。
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佐藤観樹#20
○佐藤(観)小委員 以上、当時直接御関係なさった方々やあるいは銀行局のOBとして、制度論あるいは法律論を含めてお伺いしたわけでございますけれども、私、この問題をずっとやっておりますと、昭和二年の状況、銀行法がどうだったか、付随業務がどうだったか、あるいは二十三年の証取法がどういう状況でつくられたか、その前後がどうだったかという状況を研究するのも非常に重要でございますけれども、しかし、結論は、銀行側が言うように証取法六十五条の二項及び銀行法第五条で銀行がバンクディーリングまで付随業務としてできるのだということはどうも無理なように思うのであります。もちろん、いやできるんだという御主張をなさる学者あるいは大学教授の方もいらっしゃいますけれども、いずれにしろ単なる過去の法律の解釈や精神だけでこの問題を律することは将来を誤るのじゃないだろうか。したがって大月参考人が言われましたように、六十五条第一項の基本的な精神及び第二項、そして銀行法第五条の継ぎ合わせだけで銀行側もこの問題をあたかも既得権であるがごとく考えて、そして証券界と銀行界がぶつかり合うやり方ではこの問題の解決ができないというよりも、そういう観点で物を考えるべきじゃないのじゃないだろうか。大月参考人が先ほどのお話の中でいみじくも言われましたように、法律改正でございますから、日本の直接金融、間接金融、このあり方を将来どうすべきかという観点に立って、片方が本業でやっているものに銀行が何らかの形で入っていくことが国民経済的にプラスになるのかマイナスなのか、こういう将来の金融構造のあり方を含めて考えるのが私たち立法府としての考え方の基本ではないかというふうに立ち至ったわけでございますが、その点について、最後にお三方の御意見を簡単で結構でございますがお聞かせいただきまして、私の質問を終わらしていただきたいと思います。
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北裏喜一郎#21
○北裏参考人 先生の御質問の中でまず一番はっきりしたことは、実は先般松沢さんの個人的なお話がございましたが、シンジケート契約並びに覚書は、当時の富士銀行の副頭取である松沢さんと野村証券の副社長である私がつくったものでありますが、一番はっきりしておるわけであります。
 その当時も実はいまのような議論がございましたけれども、本来分けるべきであるかもしれぬが、当時としては国債を初めて発行するのでやむを得ないということでつくったのでありまして、その後の昭和四十年の証券取引審議会の意見書に、こうはっきり書いております。
 具体的に申し上げますと、引き受けシンジケート団は、募集引き受けを行うアンダーライターによって本来構成されるべきであると思う。現在においては応募引き受け  応募引き受けというのは、残額を含めて引き受けてもらって、一方不特定多数に売るということでございますが、応募引き受け者の参加もやむを得ないと思われるが、今後においては逐次本来のあり方に沿うように配慮すべきである、本来のアンダーライターがやるべきであるということを書いております。四十年当時としては、実はこれははっきりさせるべきだが、いまはやむを得ないということでこういうことにしたのであります。そのために、御承知のとおり現在のシンジケート団にはむろん銀行が入っておりますが、生命保険、損害保険、信用金庫、農林中金などその他入っているわけでありまして、この問題は法律論の前に、実はやむを得ず四十年当時そうした。本来は、今日でもわれわれはできるのだから、募集引き受けということはわれわれだけでやるべきだということを日銀に対しましても数十年来言うているわけでありますけれども、現状としては変わっておりません。まだ変わっておりませんが、実は現在はシンジケート契約には、われわれ、銀行並びに生命保険、損害保険、信用金庫、農林中金、全部入っているわけでございます。そういう事情でございまして、そのときの証取審が、ただいま申しましたように本来はそうであるべきではないと御答弁なさっておることを承知しております。
 現在はそのようになっておりません。四十一年のままになっておりまして、現在の覚書の契約書を読み上げますと、「発行される利付国庫債券(十年)(第二十九回)」「以上の証として本覚書一通を作成し、各員の代表者がこれに記名押印の上」現在の主管者が、今日で言えば三菱銀行でございますけれども、「保有する。」こう書いてありますが、その中に「募集取扱に関しては、証券団を除く各員はこれを行なわないものとする。」とはっきり書いてあります。これが覚書の言葉であります。
 以上でございます。
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大月高#22
○大月参考人 いままで私が申し上げました問題は解釈論でございますので、いろいろ問題が残っておるということが結論だと思います。したがいまして、新立法に際してはいままであいまいになっている解釈論を全部吹っ切れるように明確に立法されることが望ましい。それではどういうスタンスでこれを割り切るかという問題でございますが、これは私の全くの私見でございますので、証取審の意見とは関係ございませんのであらかじめお断り申し上げます。
 私は、銀行がいわゆるユニバーサルバンキング、証券も銀行もやる方がいいのか、あるいはユニットバンキング、銀行業に専念した方がいいのかという問題、それから銀行の中でもうあらゆる金融業務を一括してやった方がいいのか、いまの日本のように長期信用銀行あるいは外国為替銀行、その他中小企業関係の銀行というように分離してやるのがいいのかということにつきましては、世界的に二つの流れがございますけれども、現在の日本の制度の方がすぐれておるんじゃないかというように考えております。それは、いろいろ広い意味の金融市場での役割りを持っておる金融機関が数グループございまして、その数グループがそれぞれ独立した姿において総合的な弾力性と総合性を持つというのがやはり金融という金の流れを扱う機関として適当であって、一つのところに集約してしまうことにはむしろ弊害があるんじゃないか。したがいまして、そういう感覚でまいりますと、現在の日本でとっております大筋は厳格に守った方がいい。
 特に、金融法規をなぜ立法で規制するかという基本的な問題を考えてみますと、結局、預金者を持っておるということの一点に尽きるわけでございます。ほかの、たとえば商社とか製鉄会社を考えてみましても、別に商社法もございませんし、製鉄法もございません。しかし世界的によく雄飛しておる。しかし、そういう会社が仮に傾きましても、過去に例がございましたように、それは専門的な金融機関が金を貸して損をするわけですから、別に一般大衆には影響がない。しかし、預金銀行的な性格を持っておるものが事を起こしますと、庶民に害を与えるほか、金融秩序に混乱を起こす。こういうことでございますので、そういうことがないように、預金を取る金融機関については厳重に健全金融というものを守るためにあらゆる規制がしてある。現在の銀行法につきましても、各条文ございますけれども、全部その精神に貫かれておるわけでございまして、免許制とか店舗の認可、検査、特に業務については兼業を許さない専業主義、それから役員についても専業、もっぱら健全金融で銀行業務に専念しろというのがあらゆる条文に含まれておる精神でございますから、その精神を守るという意味からいきましても、証券業を兼業するということは適当でない。特に、危険のある業務ということと、金融力を使って証券業務をやることによる弊害、それは過去のアメリカにおける例がそうでございますが、あれだけのインフレを起こし後でデフレを起こしたのは、金融界が証券業をやって、その他の株の引き受け、社債の引き受け、そういうものを通じてああいう大恐慌を引き起こしたという歴史的教訓によるものでございます。私は具体的に考えてみましても、昭和四十年の日本の証券恐慌がございますが、あの場合に仮に兼業を許しておったならば、あれだけスムーズに収拾されなかったのじゃあるまいか、銀行もあの騒ぎに巻き込まれてしまって、救済者としての立場が守れなかったのじゃないかというように考えます。
 それから、銀行法ができました昭和二年も、やはり恐慌の直後につくられたものでありまして、その恐慌の教訓からああいう厳重な法律ができておるわけでございます。それもやはり一つの歴史の教訓であろう。
 それから世界的な教訓としましては、あの世界的な恐慌の中でいろいろな金融業の混乱を起こしたルートは、やはりユニバーサルバンキングをとっておった国でございます。オーストリアのクレディタンシュタルトという銀行から発端をいたしましたのがドイツに響き、それからアメリカに響いていった。それはいずれもユニバーサルバンキングの国でございまして、あのときの限界に立っておったのがイギリス、いわゆる商業銀行主義をとっておる国でございます。それからフランスあたりはむしろ被害が少なかったという歴史もございます。
 それでは、ドイツあたりで最近議論がありまして、いままでどおりやっていこうじゃないかと言っておるのは、金融の機構というのは歴史的に積み上げられておるものであって、いままでやっておってそれを急激に変更するというのは、またなかなかほかの面の逆の弊害もある。それから、制度でございますから、プラスがあればマイナスもあるということでございます。そういうことをいろいろ私は考えますと、やはり従来の精神を厳守する。それじゃいま問題になっておる公共債はどうするかという問題は、そこは質の違うものであろう。つまり、銀行が企業を支配するとか、あるいは非常に危険であるとかいう要素がございませんから、当然私はやらしていいんじゃないか。ただ、やるにつきましては、本業との関係が一つと、それから証券業界に対するインパクトの問題がありますから、本業をおろそかにして証券界にのめり込むということはないような十分な規制、これは銀行法で規制すべきことだと思います。本業に支障がない範囲であるとか、あるいはその量としては何十%以内にするとか、いろいろこれは技術的な問題でございますが、要するにわき役としてやるのだという精神ははっきりしなくちゃいかぬ。それから証券界との関係では、監督行政は一本化して、証券をやる限りにおいてはやはり証券の中で公平にやる、そういう思想をその中に盛り込む必要があるのではないかと思います。そういう意味で、私は、証券取引法自体もいまのように金融界は野放しであるという思想ではなくて、全部金融界も含めて免許制度にして、そこで金融界、銀行からも証券からも両方の面から見て認めていい分野、認めていい機関を限定いたしましてやらしていく、こういうことが、将来の姿としては分離主義を保ちながらこの問題を解決していく正しい方向ではなかろうかと考えております。
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谷村裕#23
○谷村参考人 ただいまの御質問の点についてはおおむね大月参考人と基本的な考え方は同じでありますが、若干補足いたします。
 佐藤委員おっしゃいましたとおり、私は、現在の解釈を踏まえます限り、すでに既得権であるからちょっと銀行法にこの際入れておけば、はっきりさせておけばいいのだろうという程度の問題ではない、新たな立法問題であるというふうに考えております。
 その場合、一般に銀行の証券業務というふうな物の言い方が使われておりますけれども、とかく業務という言葉は、何でもビジネスは業務という言葉で言っておりますために、コンピューター業務でありますとかあるいは営繕業務でありますとか、何でもかんでも業務にしてしまいますが、法律上銀行の業務という場合には、御承知のような意味における不特定多数の者を相手として反復継続してある業務を行うようなことを言うわけでありますから、ここで言う証券業務は、まさに現在証取法二条八項が列挙しております各号に入るものが証券業務でありまして、そういう意味で言えば、本来の銀行業務から言えば他業であると私は考えております。銀行が本来当然何らかの形でできるというものではない。その点は長期信用銀行法とも違って考えるべきだと私は考えております。
 その場合、先ほど御指摘ありましたように、五十年に一度でありますか何年に一度でありますか、この際大きな意味での金融法規の改正でございます。この問題の発展してまいりましたいきさつが、たまたま大量発行の国債を引き受けさせられて非常に苦境に立っておりました、そういう立場から、それが売れないものか、あるいはさらに一歩進んでいくと、どうせまた売ったり買ったりしなければならぬ、いやこの際いっそいわゆるバンクディーリング、これは英語を使っておりますからどういうことだかわかりませんが、とにかく証券会社と同じように、四社と同じように公社債市場にみずから乗り出していく、供給者、需要者としてではなしに、ある方は、ちゃんと証券取引所の会員になってやるのだとおっしゃった方もありますけれども、そういう証券会社、野村証券なら野村証券みたいなこともやるのだという話にまでなってしまったのですけれども、私は、銀行法の姿を考えるときに、たまたま国債大量発行というわれわれとしては本来望ましくない姿があることを前提としたような議論のもとに進められることに、大蔵省の先輩として非常に不満を覚えておりますということをつけ加えたいのが一点。
 それから第二点としては、私はわきにおりますから何も申すあれはありませんけれども、仮に他業であるという考え方をとっていただくとするならば、いまの銀行というものは、御承知のように信託も兼営いたしております。世の中では信託銀行と言っておりまして別の銀行があるように思っておりますけれども、そうではなくて、あれは銀行が信託兼営法によって信託を兼営しております。しかもれっきとして信託業法は現存し、信託業法による信託業務を行うものとしては信託会社があるという業法がちゃんと残っております。しかし、実態は銀行が数行兼営しているという姿であります。
 あるいはまた、こういうことで、信託業務のほかに銀行がやっておりますものに登録業務というのがございます。社債等登録法というのがございまして、社債を登録する仕事をある銀行は行えることになっております。これも、銀行法のどこにもそんな規定はございません。銀行法を目をさらのようにして見ましても、登録業務ができるということは書いてございません。これは他業として、社債等登録法の規定によってたまたまある種の銀行がしているということでございます。
 それから、御承知の担保附社債信託法というものによりまして受託業務を銀行はやっております。これも担保附社債信託法によって銀行が兼営をしているのだという姿で、法律は法律で別途あります。業法もございます。ただし銀行法は、当時昭和二年につくりましたときには法律がありましたから、それを引っ張ってきまして、それと付随業務のほかは他業はいけないよ、こうしております。しかし、その後、信託なりあるいは社債等登録法なりというもので銀行の仕事というものをきちっとしております。
 そういう意味で、証券取引法ができ、証券業務というものが確立され、そしてそれをやるのが——さっき大月参考人が言いましたように、ちょっとその辺の法律構成がおかしくなっておりますけれども、少なくとも証券会社というものが免許営業として昭和四十三年以降現存しておる。そして免許営業という特権的な立場に立つものはそれぞれのフィールドを持ってやっていこう、これが日本の行政の基本であると私は思いますが、そういうときにその銀行法の改正に、しかもこの際、国債大量発行ということを前提としたような議論のもとに公共債問題だけを取り上げる。そのときに一体銀行法にどうするかという問題なのか、あるいはむしろ、いま大月参考人も言われましたが、証取法との関係で、他業としての証取法の問題との関連において考える問題なのか、こういったことも、まあ私は、ここまでいってしまうと、もう結構です。どうぞそういうふうにお進めくださいということになってしまいますから、もっぱら論理的な話としてだけ申し上げておきますが、そういうことも、やはり私は、仮に五十年に一度か何か知りませんが、立法という大事な問題を考えられるときには、全体として銀行の姿あるいは金融機関の姿、そしてまた証券業務、証券取引法の姿、そういうものを考えていただきたいということを大蔵のOBの一人として願っているところでございます。
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佐藤観樹#24
○佐藤(観)小委員 お三方、大変貴重な御意見をありがとうございました。これで終わります。
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山崎武三郎#25
○山崎小委員長 柴田弘君。
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柴田弘#26
○柴田小委員 きょうは参考人の皆様方には大変お忙しいところをどうも御苦労さまでございます。
 いまいろいろと銀行の窓販の問題あるいはディーリングの問題、法律論から、微に入り細に入り議論があったところでございますが、私は、銀行の窓口販売あるいはディーリングの問題は、ただ単に銀行と証券とが、世上言われておりますところのいわゆる思想的な論争、まあかきね論争といった問題で片づけるのではなくて、先ほど来お話がありましたように、銀行と証券がどう互いの業務の中でわが国の今後の経済の発展あるいは国民生活を守るかという立場からその位置づけについて考えていかなければならないというふうに実は私は考えるわけであります。
 そこで、この問題についていろいろとお尋ねをしたいと思っておりましたが、いま大半きてしまいましたので、私はこの際、大月参考人からいま御答弁をいただきましたが、銀行にやらしてもいいんじゃないか、このような御発言があったわけであります。もしそういった形になりますと、一体、証券界はどうなるのだ。これはマスコミ等の報道によりますれば、銀行の窓販、ディーリングの問題は証券業界にとっては死活問題であるというふうにも報道されておるわけでありますが、この辺につきまして、何か積算されているものがあるかどうか、ひとつ具体的にお示しをいただければと思います。
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北裏喜一郎#27
○北裏参考人 いまの先生の御質問にお答えいたします。
 主として実際面からの話に終始すると思いますが、証券界にどういう影響があるかという問題であります。これは言葉ではそう言いますけれども、具体的におまえはどう思うかと言われるとなかなかはかり知れない、死活問題であるというようなことのようであります。これも余り正確とも言えませんが、どの程度影響があるのかということをわれわれ第一線その他いろいろの面で研究してみたのです。そうすると、答えは募集面、大衆に売る場合、国債で約七割、それからディーリングの面では五割縮減するだろう、こういうことを申す人もありました。第一線が皆そう言っておりますけれども、果たして七割であるかあるいは五割ディーリングが縮減するか、それは実は正確には申し上げられないと思います。そういう答えが返ってきたということを私は死活問題あるいは非常に重要な問題であるというように表現しておるわけですが、その具体的な数字につきましては、皆さんに正確に御認識いただけるということは必ずしも言えないと思います。しかし、それほどの影響があるということの一つの形容詞になると思います。そういう意味で私自身としては大きな重要な問題であり、証券業として、企業としても死活問題的な相当重要な岐路に立っておる、こういう認識でございます。
 先ほど来の直接金融、間接金融の両輪論と離れまして、そういうことを別にいたしまして仮に各企業別にしましても、いまのような影響があると思います。そういう意味で、今度の銀行法改正の中に盛ることを非常に反対している理由は実はそこがポイントでございまして、それを私どもはもっと別——ちょっと先生の御質問から外れるかもしれませんが、無論そのことだけを言うと、あるいはかきね論争に終始するという御意見があるか、そういう懸念があるかと思いますので申しますと、銀行法というものは都市銀行と地方銀行だけの法律であると言われますけれども、私の理解では金融関係法規の中核的な法律であると思うのであります。
 そうしますと、法律をつくる場合に、いまのような証券業に相当重要な影響があり、死活問題になるというほどの問題を法律的に書くことにつきましては、現在やるやらぬにかかわらず、あるいは現在証券業はよくやっているということを申しましたが、そういうことにかかわらず、将来にわたって大きな金融制度の中でどちらがいいか、直接金融がいいか、あるいは長期的に同質的に両方やるのがいいかという問題と相関連する。来年度国会で、立法府において取り上げられるというならば、現在のものは無論でありますけれども、別の機関で長期的な日本の金融市場あるいは金融構造というものをもう少し議論する場があってもいいじゃないか。たまたま私は審議会という言葉を使っておりますけれども、そういう日本の将来を画する金融立法の中心としてここで議論したらいいじゃないか、これが私がいま主張している審議会という議論でございます。
 以上でございます。
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柴田弘#28
○柴田小委員 重ねて北裏参考人にお伺いしたいわけでありますが、いま何か総合的な審議機関をつくって云々と、こういうお話がありました。この点につきましては、参考人が「八〇年代の証券と銀行」ということで金融財政事情という雑誌の中でこのようにおっしゃっております。「ところが、現実の姿としては、金融制度に関しては金融制度調査会で銀行局を中心として検討を進めており、証券の関係では証券局を中心として証券取引審議会で、郵便貯金に関しては郵政審議会で、というように資金源は同じ個人金融資産から出ているものについて、それぞれが異なる場において審議されている。いうなれば、官と民とが、銀行と証券とが、国民経済全体像のなかで今後どのような位置を占めるべきかといった観点からの整合的な議論がなされていないのではなかろうか。」こうおっしゃっております。さらに続けて「私は、これら各種審議会を包摂したような新しい場を設けて、「八〇年代の金融システムのあり方」について徹底的に議論を尽くしていくべきだと思う。」こういうふうにおっしゃっておるわけであります。
 私も、先般実はこの金融小委員会におきまして、金融制度調査会の会長あるいは各金融機関の代表の方にたとえばいまの郵貯のシフトの問題について、片方は金融制度調査会、片や郵政審議会、こういう一つの金利体系の二元論というものもあるし、現在郵貯が個人預金に占めるシェアが三〇%、こういった状態の中でやはりもう一歩高い次元の上に立ってこういった金融制度のあり方というものを論ずるべきじゃないか、こういった質問に対して非常に共鳴を得たわけでありますが、そういったことで、私は、銀行、そして証券、この窓販、ディーリングの問題に関してわが国日本経済の今後あるいは国民のニーズ、国民生活を守るということから総合的に論議を尽くして
 一つの結論を得た方がいいじゃないか、このような実は考え方も持っておるわけでありますが、たまたまこういったことを公表なされておるわけでありますが、こういった点についてより一歩具体的に、ただ一つの提言ということでなくて、参考人としてはどうこの点について対応されていかれるかということをひとつお伺いをしておきたいし、それから、この問題につきまして私も大蔵当局といろいろ話をしたわけでありますが、実はこのディーリング等の問題については、すでに証券取引審議会、そして金融制度調査会、こういった中で一つの答申が出ておる、こういったものをまた新しく別のものをつくるということについてはこれは屋上屋を重ねるものである、その必要はない、来年の銀行法改正の中でこの問題は決着をしていかなければならないというふうに私は聞いたわけでありますが、こういったことについても参考人の御見解があればあわせてお尋ねをしておきたい、このように思います。
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北裏喜一郎#29
○北裏参考人 いまの先生のお話の中に個人の方々、個人金融資産と申しますけれども、それを郵便貯金にするか、銀行にするか、国債を買うかということでございますけれども、いま御指摘のように、郵便局については郵政審議会がございます。そして今回の問題で、大蔵省内でありますけれども銀行局を中心に金融制度調査会、証券局を中心に証券取引審議会というのが三つございまして、本当は金融問題としましては全体のことも考えなければいけませんことは当然でございますけれども、要は個人が蓄積された資金をどちらに回すかということは一本化すべきである、そういう議論が必要で、将来八〇年代、九〇年代を含めてどういうぐあいに日本の金融市場が大きくなるのかあるいは小さくなるのかという議論をする場をもっと欲しい。
 実は先ほどどなたか参考人が申されたように、銀行法の改正につきましては、われわれ了承するところでは、四年ばかりやっておりますけれども、たまたま五十二年、五十三年という年を振り返ってみますと、国債を大量発行せなければいかぬという事情がございまして、その国債窓販論議とかディーリングの問題が金融制度でも相当長く取り上げておると思いますけれども、実は本当は銀行法の改正はそういうことではなくて、そういうことも大事でありますけれども、一番中心として議論さるべきは、いま先生の言われましたような、要すれば郵政審議会、金融制度調査会、証券取引審議会などが一本化されて、そこで次の金融構造、金融市場を深く議論する場、討議する場が欲しい、その上で銀行法を改正してもらいたい一そういうことを申しておるわけでありまして、その点は、金制の場合でも当然将来の金融構造について議論するということの諮問がございますけれども、実は一々私どもが勉強してみますと、その議論はなるほど先のことですから、非常に困難なところもありますということは十分承知いたしておりますけれども、非常に回数も少ないし年月も少ない。銀行法の議論は四年かかっておるかもしれませんけれども、その一番大事な点については、議論がむずかしいだけに非常に少ない。事実、学識経験者が金融制度調査会の小委員会で発言していることを読みました。しかし回数は非常に少ない。実は、これに重点を置いてほしい、そのための審議会が欲しい、こう言うておるわけであります。これはいま先生のおっしゃるとおりだと私は思います。
 以上でございます。
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