田畑金光の発言 (内閣委員会)

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○田畑金光君 今のような長官の答弁の通りであるならばけっこうでありますけれども、しかし私たちは自衛隊の今日の構成を見ました場合に、今の答弁を素直に受けていいかどうかということは、我々自身も相当疑問を持つわけであります。しかしながらこのことは、折に触れ、また問題によっては、将来とも表面化することもありましょうが、今の長官の答弁は答弁として、そのような方向に部内の行政指導を進めていただきたいと考えるわけです。
 同時に私はこの間局長からも、この事件の真相についていさい報告がなされましたが、特に千頭君、あるいは岸上君が、あのような悲惨な形で倒れたわけです。そして私はあの経過を聞いて不思議に思うことは、当然医官というものもいるはずです。またその援護と申しますか、医療班等についても十分の配置となされておるというような、この間の報告でありましたが、当然そのような医療班も整備され、医官もついておりますならば、あれだけ悲惨な最後というものはなかったと、こう思うわけなんです。ところが残念なことには、結果においてああいう始末に終った。またこの事件の処分の内容等においても、医官等については何ら表面に出てきていない。こういうようなことを考えたとき、これは医官の仕事とか、任務とか、あるいは行軍の場合における役目、こうこういう点についても、相当それは考えさせる点があるのではなかろうかと、まあ考えるわけなんです。
 私はちょうど手元にこの二人の最後に立ち会われたというか、最後に立ち会われたのじゃない、もうすでに息を引き取っておりますから、これは診療所でありますか、西条町の診療所にかつぎ込まれた、その国立広島療養所、厚生技官医師の立ち会いのときの診断と申しますか、これが診断書があるわけなんです。これを私は長官にこの際読んで、いかにこの問題が人命軽視と申しますか、まことにわれわれとしては想像を絶する姿であるか、これをよく聞いていただきたいとこう思うわけです。これは最後に立ち会われた、最後というよりも、もうかつぎ込まれたとき立ち会われた佐々木ヨリ子というお医者さんですね。内容を読んでみますと、「二月六日正午頃内科外来主任看護婦より意識不明の急患ですとの連絡あり直ちに処置室へ行った。衣服はずぶぬれで腹臥位にて担架で運ばれていた。脉膊は触れず呼吸及び心臓は停止し、瞳孔は散大し、顔面及び胸部には死斑あり、四肢の硬直は中等度にあった。」これが千頭氏です、「更に午后二時頃内科外来主任看護婦より又意識不明の急患ですとの連絡あり、直ちに外科外来室に行った。衣服はずぶぬれで横臥位にて担架で運ばれて居た。すでに脉膊はふれず呼吸、心臓は停止し、瞳孔は散大して居り、四肢の硬直は著明ではなかった。(岸上氏)午后五時頃私に死亡診断書を作製して呉れる様、依頼があったが、すでに死体であるため、その死因は臨床上推定困難であると考へたので作製をことわった。尚本死体には同隊の医官が随行していたのでその方で作製するのが本旨と考へた。尚岸上氏を運び込んだ時は、患者は未だ氏名も確認されていなかった模様であり、顔面には帽子がかぶせてあった。随行した隊員が帽子を取除け、上衣のポケットから身分証明書を取り出し氏名を確認した。帽子を取り除いた時『これだこれだ、綱をつけて引っ張られ、尻を叩かれ乍ら歩いてゐた奴は』とつぶやいてゐたことを見聞した。附添って来た医官は尚隊内に数名の重症者があると語っていた。昭和三十二年二月十九日広島県賀茂郡寺西町寺家五一三国立広島療養所厚生技官(医師)佐々木ヨリ子」同時に外科外来主任看護婦森田亀子、あるいはこの療養所の研究検査科、厚生技官藤原増男、病理細菌手飯田三百男等々から当時の模様を詳細に書いた文書が私の手元に屈いているわけであります。こういうような悲惨なこの事件の内容というものを十分長官の方には報告なされて、こういうような報告を御承知の上で先ほどのような処分をなされたのであるかどうか。あるいはまた今後のこういう極端な人命軽視の措置に対しまして、長官から先般抽象的には御答弁を私は伺いましたが、今後具体的に演習、訓練等の面にどのようにこの教訓を生かそうという御方針であるのか、あらためてお尋ねしておきたいと考えます。

発言情報

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発言者: 田畑金光

speaker_id: 24201

日付: 1957-03-15

院: 参議院

会議名: 内閣委員会