秋山長造の発言 (内閣委員会)

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○秋山長造君 お急ぎのようですから、簡単に。先ほどの長官のお言葉の中にもありましたが、なぐったりけったりしたということの説明で、これはなぐるとかけるとかいうことでなしに、まあ激励が少し度が過ぎたというような御説明があった、これは前にも、人事局長からそういうお話があったと思うんですけれども、これは、ただ単に激励が過ぎるということとは質の違う問題じゃないかと思う。長官は旧軍隊時代の軍隊生活をされたかどうか知りませんが、まあ私自身四年ばかり兵隊勤めをやった経験から考えた場合、これはもう回りくどい説明でなしに、こういうことを聞いただけで実にぴったりくるんですよ。全く手に取るようにその場面の光景というものは想像がつくんですけれども、私が一番おそれるのは、今の自衛隊の特に実地訓練なんかに当っておるのは、ほとんど全部旧軍人だと思う。その旧軍人が今度自衛隊へ入る場合には、昔の考え方はさらりと捨てて本当に民主的な軍隊の幹部という心がけで入っておるということは、しばしば当局から聞かされることですけれども、しかし、これは、自分がかって士官学校なり何なりで受けた教育というものが間違っておったのだ、というように徹底して考える人は少いのじゃないかと思うのです。自分らたちの受けた教育がやっぱり一番いい教育だったという気持というものは、なかなかそう簡単に通り一ぺんの訓辞を聞いたくらいで抜けるものじゃないと思うのです。別にその人たちを私は憎むわけでも何んでもないですけれども、事実を言っている。そういう人たちが訓練の衝に当って、しかも年ごろの屈強の若者ばかりが、大勢外部の社会から隔絶された世界で団体生活をやっているわけですから、これはどうしても勢い非常にぎごちないというか殺伐な雰囲気というものになりがちだということも想像がつく。現に以前の軍隊では激励するという言葉にかえて、気合いを入れるという言葉が使われておった。ところが、今の自衛隊だって、やっぱり激励というような言葉はあまり使われていない。やっぱり非公式には気合いを入れるという言葉が使われておる。その気合いを入れるという内容は、これはやっぱりなぐる、けるです。なぐるけるということが別名気合いを入れる。おそらくこの死の行軍でたたいた、けったというのは、気合いを入れた、こういうことだろうと思う。この気合いを入れるということが私は結果的には非常におそろしい効果が出てくるのじゃないかというように思うのですがね、まあ旧軍隊の当時は、そういうことがあまりしばしば表面化したために、あるいは戦陣訓が出されたり、機会あるごとに師団長会議、連隊長会議等でえらい人がそういうことのないようにという訓辞をされたりなんかして、そうして上の人のところまで出てくるということはまああるいはなくなったかもしれんけれども、しかし実際には気合いを入れるということはひんぱんに、もう日常茶飯であるかのごとく行われたことも事実です。そういうことになって参りますと、もう全く「真空地帯」じゃありませんけれども、民主的な軍隊の建設ということを目ざしておられる自衛隊も、実質的にはやっぱり真空地帯になってしまうのじゃないか。こういうように考えてきますと、私は最近直接間接見聞きするのですが、文民優位の原則がやはり実質的にはくずれつつある、そうしてもっぱら職業軍人の発言権が強まりつつあるというようなこととも関連をして、今の自衛隊の将来ということに対して非常な不安と心配を感ぜざるを得ない。今度の事件で、長官は、自衛隊の訓練あるいは統率のあり方というようなものを根本的に再検討されるというお考えのようですけれども、根本的と言っても、ただ部隊長を集めて訓辞されるということでは、私はきわめて不十分だと思う。そういう点についてよほど深刻にしかも訓練の実情に即してお考え直しにならないと、私は、もう非常なあらぬ方向に進んでしまうおそれが多分にあると思う。その点について、ただいま田畑委員にお答えになったわけですけれども、どうもその程度のお答えでは私どもも納得して引き退るという気持にはなれない。で、それらの点について、気合いを入れるというようなことが実際に行われておるということを、幹部の人は一体承知されているのかどうかということからまず御答弁を願いたい。

発言情報

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発言者: 秋山長造

speaker_id: 29453

日付: 1957-03-15

院: 参議院

会議名: 内閣委員会