北裏喜一郎の発言 (大蔵委員会金融及び証券に関する小委員会)
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○北裏参考人 いま先生からお話がありましたように、途中で足のぐあいが悪くなりましたらあるいはちょっと失礼するかもしれませんので、あらかじめ御了承をお願い申し上げます。
いま先生からお話がございました点につきまして、私どもの考えをちょっと説明さしていただきます。
結論から先に言いますと、証券界といたしましては、今回の銀行法改正につきまして、銀行の窓販、バンクディーリングを織り込むということは絶対反対するという立場をとっております。
その反対理由をあらかじめちょっと申し上げますと、第一には、今回の銀行法改正の趣旨から見まして、銀行の窓販、ディーリングを改正法に持ち込むことの必要性が認められない、こう思っております。それで今回の銀行法の改正の動機でございますけれども、スタートを見ますと、昭和四十八年当時の狂乱物価がございまして、特に銀行、金融機関などの批判がございました。そこで大企業に対する融資を改めるとか、中小企業に対してもっと融資せにゃいかぬとか、あるいは消費者金融をもっと拡充せにゃいかぬというようなところから始まっておるのでございます。
本来、バンクディーリングは一つの柱であるかもしれません。しかし、主要問題ではなかったと思います。それは御承知のとおりでありまして、いまの銀行批判ということの中で、銀行の社会的な責任を最も重視した銀行業務のあり方をこの際はっきりする、そうして投資家、預金者保護ということに徹する、あるいは裏返して言うと、銀行の健全性をどうして確保するかということについて国の監督を強化するとか、あるいはディスクロージャーとか、融資規制とかいうようなものも規定するものだと了承しておりました。また了承しております。むしろ銀行窓販あるいはバンクディーリングを認めることによりまして、言い過ぎかもしれませんが、銀行の経済社会に対します支配が一層強化される結果になる、それをこの際銀行法に盛ることは御趣旨ではないのではないか、こう考えておるわけでございます。
第二番目としましては、銀行の窓販とかバンクディーリングはわれわれの資本市場に非常に大きな悪影響を及ぼす、こう考えておるわけでありまして、わが国の金融制度では、実は昭和二年の銀行法制定当時、いまより約五十何年前ごろから銀行と証券との分離体制のもとに運営されていたのでございます。そういう歴史的な経緯がございます。この分離体制、あるいはまた私どもでは専業体制とも申しますが、これは直接金融と間接金融が相互に相携えて、あるいは相互に相競争して車の両輪のごとくする方が経済の円滑な運営ができるということにねらいがあったのではないかと思います。約半世紀以上の問題であります。銀行の方が一層力が強くなって経済社会に対しまして圧倒的な支配力を持つということになりますと、このような弊害が一層大きくなるのではないかということは、いまさら私が申し上げるまでもなく言えると思うのでありますが、分業体制によってそういう弊害に歯どめをかけるという意味を持っておると思うのでございます。現在の銀行、証券の分業体制は、いま申しましたように半世紀前からの一つの歴史的経緯でできたものであります。いまここで急に変えなければならぬという理由はないと私は思っておるわけです。
第三の理由といたしましては、いま先生のお話にありましたように、銀行と証券のかきね争い的な議論がありますけれども、これは率直に言いますと、銀行が証券の本業に進出することを考えているのではないかという重要な問題を含んでおるように思います。今日、証券会社の業務といたしましては、株式と公社債が二つの柱でございまして、公社債業務のうち、その七割は国債でございます。恐らくこの安定成長経済と言われるものの中にありましては、証券会社の業務に占める公社債業務のウエートは非常に高くなると存じております。銀行が窓販、バンクディーリングということを行うことは、とりもなおさず銀行が証券会社の本業、しかもその主要な業務に進出する意図があるとわれわれは考えるわけであります。これはなかなか証券会社にとっては御承知のとおり死活の問題であろうかと存じております。
第四番目には、銀行が窓版とかバンクディーリングを行うことはお客さんにとっては便利ではないかということをよく言われますが、これはきわめて表面的な理由でありまして、多くの弊害が生じて顧客の利益が損なわれるおそれがあるのではないか、その公算の方が多いのではないかというように私どもは感じております。もともと銀行は預金の受け入れあるいは貸し付けということが本業でございまして、仮に窓販、バンクディーリングを行うということに仮定いたしましても、恐らく銀行としては自行の利益を優先することは、これは企業としては当然であろうと私は推測するのです。というのは、もっと具体的に言いますと、預金のレートの方が低い、公社債のレートの方がやや高いという点でありまして、まず預金を吸収することが先決になるだろうというのは企業として当然であろうと思います。したがって、銀行の窓口販売が個人消化に非常に役立つというふうに考えるのは少し早計ではないかと思います。
そのほかに、銀行と申しますのは、御承知のとおり、現在日本では国民各層、また企業を問わず個人を問わず非常に大きな影響力を持っておりまして、たとえばかつて批判されました歩積み両建てのごときもそれでありましょうし、公社債の場合でもそういう形式で企業などに押しつける、中小企業にも押しつけるということになりかねないおそれをわれわれは抱いておるわけであります。そういう意味では、顧客にとって便利であるというような観点からではなくて、非常に公正な取引が阻害されるであろうとわれわれは申しておるわけであります。
もともと大量に国債を保有して、しかも常に売り方に回るというのが銀行でございます。今日、みずから申されるとおり、銀行並びにその他の金融機関が国債を保有している率が非常に多いのでありまして、その保有者である銀行は、どちらかというと常に売り方に回るというのが過去においては無論そうでございましたが、将来においても恐らくそうであろうと思うのでありまして、もともと証券会社というのは中立的な機能を持っておりまするいわばブローカー的な、われわれ証券会社が買うのは必ず第三者である購買者を求めていくわけでありまして、自分で持つということではないのであります。価格形成の場合も売り方と買い方の中に入るという仲介機関であるのがほとんどでありますが、売りを中心とする片一方にウエートを置いた銀行がそういう仲介機関になるということはあり得ないと考えておるわけです。
それははなはだ疑問に感ずる第四点でございまして、私は冒頭に、また後ほど細かい先生方の御質問にお答えしたいと思いますが、銀行による窓販、バンクディーリングの問題は、これは一国の金融制度の根幹にかかわる重大な制度の変換であると思いまして、単にかきね論争的な物のとらえ方は、私は、われわれ自身のような単に企業者としてはそういう面もあるということを言われるかもしれませんが、一国の金融制度の根幹としてはこれは大きな変革になるわけでございます。これほどの重大な問題でございますので、現在のところ今後の八〇年代、九〇年代、二〇〇〇年代となった場合、いま先生の言われましたように、三十年の日本の経済環境あるいは金融界がどうなるかという観点からいまそれを議論されまして、それに伴ってわれわれの国民生活がどうなるかという長期的な観点から本格的な論議を尽くすべきであると信じておるわけであります。
まずお答えいたします。