大月高の発言 (大蔵委員会金融及び証券に関する小委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○大月参考人 いままで私が申し上げました問題は解釈論でございますので、いろいろ問題が残っておるということが結論だと思います。したがいまして、新立法に際してはいままであいまいになっている解釈論を全部吹っ切れるように明確に立法されることが望ましい。それではどういうスタンスでこれを割り切るかという問題でございますが、これは私の全くの私見でございますので、証取審の意見とは関係ございませんのであらかじめお断り申し上げます。
私は、銀行がいわゆるユニバーサルバンキング、証券も銀行もやる方がいいのか、あるいはユニットバンキング、銀行業に専念した方がいいのかという問題、それから銀行の中でもうあらゆる金融業務を一括してやった方がいいのか、いまの日本のように長期信用銀行あるいは外国為替銀行、その他中小企業関係の銀行というように分離してやるのがいいのかということにつきましては、世界的に二つの流れがございますけれども、現在の日本の制度の方がすぐれておるんじゃないかというように考えております。それは、いろいろ広い意味の金融市場での役割りを持っておる金融機関が数グループございまして、その数グループがそれぞれ独立した姿において総合的な弾力性と総合性を持つというのがやはり金融という金の流れを扱う機関として適当であって、一つのところに集約してしまうことにはむしろ弊害があるんじゃないか。したがいまして、そういう感覚でまいりますと、現在の日本でとっております大筋は厳格に守った方がいい。
特に、金融法規をなぜ立法で規制するかという基本的な問題を考えてみますと、結局、預金者を持っておるということの一点に尽きるわけでございます。ほかの、たとえば商社とか製鉄会社を考えてみましても、別に商社法もございませんし、製鉄法もございません。しかし世界的によく雄飛しておる。しかし、そういう会社が仮に傾きましても、過去に例がございましたように、それは専門的な金融機関が金を貸して損をするわけですから、別に一般大衆には影響がない。しかし、預金銀行的な性格を持っておるものが事を起こしますと、庶民に害を与えるほか、金融秩序に混乱を起こす。こういうことでございますので、そういうことがないように、預金を取る金融機関については厳重に健全金融というものを守るためにあらゆる規制がしてある。現在の銀行法につきましても、各条文ございますけれども、全部その精神に貫かれておるわけでございまして、免許制とか店舗の認可、検査、特に業務については兼業を許さない専業主義、それから役員についても専業、もっぱら健全金融で銀行業務に専念しろというのがあらゆる条文に含まれておる精神でございますから、その精神を守るという意味からいきましても、証券業を兼業するということは適当でない。特に、危険のある業務ということと、金融力を使って証券業務をやることによる弊害、それは過去のアメリカにおける例がそうでございますが、あれだけのインフレを起こし後でデフレを起こしたのは、金融界が証券業をやって、その他の株の引き受け、社債の引き受け、そういうものを通じてああいう大恐慌を引き起こしたという歴史的教訓によるものでございます。私は具体的に考えてみましても、昭和四十年の日本の証券恐慌がございますが、あの場合に仮に兼業を許しておったならば、あれだけスムーズに収拾されなかったのじゃあるまいか、銀行もあの騒ぎに巻き込まれてしまって、救済者としての立場が守れなかったのじゃないかというように考えます。
それから、銀行法ができました昭和二年も、やはり恐慌の直後につくられたものでありまして、その恐慌の教訓からああいう厳重な法律ができておるわけでございます。それもやはり一つの歴史の教訓であろう。
それから世界的な教訓としましては、あの世界的な恐慌の中でいろいろな金融業の混乱を起こしたルートは、やはりユニバーサルバンキングをとっておった国でございます。オーストリアのクレディタンシュタルトという銀行から発端をいたしましたのがドイツに響き、それからアメリカに響いていった。それはいずれもユニバーサルバンキングの国でございまして、あのときの限界に立っておったのがイギリス、いわゆる商業銀行主義をとっておる国でございます。それからフランスあたりはむしろ被害が少なかったという歴史もございます。
それでは、ドイツあたりで最近議論がありまして、いままでどおりやっていこうじゃないかと言っておるのは、金融の機構というのは歴史的に積み上げられておるものであって、いままでやっておってそれを急激に変更するというのは、またなかなかほかの面の逆の弊害もある。それから、制度でございますから、プラスがあればマイナスもあるということでございます。そういうことをいろいろ私は考えますと、やはり従来の精神を厳守する。それじゃいま問題になっておる公共債はどうするかという問題は、そこは質の違うものであろう。つまり、銀行が企業を支配するとか、あるいは非常に危険であるとかいう要素がございませんから、当然私はやらしていいんじゃないか。ただ、やるにつきましては、本業との関係が一つと、それから証券業界に対するインパクトの問題がありますから、本業をおろそかにして証券界にのめり込むということはないような十分な規制、これは銀行法で規制すべきことだと思います。本業に支障がない範囲であるとか、あるいはその量としては何十%以内にするとか、いろいろこれは技術的な問題でございますが、要するにわき役としてやるのだという精神ははっきりしなくちゃいかぬ。それから証券界との関係では、監督行政は一本化して、証券をやる限りにおいてはやはり証券の中で公平にやる、そういう思想をその中に盛り込む必要があるのではないかと思います。そういう意味で、私は、証券取引法自体もいまのように金融界は野放しであるという思想ではなくて、全部金融界も含めて免許制度にして、そこで金融界、銀行からも証券からも両方の面から見て認めていい分野、認めていい機関を限定いたしましてやらしていく、こういうことが、将来の姿としては分離主義を保ちながらこの問題を解決していく正しい方向ではなかろうかと考えております。