菅原栄悦の発言 (逓信委員会公聴会)
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○菅原公述人 菅原栄悦でございます。私は、今国会に提出されております法律案につきまして、基本的に反対の立場で公述をいたしたいというふうに思います。
ただいま物価の上昇の折から、主要な公共料金であります郵便料金の値上げが、国民生活にどのような影響を与えようとしているのか、また、この値上げについて一般国民大衆はどのような感情を持っているのであろうかという点であります。そしてまた、それに基づく郵政事業の合理化、改善あるいは国民へのサービスの問題について申し上げたいと思います。第二の点については、いわゆる料金の法定制緩和の問題についてであります。第三には、この事業の重要な部分、労働集約的な企業であります郵便事業に働く従業員における労使関係の問題についてであります。
私はむずかしいことを申し上げませんけれども、この公聴会に出席するに当たりまして、いろいろな人の意見を実は簡単に聞いて回りました。これに対するそれらの人々の答えは、十人が十人とも郵便料金の値上げには反対だということであります。その主な理由は、やはり最近における電気、ガス等公共的料金の軒並みな値上げに対して、そしてこれにいままた郵便料金が値上げをされるという問題、あるいはまた近く国鉄の料金も値上げされるというこの公共料金の軒並みの値上げに対して、自分の生活のためから非常に物価の上昇に対して不安を抱いているというのが大きな一つの原因であります。
第二には、郵便事業における国民大衆のサービスの低下に対する不満であります。率直に申し上げるならば、いまのように郵便が遅配、欠配、働こうともしない、そういう働こうとしないことによって起こる――そう感じているわけですが、赤字を郵便料金の値上げによって補おうということはとんでもない話だという反発がすぐ出てくるわけであります。これをずっと分析してまいりますと、一昨昨年でしたか、郵政における全逓の労働組合のいわゆる生産性向上反対運動における年末郵便に対するストライキであります。これは当時の大衆は非常に怒りを覚えまして、これは私の出身であります岩手県の例でありますけれども、この全逓の闘争に対しまして町内会さんその他の有志が集まりまして、国民の郵便を守る県民会議というようなものをつくって、みずからの自衛手段としてこれに対抗しようといたしたのであります。このようなことは単に岩手県だけにあらわれた現象ではなくて、・多くの日本のいろいろな地方においてこのような現象があらわれたのではないかということであります。そのような当時の大衆が受けた郵便に対する、ストライキあるいはサボタージュによる不満はいまもなお忘れないのであります。大体日本人というのは忘れやすい性格を持っているのでありますけれども、脳裏に刻み込んだのか刻まれたのか、忘れていないということであります。そういう怒りに対して、郵政事業が赤字になったから直ちに郵便料金を値上げして赤字を埋めるんだなんということに対しては非常な抵抗を感じているというのが一般国民大衆の感情ではないかということでございます。また私たちは、そういう感情を踏まえて、なお政府の六・四%に消費者物価を抑える、それまで抑えるということに対して、最近の消費者物価の上昇は八%を超える異常な状況を示していることも考えて、今後一体どうなるのだろうかということに対して非常に不安を感じているところでございます。
第二には、料金決定の法定制の問題でありまして、国鉄においてこの法案が五十三年に決まりまして、今回郵政も同じような立場で料金決定の法定制が緩和されようとする法案が出されているわけでありますけれども、国鉄は戦前は独占企業的な性格を多少帯びておった企業でありますけれども、今日では国鉄は独占企業ではない、これに反しまして郵政事業は全くの独占企業であります。こういう点が企業の点からいって全く違う。もしこの法定制の緩和がなされた場合においてどのようにこの料金に対するチェックが行われるであろうか。なるほどいろいろ検討してまいりますと、郵政審議会の審議を受けてということでありますけれども、先ほどちょっとお話が出ましたように、一体郵政審議会はこのような重要な決定について国民の負託にこたえられる組織になっているであろうかという疑問も私は抱かざるを得ないのであります。そういう点で、独占企業であります現在の郵便料金制度を緩和して、そして郵政審議会の答申ということだけで独自に決定されてよいものであろうか。将来に対して郵便料金の値上げが今回にとどまらずまたいつか再び起こってくるのではないか。私の見まするところによりますと、五十七年以降に再びまた郵便料金の値上げをしなければならぬような状態になっていくようでありますけれども、この点についても私は法定制の緩和についての不安を非常に感じているところでございます。いわゆる経済市場における競争原理に歯どめがないというのが郵政事業における問題点だというふうに思います。
次に、郵便事業の合理化の問題について若干申し上げますけれども、果たしていま現実に郵政事業が本当に真剣に合理化に取り組んでそれを実施しているのであろうかということについて疑問を持つのであります。小さな例でありますけれども、郵便の速達がいまなお四キロに制限されておる。私のところは郵便局から六・五キロ離れておるのでありまして、確かに昔は歩いたり自転車等によって配達するという一不便はありましたけれども、今日は道路もよくなり、そしてバイクによって郵便が配達をされている。にもかかわらずいまなお四キロで、速達が参りましてもこれは区域外ということで届かない。速達の届かない速達料金は一体どうなっているのであろうかということに対して私は疑問を持っているのであります。恐らく郵便局は区域外ということで、じゃ速達料は払い戻しますということをやっていないのじゃないか。請求されればやるそうでありますけれども、一般的には行われていないのが実情ではないかというふうに考えるのであります。また、岩手県の花泉町から釜石市に至る郵便が今日なお五日間を要するという事実であります。これなどはまさに、一体郵政当局は何を考えてやっているのであろうかということを私たちは考えざるを得ません。
最後に、労使関係の問題について若干触れておきたいと思いますけれども、何と言っても郵便事業というのは、先ほどのお話にもありましたとおり労働集約性の非常に高い、いわゆる人手のかかる事業であることは私も認めざるを得ません。しかし、そうであればあるほど、いわゆる労働力の平均化あるいは適当な配分というものがなされていなければならないのに、どうも配置転換が十分になされていない。忙しいところは忙しい、暇なところは人が遊んでいるという状態がいまだに解消されていない、いわゆる配置転換が十分に行われていないところに問題があるのではないか。また一つには、昭和三十年には、これは郵政当局の資料でありますけれども、七万七千人の定員が今日では十四万人にふくれ上がっている。もちろんこれに対する郵便の扱い数についても四億五千万通からいまでは十五億通までふくれている、膨大になっているということについては否定はいたしませんけれども、しかし、この取り扱い数と人員の定員増の問題について、合理的な考え方でこの定員増を行っているのでありましょうかという疑問を持つのであります。これは先ほどの配置転換の合理的な配分の問題ともあわせて私は指摘せざるを得ないのであります。
最後ですけれども、料金の値上げがなければ仲裁裁定が実施できないという、いわゆる仲裁裁定を人質にとった料金の値上げの問題について、私は非常に問題の本質を間違えているというふうに考えざるを得ないのであります。御承知のとおり、公労法十六条は、昭和二十三年の制定当時を振り返ってみますと、予算上資金上、国会に承認云々というのは、実はストライキ権の代償として調停、仲裁の制度が決定されて、それによる仲裁裁定は完全に実施するんだというのが当時の決定であったのでありますが、それでは国会の審議権を無視するということになって、たてまえは予算上質金上、国会の承認云々ということになるけれども、本音は、これは完全に実施するというのが、ストライキ権を制限したあるいは剥奪した代償としてのものでありますから、これを人質にとって料金の値上げを云々することは私は本質的に間違っているというふうに言わざるを得ないのであります。
以上をもちまして、私の公述を終わりたいと思います。