伊關佑二郎 に関する国会発言

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1961-03-28 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) 国際赤十字が来ておりましたので、これに対して頼んだのです。

1961-03-28 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) ちょっと今、金額は覚えておりませんが、円程度だったのじゃないかと思います。

1961-03-28 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) たしか本年の一月だったと思いますが、十二月の十日から十七円くらいにかけて、ビエンチャンで市街戦がありまして、それで、避難民が出ましたり負傷者が出ました。私、向こうへ参りまして、国際赤十字委員のジュランというのが行っております。どういうものを一番希望するかという話を聞きまして、あるいは医師を出そうかというふうなことを考えましたが、大体負傷者は割に少なかった。それで、あのころ気候がよかったものだから、毛布、そうい

1961-02-23 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) 十六カ国であります。

1959-12-17 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) この米の産額と申しますと、だいぶ年によっても違いますが、もみにしまして、大体五百万から六百万トン。もみでございますが、多いときは、一九三八、三九年などは八百万という数字が出ておりますが、まあ六、七百万トン。この中で━━これは全部の統計でございますから、そういたしまして、北を除き、それからカンボジア等にも多少ございます、そういうものを除きまして━━正しい輸出用の米と申しますと、九五%までがいわゆるサイゴン米とい

1959-12-17 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) 私の方ではちょっとそれ存じません。

1959-12-17 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) 信徒は約百五十万といわれております。

1959-12-17 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) 資料として、最初に差し上げました中に、西村━━当時のハノイの総領事の事務所長と申しますか、からの電報あたりは、あれはあの直後、終戦直後九月ごろに打った電報でございますが、これなどにもやはり餓死者百万というふうな数字を引用しておりますから、当時からやはり百万いうふうな数字はいわれておったのではないかと思います。そして百万は少し多いのじゃないかというふうなことで、いろいろな人の話を聞いてみまして、そして二、三十万

1959-12-17 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) 私も何人というところまでははっきり存じませんけれども、少なくとも十人とか二十人とか、それからまた現地の大使館で、たくさんの人に会って聞いたというふうに言っておりまして、私の方も東京でも聞いておりますが、現地でも大使館が聞いておるわけです。だれにどうというふうに、しかも幾人というような具体的なことも申してきておりませんから、やはり相当数になると存じますけれども、まあそして平均等をとったといいますか、何と申します

1959-12-16 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) ただいまのお話で、TERMというものが退却を命ぜられた、そういうふうに私は申し上げたのではございません。TERMというものが任務を終了したから引き揚げたらどうかというふうなのが、国際監視委員会の決定でございます。

1959-12-16 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) 出ましたときの任務につきましては、先ほど通産省から御説明いたしましたが、現在やっております仕事は、ただいま申し上げましたこと以外にやっておりません。

1959-12-16 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) ちょっと御質問の趣旨がよくわかりませんが、日本から行っている日本人の技師でありますから、ただいまのちょっと御質問の趣旨がよくわかりませんが……。

1959-12-16 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) その点は、当委員会でございましたか衆議院でございましたか御質問がございまして、たしか衆議院でございます。これははっきり調べまして、自衛隊等は全然関係がないということがはっきりいたしたわけであります。

1959-12-16 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) たしか十九名行きまして、七名帰って、二名また行った、残りましたのはそれで十四名と覚えております。

1959-12-16 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) 現在行っておりますのは、たしか十四名だと思います。そしてやっております仕事は先ほど申し上げましたように上陸用舟艇最大七百トンLSM、それから最小二百五十トンまでの十二はい程度に対して修理をしておる。それからその他一千トン以下のフランスとベトナム商船の修理を行なっている。これ以外には何もしておりません。団長と申しますか、一番上の人は確か清水という人でございます。

1959-12-16 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) 私は、そのときにちょうど出席しておりませんで、その点大へん失礼いたしました。私存じておりませんでしたが、課長が知っておるそうでございます。

1959-12-16 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) 私も当時の事情はよく存じませんが、旅券は確かに出しておりますが、それ以外に何か関係があったかどうかちょっと私は存じません。

1959-12-16 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) 昭和三十一年三月にこの東南アジア経済調査団がベトナムに参りました際に、ベトナムの国防部から軍事工廠の運営に関する技術指導の要請を受けた。そこで、それに応じますためにこの日本技術協力株式会社というものを作りまして、そうして技術者を提供いたした、こういうのがごく概略でございます。

1959-12-16 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) おそらくそれは事実と違うと思います。われわわの方の報告では、この海軍工廠におけるそういう小さい艦船とそれから一般商船の修理以外には何にもやっておらぬという報告が来ております。

1959-12-16 伊關佑二郎 外務委員会 参議院

○政府委員(伊關佑二郎君) 日本側といたしましては、経済技術協力会社でありましたか、ただ技術協力会社でございましたか、これから技師が今十数名、たしか十四名になりますか、行っておりまして、現実にこの工廠でやっておりますことは、七百トン以下のLST程度の艦艇の修理、それから一般商船の修理ということしか今まだ行なっておりません。これはまだ全然埠頭ができていないこわれたままの海軍工廠でありまして、そこでかろうじてそういう小さいLSTの七百トン以