古荘四郎彦 に関する国会発言

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1965-05-12 春日一幸 大蔵委員会 衆議院

○春日委員 いま中小企業金融機関が資金余裕があると言われておりまするけれども、私はこれは日銀総裁として認識不足もはなはだしいと思う。これは純粋にそういう資金が潤沢にして余っておるというのではなくして、制度の欠陥として、要するに貸し出しすることができないから、貸し出しすることのできない金として、彼ら中小企業金融機関に、これを流動性を確保しながら保有しなければならないからである。それは貸し出し準備金の率でございますが、預金の八割程度しか貸す

1958-04-15 足鹿覺 大蔵委員会 衆議院

○足鹿委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  参考人招致の件についてお諮りいたします。金融に関する件について、次の諸君を参考人として委員会に出席を求めたいと存じます。横錢重吉君、古荘四郎彦君、笹田登君、久保正雄君、以上であります。御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

1958-04-10 横錢重吉 大蔵委員会 衆議院

○横錢委員 大臣がこれを否定しても、もうすでにあなたの手紙は、多くの人に回覧に供されておる。回覧と言っては語弊があるが、多くの人に見せられておる。一萬田大蔵大臣が古荘四郎彦氏にあてた文書の内容もわかっておる。そこで、これが非常にまずい問題になって、あなたは取り返された。これがまずいものでなく、融通も頼まない、何でもない忘れてしまうようなものであったならば、何も取り返す必要はないのです。今この重要な段階にきて、あなたが指導し監督していかな

1958-04-10 横錢重吉 大蔵委員会 衆議院

○横錢委員 この問題を扱うに当っては、銀行をつぶしてはいかぬ、預金者に不安を与えてはいかぬ、このことは、われわれが第一に念願をしておるところである。従って、そういうふうに考えて配慮しつつやっておるつもりです。のみならず、銀行から参考人を呼んで、自主再建をさせる道を与えよう、こういうような観点から行なったにもかかわらず、理屈にならない理屈をもって、参考人が国会に来ないという、非常に国会を侮辱した問題がここに出てきておるわけです。これでは、

1958-04-10 横錢重吉 大蔵委員会 衆議院

○横錢委員 三十三年の三月三十一日に、千葉銀行東京支店の中において、加藤商会の佐藤真裕四十六才が、支店長の前に現われて服毒自殺をはかった事件がある。これは、新聞に報導された通りである。その事件によるならば、これは、田尻支店長の言では、心当りは全くない。薬をのんできていると言われても、半信半凝だった。銀行取引の内容については、お話しできない。そのほかに、加藤商会は目下整理中で、千葉銀行には約一千万円の負債があり、そんなこんなで、社長はノイ

1958-04-10 横錢重吉 大蔵委員会 衆議院

○横錢委員 なかなか答弁ができないだろうと思うのです。しかし、今レインボーの問題と、この千葉銀行のみならず、その他に貸付が非常に多いので、これは見なければいかぬ。また実際問題として、今日レインボーの女社長と古荘頭取は、もはや単純な関係ではないというように一部にすでにうわさされておる。従って、これを裏づけするものが少くも一億六千万に上る金に対して何らの担保なしに個人が保証をするというやり方、これを見たならば、単純な関係でないということが裏

1958-04-10 春日一幸 大蔵委員会 衆議院

○春日委員 私は、ただいまから、千葉銀行が行なっております金融の状況につきまして、特に、本日は主としていわゆるレインボー事件なるものを中心といたしまして、政府並びに参考人に所要の質問を行いたいと存ずるものであります。  さて、この千葉銀行の問題でありますが、この銀行は、戦後「財界騒動記」に幾多の話題を提供したことによりまして、わが国の金融界におきましても異様な存在として目されておる銀行であるのであります。しかるところ、昭和三十一年五月

1957-04-27 細田綱吉 決算委員会 衆議院

○細田委員 古荘四郎彦君と、もう一人おるわけでしょう。水田三喜男君と……。

1957-04-27 渡部虎雄 決算委員会 衆議院

○渡部証人 それは古荘四郎彦と……。

1956-11-28 須田守正 社会労働委員会 衆議院

○須田参考人 よくこまかに覚えておりませんが、五、六十名であったと思います。それから千葉新聞は御承知のように発足当時十八万、この出発をするときに古荘四郎彦さん、中村庸一郎さん、荒木僧正さん、それからヤマサの醤油の社長さんの浜口さんでございますか、そういう方たちが数人してお作りなったので、そういう人たちが今でも大株主であると思っておりますが、こまかい具体的な数字は存じません。

1956-11-28 須田守正 社会労働委員会 衆議院

○須田参考人 私は千葉新聞の労務担当重役でございます須田守正でございます。今回の争議になった直接の、それからまた会社の状態などをこまかに申し上げて、御参考にしていただきたいと思います。  千葉新聞は昭和二十年に千葉県の数名の名士によって創設されまして今で十一年になります。そのうちには千葉銀行の古荘四郎彦さん、中村庸一郎さんだの、あるいはヤマサ醤油の社長だとか、荒木僧正とかいうような人たちによって発起されたのでございまして初め十八万円の