「久野収」の過去の国会発言

発言数 12件

初発言日: 1956-05-11  /  最新発言日: 1956-05-11  /  1 ページ目 / 全体 1ページ

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1956-05-11 参議院

文教委員会公聴会

○公述人(久野収君) 私ただいま御紹介にあずかりました久野でございます。学習院大学の教授をしております。本日実は病気をしておりまして、医者から外出を差しとめられているのでありますが、国会から公述人として参考意見を述べよというお話がありましたので押して出て参りました。 私は率直に申し上げますと、この法案に反対でございます。その反対の論拠は、衆議院の文教委員会で南原先生、矢内原先生、それから東京朝日新聞の友人であります論説委員の伊藤昇さ

1956-05-11 参議院

文教委員会公聴会

○公述人(久野収君) 今の御質問にお答え申し上げます。第一番に私が政党人を侮辱したような発言をしたということでございますから、これはつつしんで取り消します。過去においてそういうことがあったかもしれませんが、現在はそうでないかもしれませんから取り消します。 それから第一の御質問の十九条でありますが、これはつまり現行法において指導主事を繰り返し申しますように、命令及び監督をしてはならないという明文がちゃんと現行法にうたってあるのでありま

1956-05-11 参議院

文教委員会公聴会

○公述人(久野収君) 善意であるか、つまり教育を取り締るような意思があるかということは別としてと、私は論じました。これについてはいろいろの議論の余地があるから、これについてはつまりこういう意図のいかんにかかわらず、結果としてこのようになる、だからいいという意図でお考えになったかもしれませんが、あるいは悪いとお考えになったかもしれませんが、そういうそんたくはできない。してもこれはむだであって、結果として現われてくるものは、そのような教育に

1956-05-11 参議院

文教委員会公聴会

○公述人(久野収君) 私はやはり政治の立場、官吏の立場から教育の問題を考えておられる結果、能率とか、あるいはまた統制とか、あるいは基本的、つまり原則を通すというふうな、いわゆる教育上における行政中心主義の立場から立案されたものだと考えます。従いまして私の主張するところの教育の問題は、父母と教師というものが中心にならなければならないという考え方に対しては、つまり対立するような考えで立案されておると思います。

1956-05-11 参議院

文教委員会公聴会

○公述人(久野収君) 私は国家の教育に対する、国家と申しますと、具体的には政府でありますが、中央政府の教育に対する責任というものは、衆議院の公聴会で矢内原先生がお述べになりました通り、民主主義の社会においては、行政の中では教育を特に独立さすという建前から申しまして、消極的であるという信念を持っている。つまり予算の整備であるとか、いろいろな事柄について配慮する。つまり教育的環境、教育に最も好ましい環境を作るという、そういう消極的な使命しか

1956-05-11 参議院

文教委員会公聴会

○公述人(久野収君) この点については、私はこのように考えております。やはり国を中心とする教育、国家の教育とか愛国の教育というものは、従来の最もいけなかったのは、愛国教育がいけなかったのじゃなくて、愛国教育の内容がいけなかった。なぜいけなかったかといえば、それは政府に対する無条件の、つまり批判を没した忠誠というふうなものだけを要求する。それを政府の命令に対して唯々諾々と従うような、そういう愛国心を愛国心の基礎において、国家的のものの基礎

1956-05-11 参議院

文教委員会公聴会

○公述人(久野収君) 私はその点については、衆議院の公聴会で矢内原先生がお述べになった通りであって、現在のこの教育法案はたった一つだけの法律的な現象でないと感じております。その他一連の小選挙区法案であるとか、あるいは憲法調査会法案であるとか、国防会議法案であるとか、その他一連の法案の、つまりそういう全体が流れていく方向が世界の変化、世界自身が変化していく方向に逆行して、前のところは帰る非常に危険な傾向を持っているのじゃないか。そうしてそ

1956-05-11 参議院

文教委員会公聴会

○公述人(久野収君) それは御意見の相違になると思いますが、つまり近代における官僚システムというものは、機構という言葉でいわれております通り、メカニズムという名前で呼ばれております通り、巨大な組織であります。そして一方のところを刺激すれば自動的にこういうふうになる。そういう点は機械と同じでありまして、この官僚機構の持っております大きな動きというものを、政治家がどのようにコントロールするかという問題は、これは政治学上、哲学上、あるいは思想

1956-05-11 参議院

文教委員会公聴会

○公述人(久野収君) 私は官僚機構というもののシビリアン・コントロールというのは、やはり政治家あるいはレーマン・コントロール、つまり普通の人々によるところの支配というものは法文にうたわれておったり、あるいはいろいろの仕方でいわれているほど簡単なものでなくて、これは非常にむずかしいことであるという点で今の委員の方と少し見解を異にする。この点についてのほんとうのコントロールの仕方というようなものを、やはり政治家などはほんとうに考えていただき

1956-05-11 参議院

文教委員会公聴会

○公述人(久野収君) 愛国心を事あらためて教育基本法の第一条の中にうたうことは、必要ないと思います。そういうことをうたえば、結局現在の段階では、つまり前の古い愛国心というものを形式的に、古い愛国心は、かつては国民をたばねるだけの力を持っていたのですが、今ではそういうものはありませんから、形式的にお題目的に唱えることになる。元来愛国心というものは、そういうお題目として唱えられるというようなつまり概念的なものであってはならない。静かに水のよ

1956-05-11 参議院

文教委員会公聴会

○公述人(久野収君) 今の委員の方の御質問は、大体御質問はお答えももう含んでおりますが、そのお答えについては原則的に賛成であります。第一番には、徳目を羅列するというふうな仕方は、封建時代の教育でありまして、封建時代の教育というのは、徳目を羅列しながら、その徳目を実際の人がやってみせて、つまり親のまねをする、上長の先生のまねをするということだけで、道徳というのは成り立ったのでありますが、市民社会の道徳ということになりますと、徳目を羅列する

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