「佐藤徳雄」の過去の国会発言

発言数 1,138件

初発言日: 1984-04-11  /  最新発言日: 1989-06-21  /  1 ページ目 / 全体 57ページ

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1989-06-21 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 私は、提出者を代表いたしまして、ただいまの法律案に対する附帯決議案について御説明を申し上げます。 まず、案文の朗読をいたします。 著作権法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案) 政府は、文化の発展に寄与する著作権保護の重要性にかんがみ、著作権思想の一層の普及に努めるとともに、次の事項について適切な措置を講ずべきである。 一 「実演家等保護条約」締結後における著作隣接権制度の円滑な運用を図る

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 重ねて同じことを質問するのであります。臨教審事務局のスタッフの職員は何部会の担当者でしたか。固有名詞を出せと聞いているのじゃないのだ。

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 それじゃ重ねてお尋ねいたしますが、今のお答えは特定の部会に所属していないというお答えですね、違いますか。私が聞いているのは、何部会に所属しているのかということをお尋ねしているのです。厳重処分を受けられた方が何部会に所属しているのかという質問なんですよ。

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 納得できません。氏名をこの委員会で公表するということが事実上できないとすれば、どなたが何の担当というのは後ほど知らせていただけますか。

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 これでいいとは思いません。思いませんが、これで時間をつぶすのはもったいない話でありますから、次に進めさせていただきます。 被処分者の中には臨教審事務局への出向者や高等教育局の在職経験者がいたと思いますが、いかがでしょうか。

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 それでは、昭和五十六年十一月に労働省が就職協定の監視役から撤退をしたはずであります。撤退を労働省がやったその直接的な理由、労働省の方はお呼びしておりませんけれども、関連する問題でありますから、文部省も既に十分御承知だろうと思いますのでお尋ねをいたしますが、労働省が撤退をしたその直接の理由は何であったのか、お答えをいただきたいと存じます。

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 もちろん、いずれ裁判で明らかになる話でありますが、しかしコメントを差し控えるというのはちょっと私は納得できません。 高石問題を初め、今度の問題は就職協定問題に絞られているようでありますが、実は就職協定問題だけではなくて、リクルート事件というのは非常に広範にわたっておりまして、その中心的な役割と申しましょうか、中心的な状況に文部省自体が置かれていたということは既に大臣御承知のとおりなのであります。そうだとすれば、裁判

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 大臣、当人にとってみれば処分というのは極めて重要な問題なんですよ。その中身については触れませんけれども、しかし少なくとも、あなたは社会的通念や社会的儀礼だとおっしゃっていますけれども、それではこの問題を当てはめるときに社会的通念とは具体的に一体どういうことだったのですか。

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 それでは、次にお尋ねをいたします。 藤波氏の起訴事実は、五十九年三月中旬ごろ官房長官公邸で江副氏から就職協定に関して請託を受けたとしているわけであります。 就職協定問題は、今お答えをいただきましたように、既に労働省が手を引いておりまして、所管は文部省であったはずであります。この文部省、当時の大臣はたしか森さんだったと記憶をしているわけでありますが、藤波氏が請託を受けるというのもどうなのかなというふうなことも考え

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 昭和五十九年二月三日に自民党が教育臨調構想を了承して、これが政局の焦点になったことは御承知のとおりであります。その法案作成過程で、首相の中曽根氏と文部省との間に意見の相違があったとよく伝えられておりましたが、そのため法案提出がおくれた、つまり意見が合わなかったという新聞報道等もあるわけでありますけれども、その相違点は当時どこにあったのでしょうか。

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 臨教審の事務局がありまして、絶えず事務局の皆さんは事務担当をされてきたのだろうと思いますが、その一任された後に文部省の担当者がどなたかわかりませんけれども、この起草について一任された後に文部省がこれに関与した事実があるのですか、ないのですか。

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 いろいろの御配慮からそういうお答えになったんだろうと思いますが、しかし、かなり臨教審問題は就職協定問題で、それだけではありませんけれども特徴的にあらわれている問題ですから、私は極めてこの問題を注視したためにお尋ねをしたわけであります。 そこで次にお尋ねいたしますのは、昭和五十九年三月十六日に当時の中曽根首相と森文部大臣との会談があったはずであります。臨教審委員の人数が、九人から十五人が二十五人に増員されました。その

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 昭和五十九年三月時点では既に臨教審委員の人選が始まったはずであります。三月六日、中曽根・森会談が行われておりますね。これは人選のお話があったのかどうかおわかりになりますか。

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 どうもおかしいですね。今のお答え、残念ながら非常にあいまいじゃないかというふうに受けとめざるを得ません。酒食やゴルフの接待、こう言いたいのでしょうけれども、酒食やゴルフの接待を受けるようになったのは、原因があって初めてそれが成り立つわけなのであります。ただ何とはなしになんていうことは考えられない。そうだとすれば、酒食やゴルフの接待を受けるようになったその原因は何だと把握をされておりますか。

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 今私が申し上げましたように、これで終局するということになれば、それでなくても政治不信が極めて高まっている折だけに国民が納得しないだろう、こんなふうにも私は考えるわけであります。国民の期待にこたえられるような法務省としての態度あるいは見解、特に検察に対する問題、こういう問題につきまして国民が納得のいくような捜査の進展なり状況というものをぜひつくっていただくことを私の方から指摘しておきたいと思うわけであります。 そこで

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 どうも都合が悪くなると答弁を差し控えたいというのを何回か聞くわけでありますが、質問する私にとりましては、そういう答えは極めて不満であります。 それじゃお尋ねいたしますが、臨教審事務局のスタッフ職員は何の部会の担当者だったのでしょうか。

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 それでは、この問題だけやりますと時間をとりますから、具体的な問題でお尋ねをしながら、大臣並びに担当者の見解をお尋ねしたいと思います。 まず、その第一は、昭和五十九年一月十二日、日経連の松崎専務、この方は中央雇用対策協議会の座長をやられておったはずでありますが、守られていない就職協定の廃止を発言したようでありまして、そして同一月三十日に就職問題懇談会、これは文部省、国公私立大学、十一団体で構成されているはずであります

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 本当は当時の大臣の森さんに来ていただいていろいろ事情をお尋ねすれば一番よろしいはずでありますが、いずれ機会があるでしょうから、文教委員会だけではなくて、その時点で明らかにされればこの一連の流れについての経過ないしは中心的な問題については浮き彫りにされるのじゃないかと私は思います。 さて、その次でありますが、五月十八日、これは読売新聞に掲載されているわけでありますけれども、関係者の話としてという前置きがついております

1989-05-24 衆議院

文教委員会

○佐藤(徳)委員 私の質問に的確にお答えになっていないようでありますが、こういう発言の事実に立ちまして、文部省は当時そういう発言を受けてどういう検討を行い、そしてどういう対策を行ったのかとお尋ねしているわけでありますから、質問に答えてください。

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