「前田榮之助」の過去の国会発言

発言数 724件

初発言日: 1947-07-02  /  最新発言日: 1966-07-26  /  1 ページ目 / 全体 37ページ

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1966-07-26 衆議院

体育振興に関する特別委員会オリンピック冬季札幌大会準備等に関する小委員会

○前田(榮)小委員 本日お二人の参考人の方に出ていただいて、札幌に冬季オリンピックの招致が決定いたしまして、当委員会も非常に心配をいたしておりますが、専門的な立場からの御意見を聞かしてもらって、まことにありがとうございます。 当委員会は、私が説明するまでもなく、御承知のとおりに、東京オリンピックの際は東京オリンピック特別委員会が持たれまして、万全を期して、それの準備、運営に当たるようにいたしたのでありますが、今回は国会におきましても

1966-07-26 衆議院

体育振興に関する特別委員会オリンピック冬季札幌大会準備等に関する小委員会

○前田(榮)小委員 まことにありがとうございました。 それで、それにつけ加えましてお尋ね申し上げておきたいのは、私は、いま委員長席におられる島村委員と、昨年候補地を見に参りまして、つぶさに現地を視察いたしてきたのでありますが、スケート場とかジャンプ台その他競技の種類によって多少の違いもあろうと思うのでありますが、ことにジャンプや回転、滑降の競技等は、観覧席と競技場の二つに分けられるものならば、こういう二つにかりに分けてみました際に、

1966-07-26 衆議院

体育振興に関する特別委員会オリンピック冬季札幌大会準備等に関する小委員会

○前田(榮)小委員 私ども現地を見まして、風の方向がどうだろうかとか、いまおっしゃった雪の質がどういう質だろうかというようなことも、現地でいろいろ話題になりまして、地方の専門家の方々からもいろいろ御意見を聞いておるのであります。大体文部省の考えについては、砂田君からもお話がございましたが、今までもたびたびわれわれは、もっと角度の変わったところで、文部省へ注文をつけたりいろいろのことをいたしておるのでありますから、それは本日は申し上げない

1966-07-21 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 当委員会は、さきに建設省に対しまして、開放計画を五カ年というように承っておりまして、そんな長い期間を要する必要はないじゃないか、この河川敷が東京都民をはじめ川崎その他付近の大衆のために当然利用せしめて、国民の体育振興、国民の体力つくり運動、これらに十分役立たしめるべきではないか、こういうことに基づきまして、三カ年以内に行なうよう本委員会は決議をいたして要請を申し上げてあるはずであります。その点について、大体どの程度内容

1966-07-21 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 相当御苦心をされて当委員会の希望を尊重されておるようでありまして、その点についてはわれわれも好感を持っておるわけでありますが、ただ、こういうことの計画は、計画であるけれども、さて実施になるとなかなか思うようにいかないのがいままでもよくあったことであります。しかし、この問題だけは最近における国民的な強い要望に沿うた大事な案件でありますので、そういうことのないように強く希望を申し上げておく次第であります。ことに、いま御説明

1966-07-13 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 これより会議を開きます。 私が年長者でありますので、衆議院規則第百一条第四項の規定によりまして、委員長が選任されますまで、委員長の職務を行ないます。 これより委員長の互選を行ないます。

1966-06-22 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 決議の動議を提出いたします。 まず本文を朗読いたします。 河川敷地の開放に関する件 政府は、河川審議会の答申に基づき河川敷地占用許可の準則を定めたのであるが、河川敷地占用の処理にあたっては、国民の健康の増進、体育、レクリエーション活動等の目的に供するため一般公衆の自由な利用が促進されるよう、昭和四十一年を初年度とし、三ケ年を目途とし開放計画を策定し、左記に掲げるものはこれに基づき処理方針を設けるべきで

1966-06-08 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 大臣にこの問題について早く御意見を聞こうと思ったのですが、閣議のほうで、このことについて多少進んだ具体的な方向については、まだ何らの協議等は行なわれておらないのでしょうか。

1966-06-08 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 大臣もすでに大体御存じだろうと思うのですが、体協の、いわば専門家の諸君の中でも、理解のある閣僚の方々がいらっしゃるのだから間違いはないとは信じながら、さて、どういうことになるだろうかということについて心配をされておる。それは七二年に開催されるまでに間に合うかなんて、そんなことを心配してはおらないようでありますが、少なくとも日本の選手に力強い強化を進めて、そして、しかも国際的な基準に合うた競技場で、できれば二年くらいは練

1966-06-08 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 これは私の希望を申し上げておきますが、どうかひとつ文部大臣が先頭に立って、計画的に、明年度はどれだけの予算が必要だろう、明後年度はどういう整備をしなければならぬだろうというものを早くきめていただいて、万遺憾のないように進めていただくことをお願い申し上げておきます。

1966-05-31 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 参考人の竹田委員長と原田市長、御両名が全力をあげて万全を期して運動していただいて、おかげで日本に誘致することができましたことについて、心から敬意と感謝を申し上げる次第であります。 さて、こうなりますると、この成果にこたえて最善を尽くさねばならぬと存ずるのでありますが、いま質疑の中にありましたように、組織委員会もまだできていないし、また、政府のほうでも担当大臣をだれにするかというようなことについても、まだ準備も不十分

1966-05-31 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 最後に体育局長にお尋ね申し上げますが、過般の当委員会におきまして、よく大臣とも相談をして、万遺憾なきを期してもらいたいという希望を申し上げておきましたが、本日も大臣がおいでにならぬので、私は心残りがするわけですが、あなたが本日御発言になったことも、あなた個人の御意見として、また考え方として述べられたのか、大臣ともよく相談をして、大臣の気持ちはこのとおりだというような考えで、またそういうように感じられて述べられたのか、ま

1966-05-31 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 次に原田市長にお尋ねなり、あるいは希望なりを申し上げておきたいと思う次第でありますが、特に地元市長として、何か非常な責任がおっかぶさったような気がして、市長としての今後の行動については多大な御心配をされることだと、私は心から敬意を払うと同時に、御同情も申し上げておる次第であります。 そこで、この札幌における競技場というものは、私、先年参りましてながめてみまして――もちろん今回の運動も合理的であり、しかも、りっぱな運

1966-05-11 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 体育局長にお尋ねいたしたいと思うのでありますが、過般の当委員会において文部大臣に、冬季オリンピックが札幌に誘致決定を見たことについて、要望なりまた大臣の御意見等も伺ったのであります。しかしその際には、文部大臣非常に時間を急いでおられまして、ほんとうに二、三にとどめざるを得なかったのであります。きょうも、実は大臣が御出席していただけるものだと思って、大臣に御質問を申し上げたい、また要望もいたしたい、こう考えておったのでご

1966-05-11 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 御答弁大体了解をいたしましたが、そこで、私はもう一つ御希望申し上げておかなければならぬのは、要するに、札幌におけるいま候補地になっておるところを、私の観察いたしました結果から申し上げますと、世界各国のいろいろな設備の事情も承りましたが、雪の質といい、風の方向といい、それから札幌市を中心とした距離といい、諸条件がきわめてりっぱで、おそらくいままでの冬季オリンピックに使われた各国の施設に、条件として劣らないところであるとい

1966-05-11 衆議院

体育振興に関する特別委員会

○前田(榮)委員 最後に、一つお願いを申し上げておきますが、組織委員会ができまして具体的な案の作成にかかられると思うのでありますが、それについて、できました際には順次資料として当委員会へも出していただいて、当委員会は、かつての東京大会のオリンピック特別委員会と同様に、ひとつ委員で真剣に研究しながら進めたいと思う次第であります。そのようにひとつ文部省もがんばっていただくことを御希望申し上げまして、私の質問を終わることにいたします。

1966-05-10 衆議院

社会労働委員会

○前田(榮)委員 委員長、関連してちょっと。実は竹原というのは、なくなられた池田総理の出生地なんです。それで私も近いところで、大体事情は知っておるわけです。しかもいま吉村委員が言われたような事情に加えて、伊藤忠というものが竹原造船を利用したのか、竹原造船が伊藤忠という看板を一部――全部じゃない一部利用して売り込んだのか、そういう点はいろいろ想像ができると思うのですね。しかも通産省がしっかり考えてもらわなければならぬのは、三十八年ごろには

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