「塚本政雄」の過去の国会発言

発言数 111件

初発言日: 1962-08-15  /  最新発言日: 1980-11-13  /  1 ページ目 / 全体 6ページ

発言データをコピーしてAIに貼り付けると思想・価値観・主義主張などの分析ができます
※AIによる分析結果は必ずしも事実とは限りません。正確な判断はご自身でお決めください。

📊 統計データを集計中です。しばらくしてからページを再読み込みすると表示されます。
1980-11-13 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) これはおっしゃるとおりでございまして、最初二千名というのは大使館に登録している方でございまして、三カ月ビザでもって入っております短期の旅行者あるいはそういう三カ月程度のプロジェクトをやって帰る人は、必ずしもその大使館への登録といいますか、そういったものの義務を免除されておりますものですから、したがいまして、最初の段階で、確かにその後の二千名というものは、その後の段階において大使館が掌握したと、こういう事実は事実で

1980-11-13 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) 在留邦人の生命、安全の保護、監督というのは、これは大使館の第一義的な職務でございまして、私ども今次紛争が始まりまして以来、伊東外務大臣からもじきじきに、人命第一主義に徹して邦人の救出その他に全力を尽くして当たれと、こういう指示のもとに今日まで当たってまいったつもりでおります。

1980-11-13 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) お答え申し上げます。 九月二十二日紛争発生時におけるイランの在留邦人は約千七百名、それからイラクは四千百名、合計五千八百名ほどの邦人が在留しておりました。 それから累次にわたるイラン及びイラクからの出国によりまして、現在までイランから出国いたしました邦人は千百七十名、イラクからは二千四百五十名の邦人が無事出国いたしました。したがいまして、現在イランに残留いたしておりますのは五百七十名、イラクには千六百六十

1980-11-13 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) これは御案内のとおり、イランの石油化学プロジェクト関係者七百八十名はすでに全員引き揚げてまいりましたので、それ以外のいろいろの日本とイラン、日本とイラクとの現在石油関連の関係でのプロジェクトがたくさんございます。こういうプロジェクトの現地サイトにおける保管管理という最少限の人が残っておりまして、現地大使館の報告によりますれば、現在それらの人、したがいましてイランに残留しております五百七十名、イラクの千六百六十名は

1980-11-13 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) お言葉をお返しするようでございますが、九月二十二日の前の段階において、イラン及びイラク在留邦人についてはいち早く訓令を発しまして、それぞれの数字については私どもとしては掌握していたつもりでございます。

1980-11-13 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) 確かに紛争勃発当初は若干イラク政府側が出国ビザを出していただけなかったり、あるいは国境へヨルダン側からの館員を派遣したのでございますが、イラク側に入れなかったというようなことがありまして、一応の批判が若干出たことは事実でございますし、残念なことに、これらの方々がお帰りになってのお話ではそういうようなことが伝わったかもしれませんけれども、少なくとも九月第一週が過ぎまして、イラク側の出国ビザも要らないというような段階

1980-11-13 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) そういうような事実は全然ございません。これは引き揚げ勧告を発するとかなんとかという点につきましては、御案内のとおりEC諸国とかやっぱり相手国政府との関係もございますので、そういう点については協議いたしましたけれども、少なくともイラク、ただいま申しました四千百名のうちから、過般にわたって今日まで一名のと言うとちょっと語弊ございます。確かにイラクからトルコ経由の二名の人は、足に銃創を受けましたから、その限りにおいては

1980-11-13 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) 今次紛争が始まりまして、従来ともそうなんでございますけれども、大使館、大使以下関係官と在留邦人の幹部代表、あるいはときには総会でもって、その周辺のところで常時、イラクはほとんど一週に二回ほど会合を開きまして、一体どうしたらいいか、どこを脱出していけばどういうふうにして行かれるかというような情報の交換会議はきわめて頻繁に今日までも行われております。それから特にその運輸部会におきましては、確かに日本政府といたしまして

1980-11-11 衆議院

内閣委員会

○塚本説明員 お答え申し上げます。 先生の第一の質問でございます移住理念の変遷と申しますか、御指摘のとおり、わが国戦前戦後を通じての、主としてブラジル、対南米、中南米への移住は、伝統的に農業移住が主でございました。しかし、最近におきましては、日本側の状況も、そういう派遣の要請もございませんし、一方ブラジルサイドの受け入れ自身が、その種の移住はもういっぱいで結構である、こう変わってきておりまして、まさに先生御指摘のごとく、技術と資本を

1980-10-16 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) その種の正式命令が出たとは聞いておりません。出しておりません。出してないと承知しております。

1980-10-16 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) 次官と在京のイランの大使とのお話はきょう午後三時から行われております。したがいまして、そこでの結果はもうしばらく待ちませんと事情はわかりません。 なお第一問に関連いたしまして、これは先生の御指摘の点は例のバンダルアバスという港から東亜建設の五十一名の方が出国する問題と思いますので、この点ちょっと補足的に御説明を申し上げます。 昨日までの段階では東亜建設側のどちらかと言うと一方的な事情を伺っておりまして、先

1980-10-16 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) 御指摘のとおり、この引き揚げ勧告、あるいはそれを一つトーンを落としますと勧奨と申しておりますけれども、このタイミング、一番心配しているところでございます。かつて、先生御承知のとおり、サイゴンの陥落時わが方の日航機がせっかくマニラまで行っていながらその救援機は入れないままに帰ってきた、こういうケースがございます。したがいまして、仮想に流れても何でこんなに帰ってきちゃったんだと、それからまた一人でも傷ついたり、入って

1980-10-16 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) 少なくともケース・バイ・ケースに行われておるわけでございます。全体的な意味において、イランから外国人の出国を禁止しているというようなことはございません。現にテヘランから陸路、特にこれはトルコ・ルートでございますが、私たちが承知している限りにおいては百名の方——第一陣として四十五名、その後十何名、それからさらに三十何名で、約百名の方が脱出したと承知しております。

1980-10-16 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) まさに日航機がテヘランに着陸できないということで、何とかしてこのルート開拓に現地の大使館及び周辺大使館と連絡をとりまして、ただいま三つとお話でございますが、私の方は四つございます。 その第一は、トルコ。おっしゃるとおりトルコに抜けるわけです。これ小さいのでちょっとおわかりにくいかと思いますけれども、(地図を示す)テヘランから国境を越えてトルコのエルズルムというところへ行って、これからはトルコ側の空路がございま

1980-10-16 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) まさに日本単独ではなかなかむずかしい場面が、たとえば船の問題、このイラク側の国境線に、詳しくはバスラでございますが、そこに日本船が八隻、詳しくは日本籍船は五隻でございますが、そういうものが泊っておりますので、これの共同脱出の問題、それからただいまイラン地区、特にテヘランに集結しました千七百名程度の日本人だけではなかなかむずかしいものでございますから、先ほど申しました西欧諸国とともに共同的にこれをあれという話は、船

1980-10-16 参議院

外務委員会

○説明員(塚本政雄君) ただいまの大臣の御発言で尽きているわけでございますが、なお事務当局側の考え方をちょっと敷衍して御説明申し上げます。 まさに昨日、渡辺先生から同様の御指摘がございました。そのとき私の方で申し上げました数字が必ずしも正確を期し得ませんでしたので、そこで昨夜帰りましてから急遽、大臣の御指示もあり、このようなものをつくって、この数字を精査したわけでございます。 そこで、これに基づきまして、出国者中、先ほど申し上げ

← トップへ戻る