文部科学委員会
○大森参考人 私からは、教育課程基準の問題点と改訂の課題について、カリキュラムオーバーロード論も手がかりにしながらお話をさせていただきます。 カリキュラムオーバーロードという言葉が日本語の文献に表れるようになったのは、二〇二〇年頃からです。文部省からOECDに出向して、小中の指導要領が二〇一七年に告示された直後に文部科学省に戻る、そうした経歴の白井俊は、その語義について、一般に、カリキュラムにおいて、学校や教師、生徒に過大な負担がか
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発言数 9件
初発言日: 2025-06-13 / 最新発言日: 2025-06-13 / 1 ページ目 / 全体 1ページ
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○大森参考人 私からは、教育課程基準の問題点と改訂の課題について、カリキュラムオーバーロード論も手がかりにしながらお話をさせていただきます。 カリキュラムオーバーロードという言葉が日本語の文献に表れるようになったのは、二〇二〇年頃からです。文部省からOECDに出向して、小中の指導要領が二〇一七年に告示された直後に文部科学省に戻る、そうした経歴の白井俊は、その語義について、一般に、カリキュラムにおいて、学校や教師、生徒に過大な負担がか
○大森参考人 御質問いただきまして、ありがとうございます。 今御指摘のございました、通信制高校の広がりですね。 実は、私のゼミ生の中にも、かつて、通信制高校を経て大学に来た学生がおりました。その学生が申しますには、進学の普通高校に、いわゆる進学校に進んで張り切って勉強したんだけれども、何かそこになじむことができない、そういったところで随分悩みまして、通信制高校に行きまして、そこでは本当に温かく受け止めてもらえたということが、本人
○大森参考人 御質問ありがとうございます。 減らすのはやはり難しいところがございます。私も大学で教員をしておりますので、小学校でも大学でも、教員には、学生のためになるなら、子供のためになるなら頑張ってこれもあれもやはり教えていこう、そういう気概のようなものもございます。 でも、この間、もうそういったことが限界になっていますし、教員のサイドだけではなくて、日本の教育課程の在り方というのは、やはり教育課程基準の影響が大きいものでござ
○大森参考人 御質問ありがとうございます。 私は、常々、教育研究の最前線は小中高の現場にあると考えているんですけれども、東京で、葛西であったり、あるいは新宿であったり、外国にルーツを持った子供たちがたくさんいる学校でずっと勤められてきた先生方からこういうことを教わったんですね。 その先生方、初めのうちは、やはり、外国から来た子供たち、日本語がハードルが高いですから、そこをケアするのが一番大事だろうと思って、一生懸命教えるんです。
○大森参考人 御質問ありがとうございます。 やはり今いただいた内容というのは、教育課程の在り方と本当に直結するなというふうに思っているところでございます。 お手元の私の資料なんですけれども、八ページをちょっと御覧いただけるとありがたいです。 一番下のところなんですけれども、例えばなんですが、小学校で教員の勤務が八時十五分から十六時四十五分という場合です。これは、学校によって違いはございますけれども、今の標準時数ですと一日六時
○大森参考人 小学校、中学校、高校、これは大学も共通かもしれませんけれども、例えば国についての理解が曖昧なままの状態でいいのかということでもあると思います。 やはり、教育、特に小学校のことでいいますと、子供たちを科学の世界にいざなっていくということがあると思います。そうした中で、社会の仕組みであるとか、自国のこともそうですし、他国のことも含めて、しっかりとした認識を形成していく。段階としては、子供たちは、やはり初めは、低学年ではすご
○大森参考人 御質問ありがとうございます。 私も、柔軟性であったり裁量という言葉はとても大切な言葉だなというふうに思っております。そのときに、柔軟性あるいは裁量性、言葉は一つでも、歴史の中でちょっと意味合いが異なっているのかなというふうに考えております。多くの人が思っている以上に、戦前にも実は柔軟性や裁量性も部分的にはございました。 例えば、授業時数ですと、週二十こまという形に決まっておりますから、これは大変分かりやすいですよね
○大森参考人 御質問ありがとうございます。 まず、裁量の問題については、問題の大きさに対する整理がまだ教育学では十分にできていないところもあるかもしれません。 まず、裁量の主体の問題がございまして、一般的に教育界で裁量という言葉を使うと、それはたくさんあった方がいいよねということになりがちなんですけれども、裁量の主体が誰なのかということが一つポイントになってまいります。 例えば、地方分権の時代ですから、国との関係で教育委員会
○大森参考人 今の御指摘は、通知そのものの問題と、それから、通知を支えている様々なメカニズムもあるかもしれないというお話であったように思います。 その通知を支えているものということでいいますと、ちょっと三ページを御覧いただけるとありがたいです。ここで、六八年から二〇一七まで、小学校、中学校それぞれの標準時数、五年生と中学一年生だけですけれども、全体像を示しております。 この中で、ゴシックの数字があるんですけれども、これが何かと申