外務委員会
○新原参考人 まず、坂元先生が先ほど言われた点ですけれども、この報告書の二十四ページに「交渉当時、」と一般的に書いておられるんです。「交渉当時、その解釈を日本側に明らかにした形跡はない。」その解釈というのは、核搭載艦船寄港を事前協議の対象外にするということなんですね。 ですから、確かにフォーミュラを詰めたのはもっと後になるかもしれませんけれども、事前協議の定式、つまりフォーミュラ、これをアメリカが提案したのは一九五八年の十月四日が最
日本の国会議事録 全文検索
発言数 8件
初発言日: 2010-04-02 / 最新発言日: 2010-04-02 / 1 ページ目 / 全体 1ページ
発言データをコピーしてAIに貼り付けると思想・価値観・主義主張などの分析ができます
※AIによる分析結果は必ずしも事実とは限りません。正確な判断はご自身でお決めください。
○新原参考人 まず、坂元先生が先ほど言われた点ですけれども、この報告書の二十四ページに「交渉当時、」と一般的に書いておられるんです。「交渉当時、その解釈を日本側に明らかにした形跡はない。」その解釈というのは、核搭載艦船寄港を事前協議の対象外にするということなんですね。 ですから、確かにフォーミュラを詰めたのはもっと後になるかもしれませんけれども、事前協議の定式、つまりフォーミュラ、これをアメリカが提案したのは一九五八年の十月四日が最
○新原参考人 まず、NCND政策の問題ですけれども、私は率直に言いまして、今回の有識者委員会の報告書のアメリカの軍事戦略の歴史を書いた部分で大変がっかりしたんです。本当の意味でアメリカの核戦略をちゃんと勉強した人が書いたのじゃないという気がするんです。 ニーザー・コンファーム・ノア・ディナイ、アメリカの核兵器の所在を否定も肯定もしない、確かに日付だけ書いてあります、一九五八年一月二日、国務省やその他のアメリカの省庁が集まってこれをや
○新原参考人 御指名をいただきました新原昭治でございます。 私は、アメリカの国立公文書館などで、一九八七年に初めて解禁文書調査を行いました。そのとき日本への核持ち込みに関する日米核密約の存在を裏づける解禁文書を見つけましたが、米解禁文書で日米核密約があるということがわかった最初の機会になりました。 そういうわけで、私自身、大変強い関心を持ちましてこの問題を追い続けてきました。十年前に退職して、その後、ほぼ毎年、アメリカの国立公文
○新原参考人 実は、九一年、九二年のときに一つの問題がありました。NCND政策、つまり核兵器の所在を海外で否定も肯定もしない政策、これを続けるということを九一年当時に国務、国防両省の首脳が明らかにしまして、その理由として、再び有事その他のときに海外に持ち込む必要があるだろうからということを言いました。 それから、もう一つは、クリントン政権になりまして、九四年の九月に核体制見直しを出しました。そのときに、水上艦艇からは核兵器をおろすけ
○新原参考人 端的に言いますと、非核神戸方式のような方式を国がとる、あるいは非核三原則を例えば法制化する、あるいは、政府の方針としても、相手側に、入ってこようとするすべての国の軍艦に核兵器を積んでいないということを証明させる、そういう措置をとって、やはり非核三原則を実際に守るしかないんじゃないかと思います。
○新原参考人 まず、今回の四密約の問題と非常に接近している問題で、さっき岩国の問題でほかの委員の方がお尋ねになったこととも関係しますけれども、一九六〇年の核持ち込み密約には実はもう一本あるということはアメリカの解禁文書からわかっています。これは、イントロダクションについての文字にされない口頭の了解というふうに理解していますけれども、もし核を貯蔵するということについてアメリカが申し入れてきた場合に好意的に回答するという内容らしいと私は見て
○新原参考人 先ほどもちょっとほかの委員からの御質問で申し上げましたけれども、今、日米間にこういう密約があるとわかっているものがありますね。やはりそこに一つは的を絞って調査をする。それは外務省がやるということもあるでしょうし、またやはり国会が主導してやっていただくということもあるでしょうけれども、今回の経験に学んで、今回の、よかった点も当然あると思いますけれども、やはり改善しなきゃいけない点もあると思うんですね。 同時に、そういう第
○新原参考人 お答えします。 私は、先ほど我部さんもちょっとお触れになったんですけれども、日米の密約をずっと見ていると、言葉は違うかもしれませんが、日本側の行動を束縛したりするものが多くて、アメリカ側の行動を束縛するような密約はないという趣旨のことを言われたと思うんです。 それで、戦後の密約を見ていますと、やはり日米安保条約の根幹から来ている。その日米安保条約というのも、七年間にわたる全面占領、沖縄の場合は一九七二年まで続いた二