「日高一男」の過去の国会発言

発言数 22件

初発言日: 1979-07-11  /  最新発言日: 1979-07-11  /  1 ページ目 / 全体 2ページ

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1979-07-11 衆議院

航空機輸入に関する調査特別委員会

○日高証人 住友商事とグラマン・インターナショナルが結んでおりました契約書は総代理店契約でございまして、グラマン社の全製品を取り扱うことになっております。それで、昭和四十四年の八月十五日に契約が切れたのでありますが、その後の契約の内容につきましては、私は存じません。

1979-07-11 衆議院

航空機輸入に関する調査特別委員会

○日高証人 お答え申し上げます。 私の記憶では、昭和四十三、四年ごろは、AEWにつきましてはいまだ研究とか開発とかいう段階でございまして、この飛行機を装備するか装備しないか、あるいは国産するか輸入するか、そういうことが検討されておった時代だと思います。

1979-07-11 衆議院

航空機輸入に関する調査特別委員会

○日高証人 お答え申し上げます。 グラマン社から一方的に突然通知が参りました。それで、私たちは、なぜそういうものがグラマンから参ったかということは理解できませんでした。 以上でございます。

1979-07-11 衆議院

航空機輸入に関する調査特別委員会

○日高証人 私たちは、グラマン社がどうして私たち住友商事を切ったのかということ以外には考えておりませんでした。そういう後ろでいろいろなことがあったというようなことは全然感じませんでした。

1979-07-11 衆議院

航空機輸入に関する調査特別委員会

○日高証人 大正九年二月二十日生まれ。現住所、東京都練馬区石神井台二丁目十四の三十六号。職業、元住友商事株式会社機械電機本部航機部長兼電子機器部長でありました。ただいまは会社の役員をいたしております。

1979-07-11 衆議院

航空機輸入に関する調査特別委員会

○日高証人 非常にむずかしい御質問でございまして何なんですが、私自身はいま振り返ってみますと、その当時私を初め住友商事に力がなかったものだ、こういうふうに思います。この点申しわけありませんが、会社に対しましては。

1979-07-11 衆議院

航空機輸入に関する調査特別委員会

○日高証人 チータムが日本に来たということも私はいま記憶にございません。なお、チータムが日本に来て住友商事に来たから住友商事はどういう売り込みをしているかというレポートを書けというようなことも上司から指示がなかったと思います。

1979-07-11 衆議院

航空機輸入に関する調査特別委員会

○日高証人 お答え申し上げます。 昭和四十三年の七月の中ごろ、グラマン・インターナショナルから住友商事のニューヨークの方に、先ほどお配りしたと思いますが、そういう趣旨の住友商事の代理店を解約するという手紙が参りました。そこで、その当時住友商事のニューヨークにおられました稲葉常務から東京の柴山副社長に国際電話がございまして、実はこういう手紙が来たという電話がございました。それで私は柴山副社長から、ニューヨークヘ行って稲葉常務をお手伝い

1979-07-11 衆議院

航空機輸入に関する調査特別委員会

○日高証人 お答え申し上げます。 責任をとったのではありません。住友商事という会社は、私が仮にそういうことで仕事に敗れたからというようなことで会社が責任をとらせるとかやめさせるというような会社では私はないといまでも信じております。 先ほど申し上げましたように、日本ミネチュアベアリングの社長の高橋高見さんから来ないかというお誘いがございまして、たまたまそのころ、私は自分の心の片すみにちょっとおもしろくないこともございまして、その高

1979-07-11 衆議院

航空機輸入に関する調査特別委員会

○日高証人 お答え申し上げます。 私がチータムに会いましたのは、その交渉に行ったときの一回だと記憶いたしております。その前にチータムが日本に来まして住友商事の方に会っておられるとしますと、私以外の上司に会われたのだと思います。それで、私はその内容はわかりません。

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