「福井与明」の過去の国会発言

発言数 281件

初発言日: 1975-11-12  /  最新発言日: 1979-06-01  /  1 ページ目 / 全体 15ページ

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よく話すテーマ

1 病院
5
2 北朝鮮
2
3 自衛隊
1
4 農業
1

年別発言数

1979
2
1978
125
1977
41
1976
2
1975
111
1979-06-01 衆議院

運輸委員会

○福井説明員 現在、成田現地の空港周辺の団結小屋でございますが、これは三十四ございますけれども、そのうちの三つは大きな闘争のときに一時使用する分でございますから、三十一の団結小屋に約百八十人の極左暴力集団が常駐をしております。もちろん大きな闘争を組みました際には、全国から集まってまいりますので、たとえば先般の五月二十日の開港一周年闘争全国集会の際には、極左三千を含む四千三百というのが現地に集まってきておりますが、百八十というのが常駐をし

1979-06-01 衆議院

運輸委員会

○福井説明員 これも情勢によって若干流動がございます。たとえば、さきに触れました五月二十日の際には、全国から四千の応援を含めます七千という警備部隊で対処いたしましたけれども、通常は空港警備隊を中心に三千人の体制で空港本体及び関連の航空保安施設の警戒警備を実施しております。

1978-12-22 衆議院

逓信委員会

○福井説明員 十二月二十日の事案でございますが、被害に遭いました十五人のうちの十一人は高校生でございます。残りは大学生等でございますが、一人の高校生に対して、二人ないし四人から五人の革マル派系と思われる者たちが襲って、被害者の体にペンキをかけたり、あるいは業務のために使用しておる自転車のタイヤを鋭利な刃物で刺してパンクをさせたという事案でございます。 革マル派は、最近の機関紙を見ましても、たとえば一番新しいものでは、十二月二十五日付

1978-10-20 衆議院

法務委員会

○福井説明員 極左暴力集団のまず組織実態でございますが、三万五千という数字でここ数年、四十九年以来横ばいでございます。組織的にはこの傾向が今後も続くと見ております。しかしながら、行動面では、爆弾とか火炎びんを使いましてテロ、ゲリラを敢行するなり、あるいは内ゲバ、日本赤軍の関係者を含めての国内外における動向について警戒を要する、こういうふうに見ております。 一般の方が被害にかかる可能性の最も大きい爆弾事件について少し触れさせていただき

1978-06-06 衆議院

運輸委員会

○福井説明員 まず、成田現地で極左暴力集団の活動拠点になっております団結小屋の数から申し上げますが、三十三ということできておったわけでございますけれども、途中に若干出入りがございまして、四月十七日に芝山町の菱田と芝山町朝倉の官並台に一つずつ新しい団結小屋ができました。ところが五月に入りまして、五月上旬、三日から十日くらいの間ということで見ておりますが、芝山町朝倉の山王台にありますインターが主として使っておりました、われわれ一応整理上朝倉

1978-06-06 衆議院

運輸委員会

○福井説明員 いわゆる新立法の使用禁止命令等を発動する際には、法律の三条の一項の各号に掲げられた厳密な要件がございます。したがいまして、ただいま申し上げました団結小屋が直ちにその要件を備えておるというふうには見ておりません。

1978-06-06 衆議院

運輸委員会

○福井説明員 ことしに入りまして団結小屋八十二カ所を捜索しております。四千七百点ばかり押収をしておりますけれども、残念ながら団結小屋から火炎びんを押さえるという状況にはございません。いわゆる大きな闘争の前に三里塚の現地を検索しまして、団結小屋以外の山の中等からかなりの量の火炎びんを見つけることはございますけれども、団結小屋から捜索によって火炎びんを見つけたという事例は、残念ながらことしに入ってございません。 そこで、一番考えられます

1978-04-28 衆議院

法務委員会

○福井説明員 昨年の九・二八の日航機乗っ取り事件の犯人と釈放犯でございますが、犯人のうち四人はことしの三月六日にICPOの国際手配になっております。それから釈放犯の六人は、三月八日までに同じくICPOの国際手配になっております。 ところで、この者たちの所在でございますが、アルジェリアから出国したという確証は残念ながら持っておりません。ただ、いろいろ情報を総合いたしますと、すでにアルジェリアを出国しておる可能性は十分にあると見ておりま

1978-04-14 衆議院

法務委員会

○福井説明員 警察の場合には極左暴力集団という言葉を使っておりますが、これはできましたいきさつがそれぞれございますので一括して極左暴力集団の概念を申し上げるのはなかなかむずかしいわけでございますけれども、ごく平たく特徴を申し上げますと、たとえばトロツキズムとか、もちろんマルクス・レーニン主義もそうでございますが、それから毛沢東思想、いろんな思想をごった煮風にしまして自分たち独自の主張をすると申しますか、そういう特徴がございます。それから

1978-04-14 衆議院

法務委員会

○福井説明員 「よど号」事件に何を学んだかという御質問でございますが、一つは、「よど号」事件で北朝鮮へ逃亡しました九人の実行犯のうち四人は、四十四年の一月十八日から十九日にかけましての例の東大の封鎖解除の際に、立てこもっておって逮捕された人物でございます。そういう事犯を繰り返しておった者がああいうハイジャック事犯の犯人になっておったということが一つあるわけでございます。 それから、共産同赤軍派の海外根拠地をつくっての世界同時革命とい

1978-04-14 衆議院

法務委員会

○福井説明員 まず規模でございますが、ここ数年総結集勢力は約三万五千で横ばいというふうに見ております。ただ、その中身でございますけれども、警察としてつかみます一番重要なつかみ方でございますが、彼らが全国動員と称して集まってくる場合がございます。そういうものをずっと集計しておるわけでございますが、たとえば中核派で申し上げますと、今回の三・二六の集会デモに千八百人集めておりますけれども、これが去年、ことしを通じての最高でございます。それから

1978-04-14 衆議院

法務委員会

○福井説明員 まず組織の総結集勢力のいわゆる増減の傾向ということでございますけれども、四十九年ころからは三万五千で横ばいというふうに見ております。ピークは四十四年末の五万三千五百という数字でございますけれども、それから漸減してきまして四十九年ごろから横ばい、こういうことでございます。 それから組織同士の共闘ということでございますが、これはそのときそのときの闘争のテーマによって離合集散ございますけれども、今回の三・二六の事犯を通じて見

1978-04-14 衆議院

法務委員会

○福井説明員 かつては反目し合っておったのが共闘の方向に来ておるのじゃないかという御趣旨の御質問だと思いますが、そういうふうには見ておりません。今回の三里塚闘争にも中核、革労協と対立関係にあります革マル派は現地にも行っておりません。行けない状況でございます。それから、第四インターと中核等が例のいわゆる横堀要塞に一緒に入っておるではないかという御指摘がございましたが、確かにそれはございました。ところが、それぞれ自己主張の強い連中同士でござ

1978-04-14 衆議院

法務委員会

○福井説明員 三里塚で反対同盟ができましたのは四十一年と記憶しておりますが、極左が三里塚闘争に本格的に介入いたしましたのは四十三年の二月ごろからでございます。要するに、三里塚に空港をつくることには反対ということでは地元の農民の一部の人々と極左の連中の主張が同じであるということで入っていったわけでございます。それで、委員御指摘のように、確かに三里塚では反対同盟のまるきり反対に遭っては動きづらい事情がございますので、たとえば集会等も反対同盟

1978-04-14 衆議院

法務委員会

○福井説明員 まず、よど号事件の当時の経過を申し上げます。 「よど号」事件の犯人らの一番大きな資金源は、「よど号」事件は四十五年の三月三十一日でございますけれども、四十六年に一連の銀行強盗等を彼らは敢行しております。三月九日には横浜銀行の相武台の出張所を襲いまして百五十万くらいの金を奪っておりますし、それから五月十五日には、小学校のいわゆる給料の入ったものを強奪をして、三百数十万円というのを奪った事件がございますが、そういうものが一

1978-04-14 衆議院

法務委員会

○福井説明員 資金源というのは一番内容をつかみづらい部分でございますが、さっき例を一つ申し上げましたけれども、ごくごく単純に申し上げまして、たとえば百万のものを、組織の勢力が三千人としますと三十億でございますから、これは大変な金額でございますが、そのほかに、たとえば三里塚に常駐をしておる連中が百数十人くらいおりますが、この連中は、援農と称して地元の反対同盟の農家の作業の手伝いをやることがございます。その際に、金銭の形で反対給付を受けるこ

1978-04-14 衆議院

法務委員会

○福井説明員 まず日本赤軍でございますが、三月十五日付の人民新聞で声明をしておるわけでございますけれども、三里塚の闘う農民の皆さんという書き出しでございますが、そうして、中では、日本赤軍は三里塚に結集した闘う仲間たちとあらゆる場所で一体となって闘い抜いておるという趣旨のことを言っております。ですから、気持ちとして日本赤軍が三里塚現地の闘争に連帯を表明しておることは間違いないわけでございます。じゃ、具体的にどうかということでございますけれ

1978-04-14 衆議院

法務委員会

○福井説明員 朝日ジャーナルの現地ルポを私不勉強で目を通しておりませんが、これは朝日ジャーナルの一つの見方だろうと思いますけれども、反対同盟発足当初は、戸数で三百戸ぐらいだったというふうに理解しておりますが、先般の三・二六の集会の際に出ておった人たち、これもなかなかつかみづらいわけでございますけれども、百二十人程度と私たちは理解しております。ですから、朝日ジャーナルの言うように、あの地域に空港建設に反対するそういう人たちが満ち満ちておる

1978-04-11 衆議院

法務委員会

○福井説明員 昭和四十年以来の件数でございますが、百五十件発生しておりまして、うち百四十七件、百五十七人を検挙しております。 未検挙の事案でございますが、四十五年の三月三十一日の例の日航機「よど号」ハイジャック事件、それから四十八年の七月二十日の、やはり日航機ハイジャック事件、それと昨年の九月二十八日の日航機乗っ取り事件、以上でございます。

1978-04-11 衆議院

法務委員会

○福井説明員 日本赤軍は共産同赤軍派の理論的な流れをくんでおります。しかもリーダーの重信房子はかつて赤軍派の中央委員の一人でございました。しかしながら四十六年の十一月ごろに両者は訣別をしておりますので、厳密に申し上げますと直接の組織的なつながりは国内の極左と日本赤軍はございません。 さっき申し上げました共産同赤軍派、これはその後幾つかに分かれておりますが、その赤軍派のプロ革派と称するのは今回の三月二十六日の成田での集会デモにも参加し

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