「若狭得治」の過去の国会発言

発言数 971件

初発言日: 1959-08-10  /  最新発言日: 1976-03-01  /  1 ページ目 / 全体 49ページ

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1976-03-01 衆議院

予算委員会

○若狭証人 当時の、もう五年前の記憶でございますので明確ではございませんけれども、実は大庭社長がおやめになるということは、突然私に大庭さんから告げられたわけでございます。そういう状態でございまして、そのときに同席いたしましたのは私と先日証言いたしました渡辺副社長の二人でございまして、私一人で大庭社長のお話を承ったという事実はございません。また、先ほどからお答えいたしましておりますように、ダグラス社との間のオプション契約をしたからよろしく

1976-03-01 衆議院

予算委員会

○若狭証人 私にももちろん、一切そういう記憶はございません。また、この前同席いたしました渡辺君に記憶のないことも、あのときお聞きになったとおりでございます。そういう事実は絶対にございません。

1976-03-01 衆議院

予算委員会

○若狭証人 先ほども申し上げましたとおり、機種選考はその緒についたばかりの段階でございます。したがいまして、常務会でそういうような御発言が出たということは全く記憶いたしておりません。

1976-03-01 衆議院

予算委員会

○若狭証人 そういうオプション契約があったということを私は存じませんし、そういう問い合わせがあったという事実はございません。

1976-03-01 衆議院

予算委員会

○若狭証人 私は、先ほどから何回も申し上げておりますように、大庭社長からそのような引き継ぎを受けた記憶は全くございません。ただ、前社長と私がいまここでこういうようなお話をしなければならないということはまことに残念でございますけれども、当時の状況を申し上げますと、その午後までは大庭さんがおやめになるということは私たちも全く知らなかったことでございます。私が大庭さんの部屋に呼ばれて、私と渡辺君が呼ばれて初めて大庭さんからおやめになるというこ

1976-03-01 衆議院

予算委員会

○若狭証人 先日の証言でも申し上げましたとおり、私は昭和四十五年の二月に全日空の新機種選定準備委員会の調査団長としてアメリカへ参りました。この前も申し上げましたとおり、準備委員会は四十五年一月に結成されておるわけでございますが、二月に担当者十数名をもってアメリカへ参りまして、ボーイング社、それからダグラス社、ロッキード社、三社を回ったわけでございます。そうしまして、二月の末に帰ってまいりまして、三月にはその資料を整理しておりました。これ

1976-03-01 衆議院

予算委員会

○若狭証人 先ほど御説明申し上げましたように、オプション契約というものはこの場合にはございませんで、昭和四十七年十月三十一日に、正式契約を締結するいわゆるファームオーダーという交渉を、ロッキード会社との間に開始したわけでございます。

1976-03-01 衆議院

予算委員会

○若狭証人 そういうことは一回もございません。大庭さん在任中にはまだDC10はでき上がっておりません。設計段階でございますので、そういう話があるということは考えられませんし、現実に私たちはそういうことを聞いたことは一度もございません。

1976-03-01 衆議院

予算委員会

○若狭証人 私の記憶でございます。しかし常務会の記録を検討した上で、あるいは提出して御検討いただけるということでございますれば、それはすぐわかるわけでございます。決してそういうことが議題になったということはございません。

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