運輸委員会
○關口説明員 まだ調査中であります。
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発言数 36件
初発言日: 1956-12-06 / 最新発言日: 1958-08-16 / 1 ページ目 / 全体 2ページ
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※AIによる分析結果は必ずしも事実とは限りません。正確な判断はご自身でお決めください。
○關口説明員 まだ調査中であります。
○關口説明員 磁気羅針盤は動きます。ちょっと研究させていただきます。
○關口説明員 全日空が買うまではアメリカのパン・アメリカンが使用しておりました。その他については、ただいまはわかりません。
○關口説明員 私たちポンドで記憶しておりますが、大体今おつしやられた重量だと思います。
○關口説明員 燃料、それからお客さんは平均幾ら、荷物は一々全部はかりまして集計いたします。
○關口説明員 現在全日空が持っておりますDC3の、購入前の飛行時間を申しますと、一万四千時間、三万九千時間、少いのは五千二百時間、そういった程度のものでございます。
○關口説明員 メーデー・メーデーなりSOSなりというのは機長の判断によってやるようになっております。
○關口説明員 機長が、機体装備品及び燃料については整備が確実に行われていることを確認いたしております。東京を離陸する前に仙台及び千歳へ飛んでおりますが、仙台では作動点検、目視点検、取りつけ状態点検、寸度測定、ドレーン点検、操縦席点検、発動機試運転、それから燃料の量、同じように仙台から朝東京に引き返しまして、九時五十分にも同様の点検をいたしております。なお千歳から戻つて参りましたときに、十九時十分に同様の点検をいたしております。それを機長
○關口説明員 DC3というのは一九三六年から製造されまして、約二万機製造されました。終戦前、日本においてもこれを製造いたしておりました。この五〇四五機が製造されましたのは一九四二年七月十八日、輸入のための当初の滞空検査に合格いたしましたのが昭和三十二年十二月三十日であります。輸入時の総使用時間が二万一千九百五時間三十八分、八月十二日までの総使用時間を言いますと二万三千百三十八時間三十三分でございます。
○關口説明員 操縦席から一ぺんにはずすというようなことは、実はまだ考えておりません。あの装置としましては、力がかかればかたくなって絶対はずれませんが、はずすための操作を簡単にやればすぐはずれるという装置にしてございます。
○關口説明員 機長の指示、従って座席におりますスチュワーデスの指示に従って機外に出るようになります。機外に出るには、普通使います出入のドア、そのほかに窓に数カ所非常口がございます。この非常口のあけ方はそこにはっきり書いてありまして、また非常口の位置は赤でよくわかるようにしてございます。その操作は割に簡単にできるように作つてございます。そういうところから出るようになっております。
○關口説明員 旅客機は落下傘をつけておりませんので、空中から飛びおりることはできないわけでございます。着水しましてから、浮き足がとまつて、そのときになるべくすみやかにドアをあけて出るわけでございます。
○關口説明員 昭和三十二年十二月三十日に耐空証明書を交付いたしております。
○關口説明員 通信が全然とれなかったとは申せないと思うのであります。ときどきとぎれたということは、そのときの気象条件、あるいは高度といったようなものからしばしばあることでございまして、おしまいになりましてだんだん通信がよく聞えなくなつた。最後にとだえたということは現在までの資料によって推定できますが、通信が悪かったということは考えてはおりません。
○關口説明員 その通りであります。
○關口説明員 そういう御心配はございません。
○關口説明員 ダイヤの通り運航していないのは、乗客の関係、荷物の関係、ATCのために順番を待つといったようなこと、それから必要な点検もしなくてはならない、全部のことをやらなければならないために、少しおくれたのだと思います。
○關口説明員 今度の分につきましてはまだ調べておりません。
○關口説明員 人は一名百五十ポンドで計算しております。
○關口説明員 平均いたしました重量というのは、いろいろな場合を想定してこれ以上にはならないという数字になっております。従って特に重たい人がよけいに乗つたというときにははからなければいけないと思いますが、普通はそういう測定はいたしておりません。従って、この搭載しました重量につきましては問題ないと考えております。