原彪の発言 (本会議)

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○原彪君 衆議院議員正三位勲一等安藤正純君は、去る十月十四日病をもって死去いたされました。ここに深く君の死をいたみ、諸君を代表して追悼の辞を申し述べたいと存じます。(拍手)
 君は、明治九年、東京浅草の松葉町に生まれ、浅草に育たれました。長じて東洋大学を卒業し、さらに早稲田大学を卒業、また外国語学校にも学ばれたのであります。
 明治三十二年、明教新誌という宗教新聞の主筆となられたのを記者生活の第一歩といたしまして、後、日本新聞に入り、日露の役にはその従軍記者として活躍いたされました。明治三十九年に朝日新聞に移り、後年、君が、その議論、文章において、その識見と経験において自他ともに許すもののあったのは、この長い記者生活における精進努力の結果でございました。君は、ついに朝日新聞編集局長となり、取締役となられました。大正十二年には朝日新聞の海外特派員として欧米に渡り、つぶさに各国の政治、社会の事情を視察するかたわら、各国の宰相、知名政客などと多く会見せられ、その見聞を広くするとともに、その識見をさらに高められたのであります。
 君は、また、つとに青少年の教育に特別の関心を持たれ、特に教育の機会に恵まれない者に深い同情を持ち、さきには真龍女学校を創立してみずから校長となり、後にはまた労働者教育のために東京労働学校を設立してその校長となるなど、常に社会教育については献身的な努力をいたされました。
 大正九年の第十四回総選挙に、君は東京第七区から選出せられて、衆議院議員となられました。これが実にその後三十有余年にわたる長い政治生活に入る発端でございました。
 大正十三年に、君は立憲政友会に入党せられました。そうして、政友会の情報部長、政務調査会長、総務などの要職を経て、昭和十一年にはその幹事長となられました。立憲政友会が昭和十五年に解党せられました後、同交会を結成し、君はその首席世話人となられました。昭和二十年には、多年の盟友鳩山一郎君を助けて自由党の創立に努力し、創立委員となって、その結党とともに初代の政務調査会長となられたのであります。
 君が衆議院議員に当選せられましたのは大正九年から実に十一回、その在職年限二十八年六カ月の長きに及んでおります。昭和二十年には、永年在職議員として、衆議院の名誉ある表彰をも受けておられます。
 君の政治活動は多年各方面に及んでおりますが、特に文教方面において多大の功績を残しておられます。すなわち、しばしば宗教制度調査会、文政審議会、国語審議会、教育審議会などの委員となり、教育、宗教の重要問題の調査審議に当って、文教制度の確立と施策の実施に大いに貢献せられたのであります。
 一方、昭和二年には文部参与官となり、同じく六年犬養内閣の文部政務次官となり、直接に文部行政の衝にも当られました。昭和二十九年、君は第五次吉田内閣が成立するや国務大臣となられ、また第一次鳩山内閣の文部大臣となり、長年の抱負をここに実現すべく、確固たる信念のもと、日夜文教の刷新に精励せられましたことは、いまだ昨日のごとく私たちの記憶に新たなるところであります。
 君は信念の人でありました。そして、いわゆる純理派と称せられたほど、かたくその信念を持して、情実によってこれを曲ぐることなく、よく清節を守り、清貧に甘んじ、ひたすら社会民衆の幸福と議会政治の向上発展に終始一貫努力精進されたのであります。
 大東京の一隅、浅草の貧しいお寺に生まれた君が、志を立て、行を励み、ついに新聞人としては第一流の新聞社の役員上なり、政治家としては政党内閣の大臣となったりでありますが、これすべて君の刻苦勉励のたまものであり、精進努力の結果であります。君のごときは、まことに立志伝中の人物と申すべきでありましょう。
 ことに、その生涯の足跡をたどるに、ただ一筋に議会人として節操を守り、その所信に従って、公明正大に堂々と闊歩されておるのであります。その公人として、つまり政治家としてのその先見達識、理論と実践において、また一私人としての温情、友愛において、君をいにしえの名宰相に比するもあえて過褒ではないと思われるのであります。
 まことに、出ては政界の長老、入っては市井の浅草っ子をもってみずから任じ、みずから安んじておられました。晩年には、その風貌とともに、人となりにも枯淡の味を加え、時にあのがんこと見える態度にもかえって一種の親しみをさえ感じさせられたのであります。かくて、名はその体を表わすとか申しまするが、まことに正純そのもののごとき君独特の風格を備えられておりました。
 民主政治もようやく安定に向わんとしておるとは申しながら、内外の情勢容易ならず、政界に人物を要すること今のときよりはなはだしいことはありません。まことに君を失ったことは、ひとしお哀惜の感が深いものがあります。ことに、安藤君とは、日本における議会政治、責任政治、政党内閣制の確立などをともに論じ、ともに念願してきた私として、さきに社会党統一のなったとき、もしそれを知れば、必ずよかったねと喜んでくれたに違いない君は、すでにそのとき病あつく、また、保守合同のできた今、心からおめでとうと手を差し伸べたい安藤君のないことを、心から返す返す残念に存じます。(拍手)
 しかし、安藤君、今や君が久しく待望されていた二大政党対立の形態は整い、日本憲政史上最初の新しい構成のもとに国会は開かれたのであります。この上は、私どもは深く責任を感じ、国会運営のよき民主主義的ルールを確立することを安藤君の霊にお誓いいたします。(拍手)安藤君、どうぞ安らかに眠って下さい。(拍手)
 ここに、いささか追慕の情を述べまして、弔詞といたします。(拍手)

発言情報

speech_id: 102305254X00119551122_022

発言者: 原彪

speaker_id: 24393

日付: 1955-11-22

院: 衆議院

会議名: 本会議