原彪の発言 (本会議)

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○原彪君 ただいま議長から御報告がありました通り、本院議員正三位勲一等安井誠一郎君は、去る一月十九日の未明、病をもって東京都立大久保病院において逝去されました。
 私はここに諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の言葉を申し述べさせていただきます。(拍手)
 安井君は、長らく東京都長官、東京都知事に在職せられ、私どもにとってもきわめてなじみ深い方でありました。ことに、私にとっては同郷の先輩であり、中学校、高等学校、大学と学窓を同じくして、常に君の人格と力量とには、深い敬意を抱いておったものでございまして、君のこのたびの訃報に接して、大きな驚きと悲しみに打たれておるのでございます。
 安井君は、明治二十四年三月岡山県に生まれ、県立岡山中学校、第一高等学校を経て、大正六年三月東京帝国大学法科大学を卒業せられました。
 大学在学中に文官高等試験に合格されました君は、卒業後直ちに内務省に入り、茨城、神奈川、東京の各府県に勤務し、またドイツに留学せられまして、ひたすら政治、法律学について研さんを積まれました。その後富山、兵庫、福岡の各県の警察部長に任ぜられ、昭和四年には堀切市長に迎えられて東京市社会局長の要職につき、迫りくる不況下にあえぐ恵まれない多くの人々の救済に日夜努力されたのであります。
 次いで、郷土の先輩宇垣朝鮮総督に招かれて朝鮮総督府に入り、やがて京畿道知事となり、引き続き拓務省拓務局長、新潟県知事を経て、昭和十六年再び東京市に帰られました。当時戦時下の困難な情勢の中で防衛局長、電気局長の職を二年にわたって担当されたのであります。
 昭和二十一年一月、安井君は厚生次官に就任されましたが、同年の七月には東京都長官の重職に迎えられたのであります。翌二十二年四月には初めての公選都知事に当選し、その後両度の改選にも連続当選して三十四年に退職せられますまで十三年の長きにわたって東京都の復興と発展のために奮闘されました。(拍手)
 昭和二十一年ごろの東京都は申すまでもなく、戦災によって一面の焦土と化し、庶民の生活は極端に窮乏し、無秩序と混乱のみがいたずらに横行しておりました。このような状況のもとで都を再興し、庶民の生活に安定をもたらすことが容易ならぬ事業であったことは、だれの目にも明らかなことであり、これに対処する安井君の決意は、またなみなみならぬものがあったことは察するにかたくありません。(拍手)
 安井君がこの難局を打開するにあたって、まず念頭に置きましたことは、何よりも都民を飢餓から救わねばならぬということであったとのことであります。君は、そのためにはあらゆる努力を傾注されました。かつて君が知事として在任した新潟県にみずから出向いて米の出荷を要請し、地元農民に雪の降る中でひざを屈して懇願し、その目的を達せられたという挿話の伝えられましたのもこの当時のことであります。(拍手)これに見ても、君が都民の生活の確保にささげた苦心と努力とは、常人の想像をはるかに越えた深刻なものがあったと考えられます。幸いにして君の努力は日とともに実を結び、かつての焦土は面目を一新することができました。多年にわたって苦心経営し、東京都復興の大事業をなし遂げ、今日の発展をもたらし、進んでは首都圏の整備に関する総合的な計画の必要を提唱し、その実施を推進された安井君の功績はまことに偉大なものがあると信じます。(拍手)
 また、安井君は、東京都と海外諸都市との提携に意を用い、しばしば欧米諸国に渡り、各国との親善、産業、文化の交流に大きな成果をおさめられたのであります。
 三十一年にはメルボルン市におもむき、IOC総会に出席して、オリンピック大会の状況をつぶさに視察し、オリンピック大会の東京招致、またその準備にも大きな役割を果たして参られました。
 東京都は、去る一月九日、多年都政のために尽くされた安井君に対して、特に名誉都民の称号を贈って、その功労を顕彰したのであります。(拍手)
 安井君は、長年にわたって胸に描いていた福祉国家の実現と、大東京の建設のために、政界に入ることをかねてから望んでおられたのであります。かくて、三十五年に自由民主党に入党し、第二十九回衆議院議員総選挙に東京第一区から立候補して、全国最高の得票をもってみごとに当選せられたのであります。(拍手)
 君は、みずからも誇っておられましたほどの健康の持主でありましたが、十三年もの長い間、複雑多岐にわたる都政に打ち込まれた心労のためでありましょう。都知事を退かれてから間もなく病床に親しむ身となられ、総選挙にも病床から立候補されたのであります。その後一度は幸いにして回復され、昨年の春ころには登院をされて、いよいよ本院議員として君の目ざましい活躍が期待されたのでありますが、その後もとかく健康がすぐれず、昨年十一月再び入院加療のやむなきに至りまして、不幸にしてついに御本復を見ることができませんでした。
 思うに、安井君は、きわめて清廉潔白の人であり、しかも穏やかな情誼に厚い人でありました。これが安井君のだれからも信頼せられ、また親しまれたゆえんでもございます。また、君は、事を処するにあたっては、すこぶる慎重であって、自分の納得のいくまでは徹底的に熟慮するという人であり、一たび決意するや、その目的に向かって断固として所信を貫くきぜんとした性格の持主でありました。
 今、こうして安井君の一生を回顧するとき、君は、行政官としては、いわば功成り名遂げた人であります。享年七十才といえば、日本人としては天寿を全うされたとも言えるでしょう。しかし、晩年、衰えていく肉体の中になお烈々として燃える憂国の至情と闘魂とは、さらに政治家としての新生命を開こうとして病床からふるい立たれた君の姿は、まことに壮烈で、とうてい凡人の企て及ばぬところであります。(拍手)しかも抜群の成績をもって本院に議席を得られ、政治家としての活躍が今後に期待されるとき、ついにみずから経綸の一端をも述べる機会を持たれないままゆかれたことは、君の心情察するに余りあり、痛惜の情ひとしお深いものがあります。(拍手)
 しかしまた、ひるがえって思うに、安井君は、一つの宗教的信仰に生きた人でもありました。従って、君が生前政治家としての生命は短くはかないものではあったが、死を見ること帰するがごとく、いかなる場合にも安心立命の境地に立っていた安井君在天の霊は、今や安らかにあの生前の温顔そのままに長くこの議場を見守っていられるに違いないと信じて疑いません。(拍手)
 ここに君が生前の業績を回顧し、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りいたしまして、追悼の言葉といたします。(拍手)
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発言情報

speech_id: 104005254X00819620202_008

発言者: 原彪

speaker_id: 24393

日付: 1962-02-02

院: 衆議院

会議名: 本会議