中山マサの発言 (本会議)
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○中山マサ君 ただいま議長から御報告がありました通り、本院議員正四位勲二等大矢省三先生は、かねて御病気療養中のところ、去る一月十九日朝、大阪市立桃山病院において逝去せられました。
大矢先生の温厚なお人柄を敬慕してやまなかった私は、今にわかに先生を失い、限りない悲痛と哀惜の念が胸に迫るのを覚えるのであります。
私は、ここに皆様方の御同意を得まして、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の言葉を申し述べさしていただきます。(拍手)
大矢先生は、明治二十六年三月、三重県志摩郡阿児町にお生まれになりました。郷里の小学校を御卒業になった後、朝鮮に渡られましたが、大正元年大阪に居を定め、その後は終始大阪の地を離れることなく、ここが大矢先生生涯の活躍の本拠ともなり、第二の故郷ともなったのであります。
大矢先生は、当初、旋盤工として大阪砲兵工廠に就職し、後に、住友製鋼所に転じ、激しい労働に従事されました。しかも、向学心に燃える先生は、激務のかたわら、大阪府立西野田職工学校機械科に学び、身心両面にわたる非常な労苦を克服して、技術の練磨、教養の修得に努められました。
大矢先生は、みずからの職場を通じて、労働階級の実情に深く考えられるところがあり、大正元年、鈴木文治氏を中心にしてかの友愛会が創立されまするや、進んでこれに参加し、先生の畢生の事業となった労働階級の向上と労働組合の育成のために、苦難の第一歩を踏み出されたのであります。(拍手)
申すまでもなく、当時の労働運動は、世間の無理解を乗り越え、弾圧に抗して戦われた、文字通り生命をかけた戦いであったのでありまして、大矢先生もまた、組合運動に入られたその事柄のゆえに職を奪われ、古新聞を売ったり、屋台を引く等のことまでして、ようやく生活をささえつつ、奮闘を続けられたのでございます。
やがて、先生は、偉大なる活動家として世間の注目を集め、住友製鋼所、豊田織機、京都奥村電機、別子銅山、大阪発動機等多数の争議を指導し、その解決に尽くされました。
かくて、先生の識見と実行力とは同志の高く評価するところとなりまして、大正の末年、大阪金属労働組合が結成されますると、その主事となり、その後、引き続いて日本労働総同盟大阪連合会主事、全国労働組合同盟の初代の委員長、あるいは日本労働組合総同盟本部役員等に推され、組合運動の指導的地位にあって、ますます活発な活動を続けられたのであります。
また、大正十一年には、産児制限運動、借家人運動を起こし、社会大衆の生活の安定と福祉の増進に挺身されました。
第一次大戦の終了後、各地にデモクラシーの思潮が高まり、労働問題の解決と普選の実施を要求する運動が起こり、無産政党組織の機運が生まれるに至りました。大正十五年に社会民衆党が結成されるに及んで、先生はこれに入党して、その役員に推され、縦横の活躍を示されました。昭和七年、社会民衆党が全国労農大衆党と合同し、社会大衆党が成立するとともに、先生は同党の重要な地位に迎えられ、ますます大衆の政治意識の高揚と労働者の地位の向上に、献身的な努力を続けられたのであります。
これよりさき、大阪の市民大衆は、平素から大矢先生の大衆に対する烈々たる愛情に深い敬慕の念をささげていたのでございますが、昭和四年六月、限りない信頼と期待をもって、先生を大阪市会に送ったのであります。先生もまた、市民諸君の支持にこたえて、連続四期にわたり、十数年の間大阪市会議員として、大阪市民の福祉の増進、大阪市の発展に大きね寄与をされたのであります。(拍手)
昭和二十年十一月、終戦直後のこんとんたる世情の中に日本社会党が誕生するとともに、先生はこれに参加し、翌二十一年四月の第二十二回衆議院議員総選挙には、同志に推されて大阪府第一区から出馬して、みごと初当選をかち得られ、引き続きまして、現在まで連続当選すること八回、本院議員としての在職期間は、実に十五年九カ月の長きに及んでおります。(拍手)
昭和二十三年四月、大矢先生は、芦田内閣の成立に際して労働政務次官の重職につき、加藤勘十労働大臣を助けて、困難な戦後の労働行政に参画されました。みずから労働者の辛酸をなめ尽くしてこられ、大衆の中にあって、大衆とともに労働運動一筋に生きてきた先生にとっては、まことにふさわしい地位であったと申さねばなりません。(拍手)はたして、先生は、多年にわたる苦闘の体験につちかわれた実力を遺憾なく発揮し、著しい業績を上げられたのであります。
また、大矢先生は、内閣、商工その他の委員会の委員または理事として多方面にわたって活躍され、特に、地方行政委員として地方自治の確立発展、警察、消防行政の民主化のために多大の貢献をされました。第二十二回国会、昭和三十年三月には、推されて本院地方行政委員長の要職につき、約二年にわたってこれに当たり、きわめて公平、厳正な委員会の運営ぶりをもって、与野党委員の深い信頼の的となり、名委員長とうたわれたのであります。
このように、長年にわたる議員在職中を通じて国政審議に尽くされた先生の功績は、まことに大きなものがあると信じます。
先生は、また、日本社会党にあっては、中央執行委員、政治局長、代議士会長、地方議会対策部長等の要職を歴任し、すぐれた力量を十二分に発揮されました。
一昨三十五年、民主社会党の結成にあたっては、西尾末廣先生ら同志とともに、大いに尽力され、結党の後はその顧問に推されて、名実ともに党の長老として、広く党内外の信望を集めておられました。(拍手)
思えば、大矢先生は、苦難の中から身を起こして、ついに国会議員の栄任についた、いわゆる立志伝中の人であったのでありました。先生は、まことに温厚篤実で、人格者というのに最もふさわしいお人柄でありました。先生の温容に接し、先生の国民大衆に対する熱い愛情に触れる者すべてが、先生に対して深い敬慕の念を抱いていたのでございます。しかも、先生のとうとい生涯をささげた、労働大衆の向上と労働組合の発展のための骨身を削る戦いの間に体得された激しい気魄と、信ずるところを率先遂行する強い信念と実行力とに対しては、だれもが尊敬を禁じ得なかったのであります。(拍手)
今や、わが国は、内外に大いなる問題をかかえ、そうしてまた一つの転換期に立っておるとも言えるこのときにあたり、大矢先生のごとき、豊かな経験と高い識見を持っておられる信念の人を失いましたことは、本院にとり、国家にとり、この上もない不幸であり、一大損失であると申さなければなりません。(拍手)
今、この壇上に立って、先生の生前をしのぶにつけても、ありし日の先生のお姿が私の目に浮かび、痛恨の情、切々として新たなるものを覚える次第であります。
ここに先生の生前の功績をたたえ、お人柄をしのび、心から御冥福をお祈りして、もって追悼の言葉といたします。(拍手)
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日程第一 昭和三十六年産米穀に
ついての所得税の臨時特例に関
する法律案(内閣提出)