松本治一郎の発言 (本会議)

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○松本治一郎君 本日、ここに、諸君を代表いたしまして、前議長松野鶴平君の追悼の言葉を述べなければならないことは、私の最も悲しみとするところであります。
 顧みますれば、松野鶴平君は、昭和三十一年四月、わが参議院四代目の議長に御当選以来、実に六年有余にわたってその重職を全うせられ、去る八月、議員諸君に惜しまれつつ議長の職を退かれましたことは、私どもの記憶に新たなるところであります。
 同君は、昨年五月末ごろから健康がすぐれず、日本医科大学付属病院において御養生に努めておられましたが、その間も議長の重責を強く感ぜられ、病をおして病院から御登院になり、その職務遂行に渾身の努力を払われていたのであります。議長の職を退かれた後におきましても、引き続き同病院において御健康の回復に努められつつあったのでありまするが、あるいは議長在職中の御精励がわざわいいたしたのでありましょうか、にわかに病あらたまり、去る十月十八日こつえんとして逝去せられたのであります。議長を辞任してわずか二ヵ月をけみしたばかりに、この訃報に接し、私どもは、ただただがく然とし、悲痛の念に打たれたのでございます。
 松野君は、熊本県の御出身で、大正、昭和を通じまして、一貫した政党人として、わが国民主政治確立のためにその身をささげて参られたのであります。大正九年以来、衆議院議員に当選せられること七回、その間、あるいは政友会幹事長を初めとして党の数々の要職につかれ、あるいは米内内閣の閣員となられる等、縦横の御活躍をなされ、戦後は、昭和二十七年以来、参議院議員に当選せられること三回、自由民主党代行委員、参議院議員会長等をつとめられ、去る昭和三十一年には、永年在職議員として、特に院議をもって表彰を受けられたのであります。
 同君は、その円熟せる人柄に加え、豊かな御経験と広い視野とをもって、あるいは議長として、あるいは党の長老として、事に処してはきわめて慎重、常に大勢を誤ることなく、しかも、一たび意、決すれば、断じて行なうの慨がありました。
 今や、国家いよいよ多難のとき、同君のごとき偉大なる政治家を失いましたことは、ひとり本院の損失であるにとどまらず、国家国民の不幸であると考えるのであります。
 つつしんで拝察いたしまするに、同君最後の志は、参議院が自主的にして真に参議院たるにふさわしい役割を果たし、もって国民の信託にこたえることにあったと思います。さきに同君が議長を辞するに際しまして、この壇上から切々として訴えられた言葉が、今もなお耳もとで聞えるような気がいたします。
 この機会に、私どもが、あらためて、参議院本来の使命を体し、ひたむきな努力を国政に反映させることを誓うことが、同君の霊におこたえするゆえんであると信ずるものであります。
 ここに、同君の霊に対し、つつしんで哀悼の意を表しまして、弔辞といたします。(拍手)
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発言情報

speech_id: 104215254X00119621208_010

発言者: 松本治一郎

speaker_id: 12077

日付: 1962-12-08

院: 参議院

会議名: 本会議