山中吾郎の発言 (文教委員会)
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○山中(吾)委員 その答弁のぴったりこないのは、この改正法案の文章の中に「深く専用の学芸を教授研究し、」ということで、あなたの答弁のように四年制大学を予定している五十二条の文章の中にもあるのです。これは短期大学の新しく項を起こした目的の中にも「深く専門の学芸を教授研究し、」と出ているわけです。そこまで共通でしょう。そこまで共通なら、大学の思想でいいのじゃないですか。そして一方は、五十二条でさらに「深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させる」と書いてある。このことは、どんな学校だって必要だと思うのです。人間形成という機能を捨てて、単なる職業の技術だけを養成するのは日本の学校教育の思想にはないわけです。ところがこの法案の六十九条の二から、知的、道徳的、応用的能力の展開という目的を、この短大からとってしまったじゃないですか。二重の矛盾があるので、この点はこの国会の中で、誤りのないように日本の大学の発展の方向を見きわめながら論議をしなければならぬ、私はきょうは問題提起をしておきたいと思うのです。
それなら現実に短期大学のほうは知的、道徳的能力の形成をしていないかというとそうじゃない、ちゃんとやっているのですよ。そして一方の四年制の文化服装大学があるじゃないか、認可しているじゃないかということを僕は言っている。だから法案の文章と日本の現実の大学の姿とは違うので、思い切ってやり直しなさい、われわれは実はこれが疑問ならば附則の「当分の間」だけとって、あとゆっくりと吟味をして本格的な一部改正をまた二段階で出したらどうかという思想であったわけです。一応本文が出てきたのだから根本的に論議をしなければならぬ問題が出ておると思うのです。そして深く専門の学芸を教授研究し、」という目的を短期大学に入れておれば当然応用能力くらいは出てくるはずなんです。それは応用能力を授けるつもりはないんだという説明のされ方をしている。そこで本文の表現のしかたについて、単なる表現ばかりじゃなくて、考え方の中に間違いがあるんじゃないか。それから事実に合わないんじゃないか。それをひとつ検討していただいて、次の文教委員会で文教委員全部納得するように、ぼくだけじゃない、委員長も納得するように説明をしていただかないと困る。(「納得しておるよ」と呼ぶ者あり)納得しておるならしているほうがおかしいのです。たとえば将来石油大学だとか鉄鋼大学だとか、そういうふうな深い職業技術というものを含んで、しかも人間形成をやっていける日本の大学制度の発展はあり得ると見ている。またそういう方向が望ましいと私は個人的意見では考えているわけです。そのときに職業教育は別の何か大学ならざるを得ないものなんだというふうな二元論の思想がこの中に出ておるから、修業年限二カ年たらんということと大学の目的、本質、性格とをごっちゃにして法案を出されておるのじゃないかということを申し上げておるのです。その点検討していただきたいと思うのです。
次に、現在の大学は短期大学も含んでいわゆる単位制度である、修業年限制度ではないのですね。だから、学校教育法では修業年限については一応は書いておる。一応は書いておるけれども、何年以上というふうな書き方をしておって、何年おれば卒業ということでなくて、教養科目、専門科目を何単位とれば卒業だという制度です。したがって年限が大学の本質を区別する思想ではこの学校教育法はないはずである。文部省において教養科目が何単位、そして専用科目が何単位とれば大学卒業生とみなすという思想の上に立っておるはずである。そのときに二年ならば二年に相応する単位を認めて、これが大学の一つの目的にかなう場合には、それは大学だといって一向差しつかえないわけで、しかし学校をサボって少しも出ないのに試験のときだけ単位をとって出るということは人間形成に合わないから、少なくとも何年以上そこに籍を置かなければならない、出席をせいという意味だと思うのですね。そういうことから言ったら、二年以上、三年以上あるいは四年以上、五年、六年というふうな年限において大学の性格の差別をつくるという思想は学校教育法に合わないのじゃないか。その点からも私はこの法案の考え方の中に、現在の学校教育法の基本的な性格と矛盾があるのではないかと思うのですが、そこはいかがです。