河野一郎の発言 (体育振興に関する特別委員会)
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○河野国務大臣 これはだれが考えても同じことで、問題はスポーツを愛好する度合いによってその批評が変わってくると思います。したがってそれは、いまお話しのとおり組織委員会の有力なメンバーの諸君に私はお目にかかりました。結局記録映画をもう一本つくろうということでございますから、私はこれはこれなりで、記録映画をつくればよろしいと思います。それでおそらくおつくりになることだと思います。ただ、あの映画そのものを私は別にいいの悪いの批判しようとは思わぬ。あれが一体オリンピックの記録映画かどうかということを言っているのであって、あれをオリンピックの記録映画と銘を打っては困る。ちっとも記録映画じゃないのです。だから、やはりオリンピックの記録映画というものは記録としてちゃんとしたものをつくってもらわなければ困るということを私は申し上げたい。そして、一般の映画を見る人があの映画をどういう意味でごらんになろうとそれは御自由ですから、一向差しつかえない。ただああいうものを扱いますときに、最初からこれは記録映画をつくって後世に残すのだということにもう少し配意がほしかったという気がするのです。いまもお話しのとおり、せっかく日本であれだけのりっぱな施設をした。ところがこの施設というものについては全然記録がない。これは私はそう申しても過言でないと思うのです。たとえばあれだけりっぱなヨットハーバーをつくった。ヨットハーバーがどこにあったか、ない。カヌーにしてもそうです。あれだけもみ合って相模湖にカヌー競技場をつくっても、全然ない。ボートにしてもそうです。あそこにボート施設をした、それも記録に残らない。どこで何をやったということが全然わからない。水泳場にしてもあれだけりっぱな建築、この建築は相当高く芸術的にも評価されておると思います。しかしそういうものは何にもないということで、競技ももちろんですが、そういう基本の、どこで何をやったかということが全然記録に残っていない。これでは話にならぬ。大体オリンピック記録映画といえば、どこでやったか、何をしたかというのがなしに、記録映画ということは言えないと思うのです。芸術的判断はそれはまた別の話であって、これはオリンピックであろうが何であろうが、芸術的価値は別のものです。ことにあれだけりっぱな素材を写真にとれば、それはあとから見た人は感激をするでしょう、感激をするものを写真にとったのですから。それは芸術的感激じゃないのです。それを混淆して、世間の人があの映画をごらんになること、それはたいへんにけっこうです。それは御自由です。しかしそれはスポーツ振興の意味において、あの映画をオリンピック映画だと言われては困ると私は申し上げたい。したがって、あれはあれ、いまお話のように二部作、たいへんにけっこうであり、私はあの映画についてとやかく申すのではございませんが、あれがオリンピック記録映画とされることは困るということを私は言うておるのでございまして、十八日に一ぺん映画の関係の委員会をやりまして、そこで記録映画をすみやかにつくりかえる。ただそういう配意をせずに、いつから見せるのだ、外国にはいつやるのだというて、そういう面があまり——オリンピックをもう一ぺんやることはめったにないでしょうからいいようなものの、今後やります場合に、そういう商売気のたっぷりした先物取引が先行してしまって、そしてどんどんどんどんいって、しまいにはどうにも手がつけられないことになっている。それに引きずられていくということははなはだ遺憾だと思う。とにかくあとに残すものはりっぱなものを残してもらいたい。一あたり見たらあの映画あれでおしまいだと思います。しかし体育振興という意味において、各競技団体なり今後次にきたる青少年に常に競技の参考にする映画というものはなくちゃいかぬというふうに考えて、二本立てでやることになっておるそうでございますから、それはそれでいいのではないか、こういうように考えております。