木島喜兵衞の発言 (災害対策特別委員会災害対策の基本問題に関する小委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○木島小委員 ただいま小委員長御提案の本法律の改正案は、昨年の豪雪時に本法を改正して弔慰金やあるいは貸付金の五割アップをしたときに、見舞金の創設も必要ではないかという各党からの多くの意見に端を発して、一年有余たって提出したものでありますから、したがって、いろいろ問題点があると思いますけれども、新しい制度が創設されるというその意義をきわめて重視をして、わが党もまた賛成するものであります。
 しかし、もちろんこの案に対しましては多くの問題や要望もあるのは、これまた各党共通のことでありましょう。そういう意味で、この法律が今後、本委員会あるいは政府が検討を加えて実現可能なものから改正されることを期待するだけに、私たちの考え方を申し述べておきたいと考えます。
 その中心は、この種弔慰金、見舞金等の考え方といいましょうか、思想あるいは性格と申しましょうか、そういうものが大きく変化しつつあると思うのであります。災害における個人に対する救済については、佐藤小委員長はこの法律作成のときからのベテランでありますから、そういう意味では私ごとき者が何か申し上げることはまことに僭越至極であると思いますけれども、元来、災害における個人救済というものは、国は補償をしないのだという思想が一貫して今日までまいったと思うのであります。
 この思想は国家賠償法に代表される思想でありまして、国家賠償法は国の行政の瑕疵あるいは公務員の故意または過失によって国民が損失を受けたときに補償をするというのであります。したがって、国が責任のある場合は賠償するが、逆に国が責任のないものは賠償しないという思想であります。しかし、社会福祉思想の広がりから、国は全く放置することができず、弔慰金、見舞金等という恩恵的性格とでも申しましょうか、そういうものによって広がりつつあったわけであります。
 しかし、昨年一月一日から実施されました犯罪被害者等給付金支給法以来、この種支給金の性格が変わってきたと思うのであります。この犯罪被害者の法律は、その名称のごとく、賠償でもなく、弔慰金、見舞金でもなく、給付金という名を使っておるように、その性格の変化を示しておるかと思うのであります。すなわち、新しい思想に立っての新しい制度だと思うのです。
 御案内のとおり、この法律は、殺人事件や傷害事件の犯罪によって自己の責めに帰すべきものでない被害者、行きずり犯罪被害者に対する給付でありますが、この制度のできた背景の思想には、一つには、国は犯罪を防止する責任があり、国民を犯罪から守る義務があるという考え方に立って、国はその義務を果たし得なかったがゆえに犯罪が起きた、したがって、その損害を賠償する責任があるというのが、この法律をつくったところの一つの思想であります。
 したがって、そのことを前提とするならば、災害もまた全くそのとおりではないだろうか。国は、自然現象を左右することはできませんけれども、その現象から国民を守る義務があり、災害による被害者が出たときには、国は災害防止という義務を守り得なかったということに対する賠償責任があるということにつながるという考え方でありましょう。
 また、この犯罪被害者の法律ができた第二の理由の中に、犯罪は社会の必然的な産物であって、国民のだれもが受ける可能性を持っているのであるから、その被害を被害者のみに負わせるのではなくて、広く社会全体が平等に負担すべきであるという思想がありますが、これまた自然災害においてもそのまま当てはまるのではないか。すなわち、自然災害は社会の必然的産物であって、国民はいつでも、だれでもが受ける可能性があるから、その被害を被害者のみに負わせるのではなくて、社会全体で広く平等に負担すべきであるとするならば、まさにそのような立場に自然災害も立つべきではないか。
 第三には、社会福祉、社会保障あるいは福祉社会、福祉国家等の思想から、被害を被害者だけでなく救済していくのが国の責務であるということでありますが、これまた同様な思想かと思うのであります。
 このような思想から考えますときに、この支給制度というものの性格が変わってきたということ、このことは本委員会も十分に認識していたところでありまして、たとえば昨年の豪雪時における折損木に対する補償的な措置や、柑橘類の凍害により枯れたときにおける予算措置等も、そういう思想や変革というものを自覚したがゆえにこそやってまいったのだろうと思うのであります。これは、自然災害は国の責任でないからとして被害に苦しむ国民を放置し、救済しないならば、福祉社会とか福祉思想からして、国家とは何ぞやという問題にまでぶつかるわけでありますから、そういうことを前提にしてあのような措置をとってきたということは、本委員会の歴史もまたその過程にあったろうと思うのであります。
 このような意味で、今日までの恩恵的性格、生活扶助的性格に加えて、損害賠償的性格をも持つようになったというのが、犯罪被害者救済のあの法律の一つの大きな性格の変化だと思うのであります。
 そういうことを考えますと、今後この法案もまた根本的に改正せねばならないという時期が来るのじゃないか。もちろん、犯罪被害者の問題と自然災害における場合は、全く同じ条件だという主張をするものではありません。その差異を十分に認めるのです。しかし、少なくともさきに述べましたような思想というものから、改正すべきものは改正されなければ、同じような災難を受けた者でありながら、この法律の根拠によって国民の救済が大変に不平等になるおそれがあると考えるのであります。したがって、今後検討するとするならば、そういう立場に立っての二、三の問題だけを指摘したいと思います。
 第一は、金額であります。
 犯罪被害者の場合は、この支給法によって金額算定の方式がいろいろありますけれども、昨年度の政府の試算によりますと、死亡の場合の最高は八百万であります。そして、障害者の場合の最高は九百五十万であります。この差がやはり大きいものでありまして、犯罪被害者の場合でも、あの審議の中では自賠法くらいにすべきではないかという議論もずいぶんあったようでありますけれども、少なくともそういうことと絡めましてやや少額に過ぎるのではないかという感じがいたします。同時に、これは、今日の一般的動向から言いますと、死亡者よりも、重度の障害者の将来の生活を考えたときには、より高く出さねばならないという方向にあるということも考えながら、今後検討されねばならない一つの問題ではないかと感じます。
 第二は、障害者の障害の程度であります。
 御案内のとおり、これは各種の障害の等級の一級だけでありますけれども、犯罪被害者の場合は三級までやっております。これはいろいろ問題はございますけれども、本法における貸付金も六級に広げておるわけでありますから、そういう観点からするならばさらに広げてもいいのではないかという感じがいたします。
 第三は、国と地方自治体との費用の分担であります。
 これまた多くの議論を要するところでありますから、私も断定をするものではありません。ただ、犯罪被害者のあの法律によりますと、全額国庫で持つことになっております。これは先ほど申しましたように国家賠償法的な思想というものが背景にあるからだろうと思うのであります。同じ災難でありますから、もし国民にその救済を平等にしようとするならば、この辺もまた考えねばならないことの一つであるかもしれません。私は結論を言うのじゃありませんけれども、検討すべき項目として申し上げておきたいのであります。
 それから第四は、人身被害に限定されておりますが、財産被害に対してどうすべきかという問題であります。
 先ほど申しました刑事被害者のあの法律の場合も、人身被害だけにしております。ただ、刑事犯の場合には、人身被害に比べて財産被害はきわめて少ない。しかし、災害の場合においては、人身被害よりも財産被害の方がはるかに多い。そういうことからするならば、これはなかなかむずかしい問題であります。認定の問題、それは財産がなくなってしまうのですから、一体どのくらい損失をしたかということの認定等も大変に困る、あるいはそのために虚偽の申告すらも起こり得る。そういう要素もありますけれども、しかし、さっきから一連に申しておりますところの大きな思想の流れ、性格の変革からするならば、災害の場合には財産被害に対してどうするかという問題も十分に検討せねばならない問題ではないかという感じがいたします。
 以上、本改正案に賛成しながらも、同じ災害を受けたときに国民が平等の救済を受けられるところのものという意味において、本委員会あるいは政府においても、被害者に対するところの救済の整合性を持った一連の総合的な施策が今後必要であると思いますので、そういうことの今後の御検討をお願い申し上げ、要望を申し上げまして、日本社会党の賛成の意見の表明にかえます。(拍手)

発言情報

speech_id: 109604345X00219820513_006

発言者: 木島喜兵衞

speaker_id: 24764

日付: 1982-05-13

院: 衆議院

会議名: 災害対策特別委員会災害対策の基本問題に関する小委員会