吉田栄司の発言 (行財政機構及び行政監察に関する調査会)

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○参考人(吉田栄司君) 私の方からは請願権あるいは請願制度について憲法論的な位置づけ、とりわけ私自身のとらえ方というものを御説明させていただきまして、御参考に供したいと存じます。
 なお、昨晩、西ドイツの制度についてもという御要望をファクスでいただきましたので、ごく簡単にその説明もつけ加えさせていただこうと存じます。
 さて、日本国憲法の十六条という規定、請願権の規定なわけですが、「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」と、こう規定している。
 ここで、まずその規定の枠組みにちょっと注意を喚起したいのは三つの領域、損害救済ということと公務員罷免ということと法令の制定改廃という三領域を打ち出しているということ。さらに重要な点は、「その他の事項」というふうに書かれているということ。つまり、あらゆる公権力行使がその対象になっているというふうに考えられるというところに注意を喚起させていただきたい
 その点について、実は成立の経緯で一点だけ申し上げたいのは、GHQ草案でリドレス・オブ・グリーバンスという用語が最初打ち出されていた。これは文字どおり不満、不平、文句、これの除去という言葉のはずだったのですが、意図的にといいますか、それを狭く訳出、つまり「損害の救済」と、こういう用語を当てられたがために、審議過程で、それではいかにも狭過ぎるということになって「その他」ということがつけ加えられて、文字どおり国民主権原理に転換したことを受けてこの規定にそういう広い範囲を与えたという経緯があることをまず最初に申し上げておきたいと思います。
 さて、私のこの人権規定についてのとらえ直し方というものにつきまして、実は九三年の夏に関西大学の「法学論集」に書きました。以下、短い時間ではございますが、そこに書きましたものを中心にそのとらえ方というものを述べさせていただきたいと思います。
 まず一のところで、この人権の法的性格について、従来どういう枠の中に位置づけられていたのか、それを整理し直してみました。ここには余り時間を割くつもりはございません。
 端的に言いますと、国王に対してこいねがうという形で位置づけられたこの請願権、近代ヨーロッパ立憲主義の伝統の中で位置づけられていたこの人権が、明治憲法にも一応の規定を持っていた、日本国憲法になっても、結局そこで位置づけられていた性格づけと同じものが引きずられている。日本国憲法成立当初、美濃部達吉博士が打ち出したそのとらえ方、いわば明治憲法のもとでのこの規定のとらえ方とほぼ同様に、国に対して、公権力に対して、あるいは議会に対して国民がこいねがい出る、こいねがい出てもいい、こいねがい出る権利があるというだけの国務請求。国務の内容とすれば受理、それだけの権利性格というふうになおとらえられ続けているだろうと。
 後に述べますような参政権的なとらえ方というのが六〇年代以降出てくるんですが、それをつなぐような位置づけとして、実は能動的権利という分類方法がございます。部内資料というふうな形で私の方にも送っていただきましたが、その中に出されているのでいいますと、京都大学の佐藤幸治先生等、こういう位置づけを与えられるようになってきて、それが学会においてかなり増大してきているだろうということはございます。あと、きょう参考人で来ておられます清水先生も、従来の国務請求権とか受益権とはやや異なる積極的な位置づけを与えようとされてはおられます。
 しかし、そういったいずれの分類あるいはその試み、総じて見ますと、やはり請願を提出する権利、その法的性格ということについては放そうとしていない傾向がやはり強い。つまりは提出するだけの人権ですから、公権力機関の方とすれば、やっぱり受理するという義務が発生するレベルにとどまっている。
 私といたしましては、このような把握は文字どおり、そこに書きましたように主権原理の転換を受けての請願権の位置づけとしては余りに弱い。いわば自明のことを書いているにすぎない。言いかえれば、無内容なとらえ方だというところでございます。参政権、つまり政治に参加していく人権として請願権にもっと積極的な位置づけが与えられてしかるべきだというふうに私は考えておりまして、それは六〇年代、その当時安保という問題がございまして、その時期以降幾つか参政権的な位置づけの論文が登場してきているわけですが、私は改めてそれを構成し直したいというふうに考えています。
 レジュメに打ち出しましたように、日本国憲法の人権規定のほぼ冒頭のところ、十三、十四という規定、個人の尊重、幸福追求という人権をまず打ち出して、文字どおり個人の人権保障のためにこそ公権力行使があるのだということを明確にした上で十四条で平等を打ち出す。この個々人の自由、平等という理念のためにこそ、あるいはこれを充実、確保、発展させるためにこそ、あるいは前文の言葉を使いますと、福利を国民が享受するためにこそ公権力行使があるのだということを明確にした上で、実は十五、十六、十七がある。
 ここで問題にしている請願権というのは実は十六、つまり選挙権の次に打ち込まれている。さらに十七で、国家賠償請求権という明治憲法下にはなかった人権、これが規定されている。明治憲法、つまり主権者は天皇という枠組みのもとでは天皇は悪をなし得ず、したがって国家は悪をなし得ず、役所は悪をなし得ずという基本構造がありましたので、主権原理が転換した以上、当然に改めて打ち込まれたのが十七です。その間に十六が位置づけられている。この十五、十六、十七の一体的把握こそが重要だろうというのが私の立場であります。
 私のそのとらえ方、十六条の位置づけというものには実は背景がございまして、理論構成という偉そうな言い方は恐縮ではありますが、私自身の憲法論、私自身の考え、とらえ方の全体像は括弧書きで五つほど打ち出しましたが、国家と個々人あるいは国家機関相互というところすべてについて改めて責任追及システムという理解、打ち込み方、把握の仕方をしていくべきではないかというふうに考えておりまして、先ほどから議論されております議院の国政調査権もそのような責任追及手段、つまり国会議員一人一人に端を発して、それはもちろんハウスという意味での議院の国政調査権という形にもなるわけですが、もともとは全国民を代表するメンバーとしての議員、そこから責任追及手段というのが構成されていくべきものだろう。そうとらえることによって少数派調査権の必要性等も結局浮かび上がってくるんだろうというふうに私は思っておりますが、請願の方に話を戻します。
 責任という言葉でここら辺を整理し直そうということなのですが、従属と独立、つまり一定拘束されつつ一定行動に独立性が認められる、そういう両者の関係においてこそ実は責任という概念は機能するんだろうというとらえ方を二番目に打ち出しました。
 さらに、その責任というのは実は循環をする。日本語では責任と一言で済まされておりますが、アングロサクソン及び大陸、つまりヨーロッパの方におきましては三つないし四つ概念的区別がございます。このことが日本では意識されていない。それは、下に打ち出しましたように、任務、さらにその任務に応じて行動せよ、行動しているかと問われる応答、レスポンシブル、レスポンシビリティーというこういう用語。さらに、応答不十分だというふうに判定された場合にはしっかり弁明せよ、理由を言えということを問われ得る。その説明が不十分だということになりますと、任務を与えられていたそのメンバーがかえられる。つまり、不利益をこうむるという意味での制裁を受ける、受裁という用語がございますが、こういう枠組み。これは一番上の任務、これが一番大きいです。一番広いです。
 そういう意味ではなお不分明なところがありますが、徐々にその範囲を狭めながら最終的には不利益をこうむる、取ってかわられるという構造になって、新たな任務者が設定されていく、こういう循環をとるんだろうと。このことは、行政学という政治学の一領域ではもうほぼ自明のこととして議論されている枠組みですが、憲法論ではこのことが必ずしも意識され区別されていない
 私は、十五条、十六条、十七条、つまり選挙権、請願権というものはこの枠組みの中で把握され直すべきだというふうに考えているということでございます。言いかえますと、国民の代表としての全国民を代表する議員というメンバー、その人々の仕事の仕方というものに国民は常にチェックをかけていく、もっとこうせよ、もっとこうすべきだということを常に言っていくことができる、そういう位置づけが十六条には与えられてしかるべきだろうというふうに思っております。
 三のところですが、現行法制につきましては次の辻先生の方からお話がございますでしょうから、私はごく簡単に触れます。
 請願の現行法制での主体の問題、客体ないし対象の問題、さらに手続の問題ですが、まず主体は、憲法上「何人も」と、こうなっておりますので、現行の外国人あるいは未成年者の選挙権についてはクェスチョンをつけられる、こういった主体にも請願権の人権享有主体性を認めてしかるべきだということはそのとおり。客体、対象のところでも、先ほど冒頭に申し上げましたように、憲法上は「すべて」ですので、これはそういう枠組みになっている、これもまた正当だろう。あと手続で気になるのは、憲法上は「平穏に」とだけ言っているわけでして、ここで既存の法的枠組みとして紹介議員を打ち出していることについての若干の疑問がございます。
 最後に、ごく簡単にですけれども、ドイツの制度について。
 ドイツの憲法におきましてはその十七条で、日本国憲法の十六条とほぼ同様に、何人も個人で、または他人と共同して管轄機関及び代表議会、まあ連邦議会に当たるわけですが、これに対して文書をもって請願または訴願をなす権利を有すると、こういう規定を持っておりますが、重要なことは、七五年の段階でこの憲法を改正いたしまして、請願委員会というものを議会の中に、衆議院に当たる連邦議会の方ですが、置かなければならないというふうに改正をした。つまり、請願委員会という専門の委員会、請願処理のための委員会を憲法上の機関として国会内に置くということを打ち込んだと。さらにそれを受けて、この請願委員会の権限に関する法律というものを同年、七五年に制定しております。これを契機に改めてこの国会に当たる、衆議院に当たると言った方がよろしいんでしょうけれども、連邦議会の国民からの請願処理は数の上でも倍増していく。
 さて、その具体的な手続ですが、これは私、九二年に連邦議会の議事規則を改めて全部邦訳しております。その連邦議会議事規則第九章、百八条から百十二条まで請願処理についての規定を持っております。これらの規定は先ほど申し上げた請願処理委員会の権限に関する法律とあわせて機能しているということでございます。
 ごく簡単に言いますと、まずやはり受理をされて、それが登録をされて議会内に受け入れられるわけですが、そこで実は事務局の請願課、我が国においてもあるわけですが、そこが極めて活発な活動をしておりまして、いわば事前審査をかなり厳密にやっている。実は、内容的にそれは州の権限だと。御承知のようにドイツは連邦制をとっておりますので、連邦議会に提出された案件についても州の権限というものについては当然排除しなければならない、あるいは請願内容が特定できないというようなこと。あるいは対象についてはそれぞれ所管の委員会等があるわけですし、それぞれの委員会に付託をする場合もあるんですが、主にはこの請願委員会が一挙に処理をしていくということです。
 手続上重要なことは、書類の提示、情報提供、施設への立ち入りという、先ほどから御説明のある国政調査権と極めて連動するような権限をこの委員会は持っている。さらに、請願者本人あるいは証人あるいは専門家、この公聴会といいますか聴取という権限も持っている。ここらの活動について関連する政府構成員、いわば閣僚の了解を得るというふうな手続を持ちつつそういう権限を持っている。
 とりわけ重要なことは、各行政庁の決定についてもその変更を求める等の勧告権を持っている。日本の場合の行政行為には御承知のように公定力が認められていて、裁判所あるいは権限ある監督行政庁の取り消し等の手続がない限り効力を認められますが、そこに食い込むような権限が認められているということが注目すべきところだろうと存じます。
 あと日本との相違で二点。
 それはやはり紹介議員を必要としていないあらゆる国民にそれを認めているということ。次に申し上げますのは、これは日本の議会制度とやや違うところなので妙だととらえられるかもしれません、説明すると長くなるかもしれませんが、休会中も活動を続けることができるというところです。
 とりあえずそのくらいで、時間も参りましたので、失礼いたします。

発言情報

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発言者: 吉田栄司

speaker_id: 17352

日付: 1996-12-12

院: 参議院

会議名: 行財政機構及び行政監察に関する調査会