中川正春の発言 (大蔵委員会)
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○中川(正)委員 次に、大蔵省の査定のあり方というものについて、少し質問をしていきたいと思います。
私も実は、国会に来る前に県会議員として、それこそ現場で仕事をしてまいりました。そんな中で、公共事業なりあるいはいろいろな補助事業を実施をしていく中に、いろいろな矛盾を感じながら対応をした経験がございます。例えば、治山事業あるいは道路なんかを過疎地域へつけてくれ、予算をたくさんつけてくれと。これは今の補助金体系、いわゆる中央集権の状況ですから、我々もそれを頑張るためにということでやってきました。
ところが、例えば山の中に堰堤だとかあるいは流路工をたくさんつける、でもどこかに、私たちの気持ちの中に良心の呵責がありまして、これをやっても山はやっぱり崩れてくるしなあと。あるいは、急傾斜なんかもう最たるものなんですが、急傾斜をやってくれといって、それに二億、三億かける。ふっと考え直してみると、その前にある家を一軒、二軒のければ二、三千万で済むところを、やはり二億、三億かけてこのがけを直さなきゃいけないのかな、そんなふうなことを思いながらやった覚えがございます。
それはそれで我々の気持ちの中で割り切り方があって、例えば、そうした山の中にいろいろな公共事業を入れていくというのは、公共事業のその直接の効果だけじゃなくて、これはもう失業対策事業なんだと。そこへ向いて公共のお金をほうり込むということで、これは、そこに住みついている人たちが生活ができる源なんだ、そんな気持ちで過疎対策をやった覚えもあります。
そうしたことの繰り返しの中で、例えばそれに対して、若い人たちが集まって、こんな新しい事業をやりたいんですよ、子供たちが塾に山から通うのに、まあ衛星放送あたりで直接とれてそれがちゃんと山の中でも見られるようなそういう情報システム欲しいですよねというようなそんな話が出てきて、それを通して予算査定まで持ってくると、いや、それはなかなかつきにくいんですよ、それよりも堰堤をつくったらどうですか、こういうような一つの大きな流れがあったように思うわけであります。
それ以外にも、巨額なプロジェクト、これがよく問題になっていますが、三重県あたりでいきますと、長良川河口堰あるいは三重用水事業。これは、一番最初に始まったのは、四百億ぐらいでできますよという約束で始まったのです。ところが、今になって振り返ってみると、千六百億。その中に我々の意向、例えばもう途中でやめておこうじゃないか、これはおかしいじゃないかという話ができるかといえば、一たんそうしてプロジェクトが始まってしまうと、そのまま自動的にずっと上ってしまって、それが何倍にもなってもやっぱり予算がつけ続けられるというこの現状。そして、よくこれも批判が出る話ですが、農業の圃場整備。つけてくださいよつけてくださいよとは言っておるものの、つけたあげく、ふたをあけてみたら、あっちやこっち予算を引っ張ってきておる間にもとの事業費よりも補助金の方がたくさんついてしまって、おい、割り戻しできるぞ、こういう現状もある。
でも、やっぱり私たちはそれを黙って、これは地域にとっていいことだ、こういう形でやってきておるというのは、これは、現場でそうした仕事をしながら地域ということを中心に考えていくと、どうしてもそういう仕事がひとつの誇りになり、それがひとつの選挙のもとになる、こういう意識でありました。
そこで、ふと私も振り返って感じたんですが、大蔵省の位置づけというのは、役所の中の役所、特に予算については、そうした一つ一つのチェックの中でこれは流れてきた。それが、あるときは非常につくのが難しい、大蔵省が考え方をまとめてもらえないから、あるいは理解してもらえないからつかないんだという説明があり、あるときはこうした形でいろんな矛盾を抱えながら予算執行がされてくる、こういうことなんですが、一体、そこにある、今の大蔵省の査定システムの基準、いわばこれも先ほどの話と同じことですが、何をもってどういうことを国民に説明しながら大蔵省の今の予算査定というのがなされておるのか、そこをまず聞かせていただきたいと思います。