関根則之の発言 (本会議)

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○関根則之君 私は、ただいま議題となりました臓器の移植に関する法律案、いわゆる中山案及び猪熊案両案につきまして、両発議者並びに厚生大臣に対して質問をいたします。
 生きとし生けるもの、死は避けることのできない厳粛な運命であり、それだけに人の死の問題につきましては、医学的、生物学的のみならず、社会学的、法的、さらには哲学、宗教にかかわる問題として慎重に検討され、個々人の死生観、生命倫理観により最終的に判断されるべき事柄であります。
 このため、臓器の移植に関する法律案につきましては、一部の党を除き各会派とも党議拘束を外し、衆議院本会議において採決が行われ、圧倒的賛成多数により中山案が通過し、参議院において猪熊案とともに本日審議の運びとなりました。
 本院におきましては、良識の府としての名に恥じないよう、議員個々人の良識、信条に基づき、十分な論議を積み重ねていくべきであることをまず強調しておきたいと思います。
 他方、一日千秋の思いで臓器移植を待ち望んでいらっしゃる患者や家族の方々に思いをいたしますと、何とか早く臓器移植を可能にする法制度の整備を行わなければならないという思いに駆られるのであります。
 世界の臓器移植の状況を見ますと、国連加盟国の中でいまだ臓器移植が行われていない国は、パキスタン、ルーマニア、そして日本の三カ国のみであります。
 これらの点を踏まえつつ、どのようなあり方が最善なのか、また、第三の道がないのかも含めまして審議を進めていくべきだと考えます。
 五年前に、いわゆる脳死臨調が脳死を容認し、これに賛同しない立場の意見も付して最終答申を出しましてから、国民の間にさまざまな論議がなされてまいりました。しかし、基本的な問題は、臓器移植を可能にするために脳死を人の死としてよいのかという問題であります。人類の長い歴史の中で定着してきた心臓死のほかに、新しく脳死という考え方を導入してよいのかどうか。判断に迷い、ジレンマに陥っている方々もかなり多いものと思われます。
 そこで、両法案の発議者及び厚生大臣にお伺いいたしますが、この問題で、この五年間に国民世論の動向がどのように変化し、現在いかなる状況になっているのか、御答弁を願いたいと存じます。
 中山案と猪熊案の本質的な違いは、脳死を人の死と認めるか否かについてであると私は理解しております。
 このことに関し、まず猪熊案についてお伺いいたします。
 脳死は人の死ではなく、脳死状態にある人は生きているのだという猪熊案の考え方に立てば、摘出すれば死に至る心臓を取り出すという行為は殺人罪に当たるのではないかとの指摘があります。そして、この場合、現場の医師の立場といたしましては、一つの命を救うために他の命を犠牲にするわけですから、二つの命のとうときに差を設けるということになり、モラルとして許せないとの意見もございます。また、臓器提供を受ける側にとりましても、他人を死に至らしめてまで生き長らえてよいのかとの疑問も出てまいりましょう。
 これらの指摘に対してどのようにお考えなのか、猪熊案の発議者にお伺いいたします。
 次に、この件に関して、中山案についてお伺いいたします。
 中山案は、脳死は人の死であるとの前提に立っているのではないかと思います。
 全脳の不可逆的な機能停止をもって人の死と考えており、この考え方は臓器提供の意思を有する人に適用されるだけでなく、臓器提供の意思もなく、脳死を人の死として受け入れることに疑問を感じている人にも一律に適用されることになっております。なぜこのように臓器移植と関係のない人に対してまで脳死概念を導入する必要があるのですか。
 この法律案は臓器移植に関する法律案ですから、臓器提供の意思を有する人に対してのみ脳死を適用すれば足りるのであって、その範囲を広げて脳死一般を規定することは臓器移植法案の守備範囲を超えることとなるのではないかと思います。これでは臓器移植法ではなくて脳死法になってしまっているのではないかと思います。
 次に、脳死判定の信頼性についてお伺いいたします。
 心臓死は、長い歴史の積み重ねの中で一般的にも認められてきたものであります。これは外見的にも遺族にわかりやすいものであるのに対しまして、脳死は遺族にとっては公正に判定されたものであるのかどうか不安に思うこともあると考えるのであります。このことについては、医療に対する国民の信頼性の問題が根底に横たわっているものと思います。
 脳低体温療法によって蘇生限界点が延びてきた今日、望ましい臓器を確保するために救急医療が途中で打ち切られるおそれがあるのではないか、蘇生の可能性のある患者が助からなくなるのではないかとの指摘もございます。
 現在、竹内基準が世界的に最も信頼できる基準であると言われていますが、蘇生限界点は医学の進歩によって今後とも延びていくものであると思います。脳死を人の死とすることにより、本来助かる可能性のある人の命が奪われることになりはしないかとの心配は全く起きないのか、そして、その心配を払拭させるためにどのような施策を講じるお考えなのか、中山案及び猪熊案の両発議者にお伺いいたします。
 次に、移植実施に向けての体制整備の問題についてお伺いします。
 日本における臓器移植、特に心臓移植の技術は世界に比べて一体どのくらいの水準にあるのか、このことは意見の分かれるところでもあると思います。個々の医師がおのおのの施設で臓器移植を行っても、よい成果が上がらないのではないかと思います。我が国における臓器移植を定着させていくためにも、当分の間は国内の移植を行う施設を限定する必要があるのではないかと思うのであります。この考えにつきまして、両案の発議者及び厚生大臣にお聞きします。
 次に、医の倫理の確立についてお伺いいたします。
 脳死を人の死と認めるか否かは別として、二十九年前の和思臓移植以来、臓器移植問題に対する国民の不信感は相当根強いものがあると思われます。臓器提供者及び家族の承諾なしに他の臓器等も摘出してしまい、そのことが後になって判明し問題視されたことがございます。医療側と患者や家族側との間に受けとめ方の違いがあるように思われます。しかし、個人の考え方の違いはあるにいたしましても、人間の身体はその人自身の歴史が刻み込まれており、家族や友人等にとってはその人そのものをあらわすものであり、かつ精神の宿っていたものなのであります。このような問題が今後も起き続ける限り、臓器提供者の増加も期待できないのではないかと思われます。
 臓器提供者の意思表示に当たっては、臓器提供の範囲を明確にできるようにする等、本人の意思が明確にわかるようにして、かつそれが尊重されるシステム、例えば運転免許証に組み込まれたドナーカード等を構築することが必要であると思います。そして、臓器の摘出に当たっての厳格な倫理規定の確立が何よりも求められるのではないかと思うのであります。この件に関し、中山案及び猪熊案の発議者に対してお伺いをいたします。
 そして、国民の臓器移植に対する不透明感に、臓器移植基準の明確化と情報公開を積極的に行っていくことも大切であると思います。このこともあわせて両案の発議者にお伺いいたします。
 最後に、脳死を人の死とするかどうかについて、死生観、生命倫理観が多様である現状にかんがみ、特別委員会におきましては、識者や関係者等の意見を十分拝聴するとともに、脳死段階における臓器移植は、死を迎える我が身を他者の命を長らえるためにささげるという人間の崇高な意思に基づいてのみ行われるという基本的立場に立って、脳死を人の死とすることを一般化しない方策や、脳死判定を拒否できる権利等について十分論議を深めていくべきであることを強調いたしまして、私の臓器の移植に関する両法律案に対する質問を終わります。(拍手)
   〔衆議院議員中山太郎君登壇、拍手〕

発言情報

speech_id: 114015254X02619970519_006

発言者: 関根則之

speaker_id: 3254

日付: 1997-05-19

院: 参議院

会議名: 本会議