山崎順子の発言 (本会議)
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○山崎順子君 平成会の山崎順子です。私は猪熊案に賛成の立場で質問をいたします。
今回の脳死移植問題は、医学的・法学的側面だけでなく、文化的、哲学的、宗教的、社会的側面を持ち、人類の社会に対して後世にまで重大な影響を及ぼすものだと思います。だからこそ、脳死を人の死と認めての臓器移植が適当かということについて多くの人々がためらいや疑問を感じるのであって、私は、医師や弁護士といった専門家ではありませんが、普通の人々のそうした思いを代弁するつもりで質問をさせていただきます。
まず、私がお聞きしたいことは、我が国において脳死移植を行うには新たな法律の制定が本当に不可欠なのかということです。
中山案が衆議院で可決された背景には、移植医の先生方の学会が法律なしでも脳死移植を行おうとしたことが後押しとなったとも言われており、法律がなくても脳死移植はできるとおっしゃる有識者の方々もおられます。また、諸外国における移植医療の発展は、ほとんどが医学界の自己責任による移植手術の実績の積み重ねの結果です。なぜ脳死移植実施のために新たに法律をつくる必要があるのか、両案の提出者に伺います。
次に、たとえ新たな法律の制定、改正が不可欠であるとしても、脳死は人の死であると認めないとする人たちが相当数存在する現在、脳死体を含む死体という規定は人の死を定義したことになりはしないか、そのような死生観の押しつけを法律がしていいのかという問題です。そのことについて中山案提出者に伺いたいと思います。
今回の中山案のもととなった脳死臨調の答申には、「臓器移植の推進を目標に脳死が「人の死」かどうかを議論することは適当ではない」と書かれています。しかしながら、現実には、脳死は人の死か、脳死体からの臓器移植はどのような条件のもとに認められるのかという二つの課題を中心に脳死臨調の審議は行われてきました。
このように、初めに移植ありきで、日本人の死の定義、文化さえ変えようというのは、人々のためらいどころか反発さえ生みかねず、そうした目的のために手段としての法をつくろうという態度は、臓器移植をひたすら待っている人々にとっても、また善意で臓器を提供しようという人々にも禍根を残すことになりはしないでしょうか。
さて、中山案は、法的安定性・公平性を優先する余り、脳死を一律に死として扱うという選択をし、これにより、脳死を死と認めたくない人まで脳死を宣告され、治療の打ち切り等の脳死者側の人権侵害が起こる可能性が強まってしまいました。
胆道閉鎖症の子供を守る会がこの三月に百家族を対象に実施したアンケートでは、移植法案成立を九八%の人が期待しながら、脳死体からの移植が実施されるようになった場合、「それを選ぶ」が五一%、「生体肝移植を選ぶ」が四一%と、それほど大きな開きがなかったそうです。これについて守る会の代表者は、脳死を人の死とすることに対しまだ十分確信が持てず不安と戸惑いを持っている姿が浮かび上がっていると分析しておられます。
移植を待望する家族の方々でさん不安を持っておられるのです。脳死を死と認める中山案では、ドナーの人権、治療権はどうなるのか。脳死状態の人が十分な治療を受けられないことになるのではないか。治療を打ち切らないでほしいという家族の願いは入れられるのか。また、死体となると、その医療費・保険の適用はどうなるのか。以上について、中山案提出者及び厚生大臣にお答えいただきたいと思います。
さらに、脳死判定の問題があります。
脳低体温療法など、脳死を死とする法律がなかった日本だからこそ格段に治療法が進歩したのであって、今後ますます脳の医学は進歩するでしょう。法的に死を定めれば医学の進歩を阻害することになりはしないでしょうか。脳死判定基準の信頼性と見直しの必要も含め、中山案提出者及び厚生大臣にお答えいただきたいと思います。
再び中山案の提出者に伺います。
なぜ脳死を一律に死と扱うような規定にしたのでしょうか。すべての脳死患者を死者として扱う必然性があるのでしょうか。脳死と宣告されながら出産をした妊婦の例がアメリカに一例、日本にも一例あると聞いております。
また、私は、移植を希望しておられる方々、移植医の方々が社会の幅広い支持を受けるためにも、臓器提供を希望しない脳死者の方には影響が及ばないような法律、例えば任憲法にするなり家族の脳死判定拒否権を保障する規定を設けたりする方がよいと考えております。
デンマークは、脳死法制定後、家族が脳死を受け入れられない場合は厳格に適用する必要はないという通達を出しておりますし、米国のニュージャージー州は、宗教的信条を理由とする脳死判定拒否権を認めております。このようなことは考えられないでしょうか。
脳死を死としない猪熊案に対しては、生きている人から臓器を摘出するなんて耐えられないとの強い批判があります。しかし、中山案と猪熊案では、臓器を摘出する物理的な作業、客観的事実は全く同じです。同じ脳死状態です。それを法律で死と規定しているかどうかの違いです。
猪熊案は、脳死状態になった場合にはみずからの臓器を提供したいというドナーの善意と、臓器移植でしか助からない患者さんたちを何とか助けたいという移植医の熱意をむだにしないために、厳しい条件下での脳死者からの臓器移植を社会相当行為と認め、その場合の医師による摘出行為は、刑法第三十五条の「正当な業務による行為」として違法性が阻却されるという論理をとっています。そして、臓器摘出に関する記録の作成・保存義務を定め、関係者による閲覧、謄写ができることとして透明性を確保し、犯罪等の防止に努めております。このよりに、脳死を一律に死と認めなくても十分に臓器移植はできるのではないかと思います。
良識の府と自認する参議院では、中山案、猪熊案の両案を謙虚に審議し、国民のコンセンサスが得られるまで十分な修正を行うべきではないでしょうか。そのことを両案の提出者にお尋ねし、私の質問を終わります。(拍手)
〔衆議院議員矢上雅義君登壇、拍手〕