長谷川清の発言 (経済・産業委員会)

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○長谷川清君 私は、この省エネということは、我が国は特に資源がないくせに多消費型でございます。また、どの国よりも消費の量は断トツでございます。加えまして、消費の質から見ますると、全体の量が多いのに加えまして、一どきに人が動くというか、最大電力量が世界で断トツでございます。同じ資源のないドイツ〇・三に対して、我が国はこの瞬間の電力量、四・四であります。イギリスやアメリカ等々一・九とか、二まで行っておりません。
 何かしら全体が、太郎さんも花子さんも手をつないでどこかへだあっと出かける。夏場になったら、一斉にクーラーをつけて甲子園のテレビを一斉に見る。そういったような量と質の内容というものは、私は、この省エネは人間の生き方にもかかわっている。つまり、消費があるから供給なんです。消費がなければ供給はゼロであります。
 これまた詳しくは後ほどお聞きをしたいと思いますが、そういう点からすると、ここのところでは、私は、自然というものとの共生という理念がこの省エネには根本的になければならない。それはエネルギーのもとになっているものがすべて大自然の恵みばかりでございますから、それを扱う側の我々の関係、神経、そういうものにひとつ反省といいましょうか、問題意識が必要だ。またもう一つには、リサイクル社会を構築していくんだという考え方も基本的なものとして、これは日本の場合にまだまだ努力の余地を残している、これからの問題だと思います。
 今、具体的な部分で多少の例が挙がりましたが、運輸関係や建築関係、各家庭の住宅においてもこれからはだんだん住宅がさま変わりをするでしょうし、質と量も大きくなって高くなっていくと思います。人間に欲望がある限りは需要は減らないし、統計で見てみましても大体が年間で二%伸びる、こう予測をしているようでございます。
 それに対する供給という問題、我々はそういう中にあって、CO2、いろんな悪さをする資源、悪さをしない資源、長短それぞれある中で、今は原子力を論じておりますけれども、そういう部分について、一方においては政府は供給の責任を有しており、需要の構造と需要の質、量がどうであれ、今こうしている間じゅうにも瞬時たりとも需要の関係で供給し続けている。そういうことを考えてまいりますと、私はもっと真剣に省エネという問題を大きなテーマとして取り上げていく。
 私が住んでいる近所の人から見ますると、過去の話でございますが、あなたは東京電力に勤めているのに、テレビを見ると電気を節電で消してください、それからいろいろなスイッチは根っこから消しておいてください、節電です、普通だったら自分のところでつくっているものは買ってくださいと言うのに、あなたのところは変わっていますねと、こう言われます。
 確かにそういう疑問があるのかもしれませんけれども、だからこそ私は、エネルギーは需要即供給という関係になっているから物ではないと。それを支えているのはただ単にしからば義務感だけで、供給の義務がしょわされているから供給しているのかといえば、私は義務感だけで達成されるものでもない、公益に対する使命感、そういうものがあって初めて今日のエネルギーというものが支えられていると私は思うんです。
 通産大臣にも前の審議のときにも申し上げました。昭和二十七年から今日までの間には、販売電力量は二十六倍になっております。また、発電設備は二十一倍になっております。それだけ需要が伸び、それだけ供給がされている。しかし、定員、従業員、人員というのは一定でございます。その間には第一次オイルショックもあり、第二次オイルショックもあった。繊維の構造不況もございました。鉄や造船のようなハード部門の構造不況もございました。しょっぱなの、第一次の円高時代もございました。日本の経済が大きな波をかぶるそのときでも、私は働く側の立場におりましたけれども、もうその時代から我々は働く側から生産性の向上運動に取り組み、合理化、機械化に取り組み、無人変電所をやったのは組合が提案したんです。都内にも全部三交代で変電所に勤務しておりましたが、それを全部無人にして制御コントロールにする、洗足制御所が初めてでございましたが、三年かけて組合が案をつくって、三年かけて交渉してそれは達成してきた。
 私は、今日までの間、あの戦後の中でかなり混乱をしておりましたそういう事態の中でも、我々は働く者として当時、電力はそれまでは電産で電気を消しておりましたから、スト権もとられておりました。スト権は確かに私どもは取り返しました。しかし、そのスト権は公共の事業に働く我々として行使をしたことはございません。スト権を持っているということとスト権を行使するというのは、これはまた別問題であります。我々はスト権は持っていても、事務スト程度で公共に迷惑をかけないという態度でずっとやってまいりました。
 つまり、その年度年度、時代時代における自己改革を労も使も車の両輪のようにしてやってきたからこそ、そして今原子力を振り返りますと、先ほど申し上げたように、研究の段階からそして今やベース電源にまでなってきているという事実、そういう今日までにおける原子力というものの貢献は我々がこの机上で考えているような程度のものではなくて、並大抵のものではない。そういうあらゆる長所短所のある資源というものを大事に扱ってきた。私たちはそういう視点に立って今日までやってきたことを前回も通産大臣に、これはいわゆる国家的な財産ではないですかということを申し上げたんです。
 大臣、ここでひとつ、いろいろと省エネをやっていく場合に、これから家をつくる場合にもできるだけ断熱性の高い住宅にしていくとか、効率性のあるエアコンを使っていくとか、そういったような部分に対するメーカーを含めた社会全体、国民の意識。今これからも、質問は用意しておりませんが、長期計画で二十基用意している原子力、まだ順調には進んでいないようでございます。政府が必要と認め、そしてそれを計画し、需要に対する供給が瞬時でございますから、机上では幾らでも夢物語が、計画がつくり得ますけれども、常に絶やしてはならない。しかも、建設は最低十年、今ある原子力をリフォームしようとしますと二十年かかるわけでしょう。水力でも太陽光でもあらゆる面で十年以上建設にかかるわけでありますから、瞬時とそれから中長期とこれからの次世代、そういうことを考えるのは一事業者なんでしょうか。私は、それは国でなければならぬと。
 憲法では自由という言葉が九カ所も使われております。権利という言葉も九カ所も使われている。あの二、三ページの憲法のわずかな中にきら星のように自由と権利が保障されておりますけれども、しかし責任というのは一カ所しか使われていない。憲法十二条で、この憲法で国民に保障する権利及び自由はみだりに乱用してはならない、公共の利益に利する責任を負うとあります。私は、この種の問題を論じていく場合には、好きか嫌いかではなくて、国民とそれから国の責任というものと本当に年々歳々それが接近していけるようなありよう、そういうものが非常に私は大事だと思っておりますので、そういう部分についてひとつぜひ大臣の御感想があれば、国の責任というものはどのように原子力についてお考えか、そこら辺をひとつお願いしたいと思います。

発言情報

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発言者: 長谷川清

speaker_id: 20901

日付: 1999-05-27

院: 参議院

会議名: 経済・産業委員会