山本深雪の発言 (国民福祉委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○参考人(山本深雪君) 山本深雪です。
 本日の意見提供の場をつくっていただきましたこと、ありがとうございます。
 私は、大阪での精神医療人権センターの事務局長の仕事をしています。片方で、大阪精神障害者連絡会のネットワーク委員もしておりまして、大阪府下の府の精神保健福祉審議会のお仕事もしています。その両方の立場から本日は意見提起をさせていただきたいと思っています。
 まず初めに、先日の委員会で西川先生の方から取り上げていただきましたが、九三年二月に大阪の大和川病院の中でIさんが死亡するという事件が発生しました。病院の転院後ですね。その事件が報道されたことを受けて、私たちは中の医療の質がどうなっているのか非常に心配しました。それで、中からの訴え、職員さんからの訴え、遺族からの訴え、それらを一つ一つ丁寧に聞き集めていく作業を今まで積み重ねてきております。
 その中で、できたこと、わかってきたこと、見えてきたこと、そういう大きく気になることが何点かあります。それらを整理して申し上げたいと思います。
 まず一つは、大和川病院という病院は、精神科全体にそうだというふうに言えばそうなんですが、任意入院の患者さんが約八五%を占めていたにもかかわらず、全員が門の外に出ることはできていませんでした。私たちが当初面会に訪れた九三年の二月のときにも、病棟の外に出ることのできる、かぎのかかっていない病棟は一病棟しかありませんでした。事件の発生した病棟は終日完全閉鎖病棟でした。
 入院患者が百人いるにもかかわらず、時には夜勤の職員が女性一名しかいない、そういうふうな日もあって、特にそういう夜勤の時間帯は怖い、そういうふうな職員からの訴えも多く聞きました。
 つまり、精神科の特色というのは閉じ込められているということです。中に入ったときに、片方で利用者とか精神医療の消費者であるというふうに思いながら取り組みをしていきたいと私自身も思いますが、でも現実には閉じ込められている、そう思うしかないという現実があります。任意入院という入院形態で入っているにしろ、自分の意思で入ったという、その部分がきちんと担保されるような現在の法制度ではありません。
 ですから、結局、医療機関の中で起こってしまった暗やみ、それが死亡、患者同士のけんかや、あるいは職員が目で合図することが患者への指示につながるというふうな、非常に時代錯誤のような空間がこの日本の中にもまだ残っている、そういうことが明らかになったということだと思います。
 何があればそうした事態を防ぐことができたのか、一生懸命考えました。一番大切なのは、あの病棟の中に第三者が日常的に入り込むことができていれば、まるっきりあのような病棟構造、病棟の中の人間関係にはならなかったはずです。閉鎖され切った空間が成立していたことに対して、やはり一番重要だったのは人が入っていくこと、それによって中の実態を知っていくこと、そういう取り組みを日常的にする人がいたかというところの問題点を一番目に強く感じました。
 二番目には、精神医療審査会という制度があって、電話相談窓口の電話番号が掲示されているわけですけれども、大和川病院の中に入っている患者さんたちは百人で五百円を使うしかない状態でした。つまり、小遣い銭が本人に渡されていません。そういう病棟は今もたくさん見受けられます。そういう中では、審査会という制度が片方でありながら、実態においては、みずからの気持ちでかけたいと思ったときに電話がかけられない状況が今も現場にはあるということです。決して大和川病院だけが特別ひどい状態であったというふうには私たちは認識していません。
 確かに、日曜、祭日の面会をさせないとか、あるいは電話できる時間帯が夜の七時から八時の一時間に限られるとか、そういう非常に恣意的な、通信・面会の自由を奪い取るような行為をする医療機関というのは数が多いわけではありませんが、でもやはり今の現状においても、そういう職員サイドあるいは医療機関の経営者サイドにおいて恣意的に電話すら使えない状態が発生しているという訴えは今も届いています。
 ですから、法文上明記されている通信・面会の自由、通知、通達で明記されていることと、現場において発生しているずれとをきちんと見抜いていく力、仕事、そういう業務をきちんとしていくことが大切だろうというふうに感じました。
 そして三点目には、中の入院している患者さんたちが病棟の内部で発生して目の前で起こったことを、あるいは自分が体験したことを訴えても、そのことをきちんと聞こうとする外部の方が非常に少ないという事実です。それは、中に入院している患者さんなんだから、精神異常の方の話をまともに聞けますかという当初の柏原警察の担当課長の発言にも私たちは非常にショックを受けました。
 世間がこのようにして、中に入院している人のせりふを、言葉を無効化してしまう、訴えを聞こうとしない。本当に本人は見たと言っているにもかかわらず、本当のことであるとはキャッチしてくれない。そうした壁が、閉鎖病棟の中に入院している者と外で暮らしている者との関係性の中に目に見えないバリアとしてはっきりと今も存在していることは事実であります。
 ですから、私たちは、片方で人間の自由を奪って身柄を閉じ込めるのであれば、その人たちが一生懸命に中から発信している声を聞きとめる力と熱意を持った人間を、権利擁護をするための委員として制度化していくことが、今回のようなことを未然に防いでいくために一番必要だったのではないか、そういうふうに痛感しました。
 今現在、審査会制度というのが明記されておりますけれども、行政からの独立性であったり、あるいは中に働く委員の質の部分の問題として、私は今後も十分検討の余地があることだというふうに思っています。
 人権センターが中の患者さんたちから信頼されたのは、夜の十時であろうが十一時であろうが、訴えがあるときにはきちんと話を聞きました。時間が来たからといって帰ることはしませんでした。職員であろうが、遺族であろうが、家族であろうが、退院した患者さんであろうが、病院の中の実情を教えたい、情報提供したい、そういう意思を持っている方のお話は全部丁寧に時間外であろうと聞き取りをさせていただきました。そうした蓄積が結果的に、医療の中で行われているやみの部分を明らかにしていく作業に流れていったというふうに思っています。
 お手元に配付させていただきました九七年九月二十二日作成の「大和川病院問題の経過」というのがあります。九三年に事件が発生してから九七年十月に医療機関としての取り消しに至るまでの間、なぜこのような長い時間が経過せざるを得なかったのか、片方で非常に悩みました。
 その一つとして、私が私たちの取り組みの中で思った一点は、まず今の法の規定の中には死亡に関する報告件数の報告徴収義務がありません。ですから、大阪府の方にA病院の中において今年度一年間で死亡された方の人数を把握されていますかという質問をしたときに、していません、できませんという回答でした。
 私は、いやしくも人の命ということをお預かりしている場では、その方が退院であったのか施設入所だったのか、あるいは死亡であったのか事故であったのか、そういう最低限死亡に関する報告件数と事故に関する報告件数は、報告徴収義務として行政側が把握しておくようなシステムが必要であろうということを思いました。行政側ですら知らないということではなかなか話が前に行きませんでした。
 もう一つは、お手元の四十九ページのところにもありますが、当初大阪府の方も、私たち民間団体や退院患者の話を聞きながら、医療法人の方に改善計画の提出を求めていました。ところが、そのことを拒んだときに、平成五年九月の段階で大阪府の方は改善命令を出すべく準備をしていました。それがなぜ結果的に改善命令という形でそのときに下せなかったのかという疑問がずっと残っていました。
 それらが少しずつ九七年になって明らかにされてきたものの一つに、お手元の五十ページ記載に、厚生省保健医療局長が安田系三病院に対する調査の延期を打診したということが書かれています。あるいは五十七ページの中にも、安田系三病院の同系列である安田記念医学財団という財団において厚生省の天下りの職員が二名入っていました。そうした非常に密接な関係づくりをしてきたこと。
 系列病院である三病院の立入調査をしようとしていたやさきに、それを延期してほしいということが、厚生省の保健医療局長というポジション、ポストを使ったというふうに私たちには見えるわけですが、厚生省内部の部局やあるいは大阪府の担当部局の方に日程変更の問い合わせをするというふうなことがあっていいのでしょうか。これは、厚生省の中にあろうと行政の中にあろうと、許認可権を持って仕事をしている方と、指導や処分を下すお仕事をしている部局の方とは明確に区別されてあるはずですし、そうしたことが薬害エイズの反省の中で厚生省内部においてもきちんと議論されてきたというふうに思っていましたが、ここら辺がうやむやにされたままですと、私たち市民、国民の側からすれば、やはり厚生省の中にはまだ見えない部分があるなというふうに思っている実感があります。
 ここは、九八年四月十四日の安田氏に対する刑事事件の判決の中でも触れられておりまして、遅くとも昭和五十三年以降から発生していた職員不足の指導を逃れるための道具として安田記念医学財団を使用してきた、そのように断罪しています。しかも、患者を道具にした不正請求、不正行為であった、そういうふうに裁判官も厳しく断罪しました。けれど、このことは、世間においてはこれ以上問題にされていないなというのが、私たちから見ればすごく不思議だなという気がします。できましたら、行政の中においてもう少し、何があったのか、財団法人からの寄附金が余りにも多額であったのかとか、あるいはそのことによってどのような力が発生してこのようなおかしなことになったのかという調査をきちんとしていただきたいというふうに思っています。
 そうした行政と医療機関とが癒着をしてしまえば、医療機関の中で発生している事実を職員や患者や市民団体が訴えていっても非常にむなしいものがありました。私たちは、現場がそういう事態であっていいのかということに、これではよくないというふうに痛感させられました。
 ですから、今、精神保健福祉審議会の仕事の中においても、大阪ではユーザー委員として私は入っていますが、全国の各都道府県レベルにおいても、消費者サイドの意見をきちんと反映できるシステムを取り入れていただきたいものだというふうに思っております。そうでない限り、絶大なる権限を持っている医療機関との関係の中では、お願いするしかない関係の家族、そして黙っているしかない立場の患者、そういう構図が変わっていく可能性というのがなかなか見えづらいものがあるからです。
 そういう意味では、長期的な視点に立って物を考えれば、私はやはり、患者の権利をきちんと守れるための権利擁護法というものを長期的には考えていかない限り、こうした事件の再発防止にはつながっていかないだろう、そのように思っています。
 そして、宇都宮病院の事件の反省を受けてつくられたはずの任意入院制度を形骸化させないためにも、医療保護入院との違いとか、御本人自身がここに入ります、ここで治療を受けますといって夜間にタクシーでその病院に乗り込んで任意入院になったのであれば、その方の、何時から何時までは散歩したい、何時から何時まではポストに郵便物を投函してきたい、そういう気持ちを十分に反映することのできるような処遇基準を明記していただきたい、そういうふうに思います。そうでなければ、精神科医療を受ける者が安心してかかれる医療との関係というふうに見えてこないからです。
 私たちが望むものは、拘禁ではなくて、安心してかかれる医療、治療です。そのためには、医療機関との信頼関係が非常に重要ですし、医師と患者が信頼関係をいかにしてつくることができるのかという視点をきちっと持っていただいて、その上で、情報公開であるとか、病院を見学したいという方にはオープンに開きますよという病院との関係づくりであるとか、今回の、少なくとも大和川病院等で失われてしまった医療機関との関係の信頼回復に向けて、何があればもう一度こうした繰り返しがないというふうに私たちが安心できるのかということを長期的な視点に立って考えていく必要があるなというふうに思っております。
 それは、先ほどからほかの方からも提案がありましたけれども、一つはやはり、地域で安心して暮らせる場の確保に向けた障害者の総合的な福祉法の確立でしょうし、一つは中に患者として入っている際の権利擁護法の確立でしょうし、もう一つには地域全体を考えた障害者差別禁止法というふうな関係を明確にすることだというふうに私は思っています。そういうことの中から、口先だけではないノーマライゼーションの関係を本当の意味で地域においてもつくり出していくことができるようになっていけば、閉鎖空間である病棟の中においても対等な関係、ノーマライゼーションの守られた関係ということに向けた追求が可能になるというふうに考えています。
 時間が来ているようですので、この辺で終わります。

発言情報

speech_id: 114514333X00919990420_009

発言者: 山本深雪

speaker_id: 32128

日付: 1999-04-20

院: 参議院

会議名: 国民福祉委員会