渡辺周の発言 (災害対策特別委員会)
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○渡辺(周)委員 民主党の渡辺周でございます。
この後八十分の時間をいただきまして、私と日野市朗委員と二人で、民主党の災害対策に対する考え方、あるいは、今回で期限が切れますいわゆる地震財特法の所見につきまして、国土庁長官並びに政府参考人に御質問をさせていただきます。
まず、今も御質疑がございました阪神・淡路大震災の関連につきまして、まず国土庁長官にお尋ねをしたいと思うわけであります。
長官も大阪の御出身、在でございます。私も、身内が、おふくろが大阪の出身でございまして、親族が随分向こうにいるわけでありますが、阪神・淡路大震災のあの朝のことを思い出しますと、ちょうどテレビをつけまして、朝六時半ごろのニュースだったでしょうか、たしかあのときは統一地方選挙の年でございました。選挙区内の企業の朝礼に出るために早起きをして、朝、目を覚まそうと思って顔を洗おうと、いつもの習慣でテレビをつけましたら、あの阪神・淡路の、まさに大震災の状況がたしかNHKのニュースで放映をされておりました。そのときは番組の中にほとんどコメントが出てこなかったわけです。というのは、まだ報道するところも対応ができていない、とにかく上空から映した映像だけがひたすら繰り返し流されていたわけであります。
最初見たときに、私は、たしか阪神高速だったでしょうか、橋げたもろとも橋脚ごと倒壊をした、たしかあの映像が、上空から見たときに、これはまたどこかよその国で何か、失礼な言い方ですが、どこかの国で手抜き工事でもあって、アジアのどこかの国でそういうことでもあったんだろうかと。にわかに、まさか日本の国で、あの神戸の町を中心にして起こったなどということは思いもしなかったわけです。ところが、それを見ていくうち、実はこれは紛れもない神戸の話で、今の話であると。
当初の発表された被災者人数がどんどん膨らんでいきました。御案内のように、もう終日、朝から晩までテレビ、ラジオはあの報道にかかりっ切りになったわけでありまして、六千四百三十二人という方のとうとい命が失われました。そしてまた、今もなお大勢の方が生活再建でありますとか、あるいは精神的な大きなショックを受けたまま引きずっている。
私の身内も、老夫婦が二階で寝ておりました。二階で寝ておりましたら、まさに本当に何と表現のしようもないような衝撃を受けました。そのまま布団の中に潜ったまま、一階部分が倒壊をしました。上から屋根がおっこちてきた。お父さん、もうこれで死ぬんだねと本当に二人覚悟したそうでありますが、幸いにして、しばらくして近所の人の声が聞こえてきて、瓦れきをかき分けながら地域の人に救っていただいた。後で、あのときには本当に一体何が起きたのかわからなかったと。
そしてまた、そうした話は枚挙にいとまがないわけでありますけれども、そんな中で、その後、最大時四万七千九百十一世帯が仮設住宅での生活を余儀なくされたわけでありまして、もう早いもので五年という歳月が経過をしました。
今回のこの五年という一つの節目に立って、委員会でございますので、まず冒頭に大臣のお考えを聞きたいわけでありますが、そうしたその後五年の歳月のうちに、本年一月十四日をもって応急仮設住宅が解消されました。そしてまた、全閣僚をもって構成されたいわゆる阪神・淡路復興対策本部もその設置期限を二月二十三日に迎えまして、新たなるこの復興対策本部にかわるものとして連絡会議を設置するということが決められたわけであります。
これはまず冒頭、長官の、まさに御自身の御経験、御体験、それからまた、今後のこうした復興策につきまして、この連絡会議をどのような形で組織化をして、先般の大臣所信の中にもございました、そしてまた、一月十七日の阪神・淡路大震災の追悼式におきましても小渕総理がこの点についても触れられておりますけれども、ぜひとも、ここでまず最初に長官の御所見をお尋ねしたい。またその点についてお尋ねをしたいと思います。