鹿野文永の発言 (憲法調査会)
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○鹿野文永君 鹿島台町では、新任や転任の一般職員そして教職員の職務宣誓式において、次の宣誓が行われております。「私は、ここに主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、かつ擁護することを固く誓います。私は、地方自治の本旨を体するとともに公務を民主的かつ能率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として誠実かつ公正に職務を執行することを固く誓います。」毎年四月、私は町長としてこの宣誓をみずからの面前で受け、教職員につきましては町の教育委員長が受ける場面に陪席してまいりました。
ここに私は、現在の日本国憲法を堅持することを目指す立場から意見を述べさせていただきます。
まず、私の日本国憲法に係る二つの原風景を申し上げます。
一つの原風景は、私の十四歳の春、中学校の社会科の授業でありました。
当時、社会科の副読本に「あたらしい憲法のはなし」があり、私は、昭和二十五年、中学三年生のときにこれを学んだのであります。
私は、終戦を十歳の夏に経験し、戦後の変わり果てた日本の姿は私の心に驚きと悲しみと失望をもたらしておりました。このようなとき、憲法との出会いは私にとってまさに暗夜に光明を見出した思いであり、その感動は今も鮮明に記憶からよみがえってまいります。
こうして私の脳裏にインプットされた日本国憲法は、戦争放棄、平和国家、文化国家の建設という、まばゆいばかりのあすの日本の姿をほうふつさせるものでした。しかも、荒廃した現実の日本は理想の文化国家とはほど遠く、それだけに一層、日本国憲法の放つさん然たる光は少年期の私の心に希望と夢をはぐくんでくれました。
もう一つの原風景は、これも春四月、昭和四十六年に私が鹿島台町長選挙に立候補したことであります。
私の町長選挙に立候補した目的は、地方自治の本旨を体することでした。
当時、ササニシキの産地を誇る鹿島台町で稲作と酪農を営んでおりました私は、日本の米作史上初めての全国一律一割減反を迫られておりました。国が一方的に方針を打ち出せば、県も町も押しなべて唯々諾々としてそれに右倣えをするのか、国の中央集権の前には地方自治の本旨は存在しないのか、この地方分権への目覚めが私を選挙へ駆り立てたのでした。
この二つの原風景を下地にして、私は、昭和五十年、町長に就任いたしまして、七期二十七年間、この職を続け、今日に至っております。
さて、私が町長として意を用いてまいりましたことは、憲法を町づくりにどう生かすかということと、地方分権に根差した町づくりを全国に発信し、これを国の施策にどう反映させるかということであります。
憲法を町づくりに生かすに当たり、教育基本法の前文で、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」とうたわれておりますように、私は、まず鹿島台町の地域の特性と伝統を重んじた教育の実現を図ってまいりました。
鹿島台町の地域の特性は、三百年続く品井沼という沼の干拓であり、伝統は、ササニシキなど国民の食糧の生産であります。そこで、鹿島台町で育つ全児童生徒に農業を体験してもらうための学童農園を建設しました。ことしで開園二十年を迎え、宿泊施設を兼ねたこの学童農園では、教育のカリキュラムに従って農業の体験学習が進められ、額に汗し手にまめして働く勤労精神が培われております。また、非核宣言や町民憲章、そして町の環境美化の促進に関する条例の制定は、国際平和、人権尊重、環境に係る生活権など、日本国憲法の理念を町民一人一人がより身近なものとしております。
次に、鹿島台町からの全国への発信は、水害に強い町づくりであります。
直轄河川鳴瀬、吉田両川に囲まれた鹿島台町は、品井沼干拓と水との戦いの歴史とともにあります。今から十五年前も、八・五豪雨災害により鹿島台町は未曾有の水害をこうむり、これを機に、水害に強い町づくりがスタートしました。これは町を水害に強い構造につくり上げていく事業であり、この地方分権に根差した町づくりに、国の河川事業が積極的に支援を行うものであります。ここでは、線の治水から面の治水へと、治水理念の展開も図られております。
このように、ひとり鹿島台町のみならず、全国の各市町村は、憲法の理念の実現を目指し、地方分権に根差した地域づくりにいそしんでおります。この姿こそ、市町村が、大切な我が子を育てるように日本国憲法を守り育てている姿以外の何物でもないと私は信じます。
結論を申し上げます。
そもそも、日本国憲法こそ諸悪の根源と言い切る自由こそ、ほかならぬ日本国憲法によって初めて日本社会で承認されたものである。およそ批判の自由にタブーを設けないことこそ、日本国憲法を批判する人々自身が認めなければならない。タブーへの挑戦とは、あらゆるものを一たん疑うことである。だが、ある決まりが疑いに耐えて維持されたとき、それが本物の規範として受け入れられるとの説を私は支持し、よって、私は日本国憲法の堅持を主張いたします。
今、私は、半生を振り返り、生きざまに照らして、改憲論議を聞き、日本国憲法についての世論調査を見るとき、日本国憲法がこれらの試練に耐えてこそ、人類普遍の原理として初めて本物の最高規範たり得るものとつくづく思います。よって、私はこれからも、地方自治の実践を通じ、この日本国憲法をなお一層町づくりに生かす決意であります。