飯尾潤の発言 (憲法調査会)

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○参考人(飯尾潤君) 先ほど憲法学が御専門の小林参考人から包括的なお話がございましたので、私は政治学を専門にしておりまして、やや違った角度から憲法あるいは国民主権、国の機構、統治機構でございますが、それに関するお話をさせていただきたいと存じます。
 違った角度のまず第一は、憲法ということを考える場合には、六法全書に出ております憲法の一条から順番にある、まあ前文もございますが、そういう条文を検討することだというしばしば理解がございますが、ただ憲法だけで国の機構が成り立つわけではございません。国会も実は国会法でありますとかあるいは参議院規則でありますか、あるいは内閣も内閣法以下のさまざまな、いわゆる憲法附属法と言われるようなそういう法律もございます。あるいは慣習のようなものがございますし、それから国民あるいは当事者の共通了解あるいは共通理解のようなものもございまして、そういうものが合わさった形で生きた憲法という形で運用されるのが本当ではないか。
 そうしますと、実は書いてある部分が全く同じでも、解釈とかあるいは附属法の形の変わり方によって実は憲法の内実は大きく変わってくるのではないか。あるいは、憲法の条文を変えても、理解が古いままだと憲法の条文を変えても余り意味がないことが実はあり得る。そういうタイプの話をさせていただきたいと思います。
 しかも、実はきょうは統治機構に問題を限定いたしますけれども、しばしば日本では憲法改正がなかなか、長らく行われないこと、これは戦前の帝国憲法でも同じでございましたけれども、そのために、実は憲法は極めて重要なものであって、その憲法自体が目的になる。憲法を改正することが目的であったり、あるいは改正しないことが目的になる状態がたくさんあるように思われますけれども、私のような政治学者から見ますと、国を運営していくためのルールブックの一つでございますので、そういう点でいうと、いかなる国を目指すのか、それからその手段としての憲法が出てくると、そういうタイプの考え方をすべきではないかというふうに考えておりますので、そのような観点から論点を、時間がございませんので論点を絞ってお話をさせていただきたいと思います。
 まず、論点を絞った第一は、議院内閣制の問題でございます。
 しばしばこういうことが言われております。議院内閣制はリーダーシップが不足して弱いんだ、合議制だからなかなか意思決定ができない、そういうことが言われる場合がございまして、そして議院内閣制が批判される場合がございます。しかしながら、実は世界的に見ましても必ずしも、議院内閣制が指導力を不足しているということは必ずしも言えないわけでありまして、例えば英米を比べますと、アメリカは大統領制でイギリスは議院内閣制でございますけれども、イギリスの方がむしろ果断な政治をしている側面もございまして、なかなか普通の通説といいますか、一般の理解ではどちらがどうだということはなかなか決められないということが通説かと思います。
 しかしながら、実は、現在日本の議院内閣制については余り権力の集中も見られないし、どうもリーダーシップは弱いんだと。それで、先ほど御紹介のありましたような首相公選論が出てくるわけですけれども、そこに少し誤解があるのではないかというふうに考えるわけでございます。
 と申しますのは、実は日本国憲法制定のときの過程を見ますと、戦前は議院内閣制ではございません。そして、国民主権というのは、実はしばしば誤解されますけれども、戦前でも普通選挙、男子に限られておりますけれども、普通選挙は実現しておりましたので、戦後国民主権、内実は、実は国会を国権の最高機関と定め、しかも内閣を特に参議院を中心とする国会に基礎を置くものとして民主的統制が行政府にまで及ぶということに定めたところに現憲法の最大の意義があるわけでございます。
 しかも、その憲法の条文を見ますと、実は内閣総理大臣は内閣の首長であるというふうに規定されておりまして、内閣総理大臣を中心として、ですから内閣総理大臣のリーダーシップは非常に強く出ております。例えば、各大臣についての規定はございませんけれども、七十二条については行政各部の指揮監督権まで含めて、明文の規定を日本国憲法は置いているわけでございます。
 ところがでございます、実は私の見るところ、憲法改正がそのように戦後なされたにもかかわらず、どうも日本の現在の内閣制の運用は世界の標準からする議院内閣制になってないのではないかと思われることがございます。これが直接的には内閣法三条にございます分担管理の原則でございますが、分担管理の原則を強く主張することによって内閣総理大臣の権能が非常に制限されて、憲法が予定されているものは制限されているんではないかと思うわけであります。
 非常に簡単な比喩で恐縮ですけれども、行政府を議院内閣制の原理、民主政治、国民主権だということの意味は、有権者、一般国民が代表たる国会議員を選び、国会議員が総理大臣を選び、そして総理大臣が実は閣僚を任命し、自由に免ずることが、任意に罷免することができるということでありまして、閣僚を部下とすることによって実は行政権を握るということによって一本民主政治の糸がつながるということになっているわけであります。
 そういう中では、実は内閣総理大臣のところに国の基本方針というものは集約されまして、それをもとに各大臣はそれぞれの分担する事務をすることになりますので、一貫した政治が行われるということであります。もちろん、内閣総理大臣の指名に当たりましては指名選挙がございまして、普通の政党政治の原則にいたしますと、多数党あるいは多数との連合が内閣総理大臣側に立つわけでございますので、国会の多数会派と意思というところが内閣総理大臣のところに集約されるはずであります。それがそれぞれ個別の分野に応用されるはずでございます。
 ところが、分担管理原則を強く打ち出しますと、各大臣がまずそれぞれの分野について方針を定めて、それを持ち寄って閣議をすることになってしまいます。そうすると、一般原則ではなくて、個別の処理から一般原則は逆に出てしまうと、実は国会の多数派が持っている一般原則を樹立するというところと矛盾が出てくるわけでございまして、わかりやすい言葉で言うと、これをしばしば官僚内閣制と批判されるわけでありまして、各省で準備したものが自動的に持ち上がって閣議の結論になってしまう。国会ではまた別だと。それで、しばしば日本では内閣とは別に与党なるものの存在があって、与党で政策審議をするという原則がありますが、これは世界的に見て極めてまれな現象でございますので、そういう点でいきますと、日本国憲法の段階では議院内閣制を打ち出したにもかかわらず、分担管理の原則、実はこれはまさに戦前の内閣官制に淵源を持つものでありますが、一般にも、内閣というのは日本ではこういうものだという理解があったために、実は議院内閣制が十分定着しなかったんではないかというふうに考えるわけです。
 そういう点でいうと、現在リーダーシップの不足を原因に首相公選論が唱えられておりますけれども、首相公選論の前に議院内閣制の強化、総理大臣の権能の強化ということは当然考えられてしかるべきではないか。その上で、強化された議院内閣制と首相公選論、これは先ほど御案内にありますように大統領制でありますが、大統領制を比べた場合どちらがいいのだろうか、こういう議論をせねばならないのではないかと思われます。
 ただ、もしも首相公選論の意図が権力の集中、非常に民意が一点に集まることを目的にするんであれば、実はこれは違う結論を導き出されるだろうと思われます。と申しますのは、議院内閣制は立法府と行政府が総理大臣指名選挙によって一点に結びつく体制でございますから、民意は総選挙あるいはその選挙の一点に集まるわけでございます。ところが、大統領制をとりますと、議会の選挙と大統領選挙の結果が同じとは限りませんので、しばしば両院の矛盾が起こります。むしろ大統領制の方が権力分立を主張する、そういう形でございます。
 そういう点でいうと、しばしば主張されます三権分立というのは大統領制の原則ではございますが、議院内閣制の原則ではございません。そういう点で、日本国憲法の解釈として三権分立ということがしばしば教えられているのは、少し問題があるのではないかというふうに考えております。
 現在、日本に求められているのは、むしろ先ほどから出ておりますように、民衆、一般の国民が考えているところが一致して民意という形であらわれれば、それに従って果断な政治を行うことではないかと思われますので、そういう点では強化された議院内閣制、現在の日本ではございませんが、強化された議院内閣制の方がむしろ妥当ではないかと思われまして、憲法の条文よりも内実を変えるということの努力が必要ではないかと思われます。
 それが第一点でございまして、しかしながら、日本国憲法には議院内閣制を強化するために最大の障害と見られるもの、問題がございます。
 これは、実は二院制の問題でございまして、しばしばどこの国でも上院と下院で、下院は大体一般の民衆から、国民から選ばれておりまして、上院は貴族院であることが多いわけですけれども、貴族院が権能を失うことによって議院内閣制が確立すると。二十世紀初期にイギリスで見られたことでありますが、そういうことは各国とも行われておるわけでありますが、両院が同じような権能を持っている場合においては、実は先ほど大統領制のときに申し上げた大統領と議会との矛盾と同じことが衆議院と参議院で起こり得るわけでございます。そのことをめぐってしばしば議論がなされますが、結論から申し上げますと、両院が全く同じようなものであれば、実はこの矛盾を解くことは極めて困難だということでありまして、衆議院と参議院が何らかの形で違った権能を持たねばならぬということであります。もちろん日本国憲法も制定の当初からそのことは気づかれておりまして、両院の権能には差がございます。しかしながら、我々が最近経験したところでは、一般の法律案について参議院と衆議院の議決が変わったときに、衆議院の再議決に三分の二を要求している、三分の二以上の多数を要求しているということは、実は権能においてかなり近いものを要求しているというのと同じことでありまして、そういう点で矛盾を生じているのではないかと思われます。
 これは、別にこれが悪いということではありませんけれども、しばしば言われるように、衆議院が政権を争う権力の府であるとするならば、参議院が良識の、こちらは参議院でございますが、参議院が良識の府であるということになりますと、実は権力闘争の場と良識というものが両立し得るのかどうか、そのことが大変難しいところでありまして、良識の府たらんとすれば、やや権限をやはり制限するということが必要になってくる。ただし、制限するといっても他律的にされるわけではなくて、参議院が自発的にある自制をされるということが実は議院内閣制を運用する大きな必要要件になるのではないかというふうに考えます。
 それが端的にあらわれるのは政権交代の場でありまして、衆議院は解散がございますので、それに従って多数派が変わって政権交代が起こるということがございますけれども、参議院は解散ということを予定しておりませんし、しかも半数改選でございますから、民意を、直近の民意を知るということはできないわけであります。
 そういう点でいくと、やはり何らかの形での参議院側の自制ということがあり得るのはどういう方法があるのだろうかということの検討が必要であって、もしもこの現憲法がそのことについて十分な規定を置いていないとすれば、やはり憲法改正をしてその矛盾を解くということが一貫した政治のためには必要ではないかというふうに考えるわけであります。
 そこで、そろそろ時間になりましたので最後の問題でございますけれども、もう一つ、議院内閣制というのは、擁護いたしたわけでありますけれども、基本的に間接民主制、代議制でございます。しかも、間接民主制、代議制が有効に機能するためには政党政治が重要でございますけれども、ここがポイントでございまして、しばしば総選挙で勝ったからということが言われますけれども、総選挙の争点になる、あるいは参議院の通常選挙で争点になることはすべての案件を網羅しているわけではございませんし、あるいは政党の対立軸に沿ってすべての問題が処理されるわけではございません。
 良心的な問題、その他の問題について、実は国会議員の方も民意がどこにあるかわからないという問題が生じる可能性は十分あるわけでありまして、そういう点ですべてを代議政治に任せてしまうということがよろしいかどうかは問題でございまして、限定的な問題については国会が発議して国民投票を行うというタイプの、代議制民主制を補完するタイプの直接民主制というタイプのものはあってしかるべきではないかと。
 現憲法については、ここはまさにこの調査会で問題になっております憲法について、憲法改正については国民投票を規定しております。それがあるのみでございますけれども、そのほかにもそういうことがあってよろしいのではないかというふうに考えておりまして、それについても議論が深められるべきではないかという考えを持っております。
 以上、三つの問題を取り上げましたけれども、そのほかに、これを補足する問題として一つだけ加えないといけないという問題がございます。
 これは、先ほど申しました生きた憲法のためには、実は解釈とかそういうものは非常に重要になってきます。しかしながら、しばしば日本においては憲法解釈を例えば内閣法制局の見解に頼るということが行われておりますが、実は日本国憲法は内閣法制局という機関には何らの地位も与えていないわけでありまして、行政権の補佐機構でありまして、一次的な解釈権を持っているはずがないわけであります。むしろ日本国憲法は、一次的な解釈権は国権の最高機関とされた国会に与えておりまして、国会が立法することによって憲法の解釈を示すということを要請しているのではないかと思われます。
 それが何らかの形で矛盾を来した場合には、最終的に最高裁判所の違憲立法審査権というのを憲法は予定しているのに、どうもそこまで紛争が行かないように事前に提出の段階でチェックしてしまうというのは、実は国民レベルの議論を抑えてしまう効果がございまして、そういう点でいうと、内閣法制局の解釈というのは少し抑制的にとらえるべきであって、余り内閣その他が硬直的、しかも、かつて示された解釈は決して変えられない、国会は実は議決をすれば古い法律を廃止して新しい法律をつくることができるのに、憲法解釈は変えられないということがしばしばなされるというのは少し問題であって、憲法を生かすためには実はそこについても考えないといけないというのを最後に付言をいたしまして、私の陳述を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 飯尾潤

speaker_id: 7282

日付: 2001-03-07

院: 参議院

会議名: 憲法調査会