浦田賢治の発言 (憲法調査会)

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○参考人(浦田賢治君) おととしの夏、早稲田で憲法の国際会議を開きましたところ、台湾から来ました報告者は、冒頭次のように申しました。イギリス人は、まずジョークを述べてスピーチを始める、日本人は、おわび申し上げますといってスピーチを始めると言うのであります。私は、そのいずれでもない形で始めさせていただきたいと思います。
 きょう、地下鉄で国会議事堂前駅でおりましたところ、左側に正門があるんですけれども、国会の正門には私どもは入れないということをもう四十年余り前から知っておりますので、ぐっと右へ回りまして別館というところに参りました。
 ずっと見渡しますと、面会があるし傍聴があるし参観がありますが、参考人というのは全くないわけでありますので、見ておりましたところ係の方が来られまして、議長、副議長、大臣の受付で受け付けていただきました。憲法が施行されて五十年余りたっておりますけれども、国会のこういう運用の仕方の見直しがなされたのかどうかという印象を持ちました。これは意見ではございません、印象でございます。
 イギリスでは二十年余り前、国会は特にハウス・オブ・コモンズに参りました。観光客として参りまして、何の検査もなしにすっと中に入ることができました。当日は、中でロード・ロイド・オブ・ハムステッドという方が私どもを案内してくれまして、ハウス・オブ・ローズの議長のバーというところに案内をしてくれました。日本での国会の議長の運用の仕方との違いを、きょう改めて強く感じた次第でございます。
 憲法改正の枠組みと題しまして、私は憲法解釈の学説を検討しまして、私の見解を述べたいと思います。
 その動機の一つは、議事録を見ましたところ、参考人と議員の間の意見、質疑はそれぞれ言いっ放しであるという反省の発言がございました。そこで、これまでの議事録を読み通しまして、あえて憲法改正のいわば枠について私見を簡潔に述べることにした次第でございます。
 第一の主題は、この憲法の基本原理・原則を全く変えてしまうことも憲法九十六条の改正条項によってできるのかということです。これは憲法改正の内容上の限界の問題と言われてきた論点でありまして、これについての解答はできないというのが通説です。資料としてお配りしましたものの中の注がございます。注、芦部信喜教授の「憲法学・Ⅰ」、有斐閣から一九九二年に出たものなどがそれであります。
 こうした立論の仕方からしまして、憲法改正のいわば枠組みについて、その内容、手続及び方式について私見を述べたいと思うわけでございます。
 まず、憲法そのものがこれこれのことは改正してはならないということを定めております。一つ、国民主権の原理に反する一切の憲法を排するという前文第一段。二つ、基本的人権を侵すことのできない永久の権利だとした十一条及び九十七条。三つ、戦争、武力の威嚇、行使は永久に放棄すると定める九条一項は、これは憲法が明文で改正を禁止しています。この実体的改正禁止条項の実質を変えてしまうことは明文上できません。
 しかし第二に、実体的改正禁止条項が存在しない場合に限界があるのかないのか。この点で理論上の限界がないという少数説、無限界説がありまして、その論拠は、憲法という法形式の内部に改正できる部分とできない部分が並存しているとは考えない。また、憲法制定権と憲法改正権とを区別して両者の優劣を論じる態度をとらないということであります。
 これに対して限界説は、この二つの論拠を次のように論駁します。憲法規範というものは、その憲法体制の基本原理にかかわるものとそうでないものという二種類の規範群から成り立っていると認識しますので、したがって基本原理を変えない条項は改正できるけれども、これを変える部分は改正できないと主張します。
 また次に、革命などで政治的な実力が憲法をつくる権力、いわば憲法制定権になった場合、その憲法体制の基本原理にかかわるものを持続させるために、憲法によってつくられた権力の一つである憲法改正権に対して憲法制定権が優位しまして、その改正権限を限定することができると主張します。
 しかも、この限界説の論拠にも二つのものがありまして、一つは、改正権というものは憲法制定権に従属するのみであるというものであります。さらに二つ目は、憲法制定権を拘束する規範として近代自然法を認める説がありまして、したがってこの説では憲法制定権と憲法改正権のいずれをも拘束する根本規範があると説きます。この根本規範説が有力でありまして、かつこの説が根本規範といういわば憲法の憲法に日本国憲法の究極の妥当根拠を求めるということは私は妥当な考え方であると思います。
 なお、憲法改正の理論的限界が問題となるのは主権及び憲法制定権についてであるということを示した上で、この日本国憲法の特殊性からして具体的には九条二項も変更できないという学説もあります。注に示しておきましたように、佐藤功教授の「註釈憲法」で書かれていたことであります。
 私は、この憲法の歴史的な先駆性を強く認識するものでありますので、その立場に立って、この憲法の世界平和主義が人類の未来、将来に向けて優先的な価値を有するということを強調したいと思います。
 さて、主題の第二は、憲法改正条項を改正できるかどうかということであります。憲法改正条項であります九十六条一項では、一つ、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、」、二つ、国民投票で「その過半数の賛成を必要とする。」と定めております。
 憲法改正に理論上の限界がないという少数説によれば、憲法改正条項を根拠にしてこの九十六条一項をいかようにも改正できる。だが、改正条項を改正権によって変更することはみずからが憲法制定権に成りかわることであり、原則として許されない。このうち、国民投票条項を廃止することは、改正権の自己否定であって、主権及び憲法制定権の理論的な要請に明らかに反している。この説は、注にあるとおりの憲法学者の説であります。
 では、三分の二の条項を変更することは可能であるか。これはきょう御出席の木村仁議員が提起された点でありまして、あえてここで取り上げたのはそのような理由がございます。
 この学説は、さらに次のように説明を続けます。この学説は、ちょっと戻りまして、三分の二条項を二分の一条項に変更することはできないというのであります。
 この学説は、さらにその説明を続けまして、要するに憲法制定権の存在は改正の限界をむしろ縮小し改正し得る範囲を拡大する。だから、憲法改正権の上位に憲法制定権が存在するという、そういう前提を認める方が改正はしやすくなるというふうに述べております。
 この点につきましては、次のように言う説があることを特に指摘しておきたいと思います。
 このように憲法制定権を呼び出して改正権限の枠を緩めるということは、次のような慎重な配慮のもとに、これをすべきではないというのであります。今は早稲田大学教授になっております樋口陽一氏の従来からの強い説であります。要するに、権力からの自由をこそ主要なねらいとする立憲主義の立場からは、憲法制定権をいわゆる国民の名において呼び出して法的な制約を緩和するように運用されてはならない、こういう趣旨の慎重な警告が先ほど述べた憲法学者に対してなされていると私は読みたいと思います。
 主題の三番目は、憲法を改変する方式に関する問題です。
 従来、憲法を改変する方式は二つあって、一つは、憲法典中の前文ないし本文の個別的条項について削除、修正、追加を行うこと、狭義の改正です。また、二つ、新たなる条項を加えて憲法典を増補すること、狭義の増補であります。このうち狭義の増補という方式は、既にこの憲法調査会においても指摘されたように、アメリカ合衆国憲法にその例として見ることができます。
 これについて、日本の憲法学者の中では、従来の法令改正の例から見て、日本では実際問題として憲法改正については増補方式がとられることは恐らくないものと思われると言っております。
 しかしながら、江橋崇教授は、この参議院の憲法調査会で、実際問題として憲法改正について増補の方式をとる、アメンドメントという方式をとるように主張しました。私も、この増補方式説をあるべき選択肢として重視しようではないかと提言したいのであります。
 その理由の一つは、通常の法令の場合と憲法の場合では成文法主義の具体化の仕方に顕著な違いがあって差し支えないのではないか。とすれば、日本で従来行われてきましたヨーロッパ大陸法流の法令改正の例に倣わないでもよいということになります。
 第二に、日本国憲法の改正条項の精神ないし趣旨に適合するような改変の方式を選ぶという見地に立って考えることになります。成文法主義の具体化の仕方を考える際に、増補方式は憲法のすべての条文、前文及び本文を残すことになりまして、この憲法が制定された当時の精神というものを後代に残すのに役立つのであります。
 最後に、一言まとめの言葉を申したいと思います。
 第一点として、この憲法改正には内容上の限界があること、その限界を画する際の判断基準として、私は、平和的生存権、戦争放棄及び軍備不保持に集約された世界平和主義が、日本国民やアジアの民衆ばかりか、平和を愛する、かつこれを求める諸国民、人類の将来に向けて擁護すべき優先的な価値を有するものだという点を強調したいと思います。
 第二点は、憲法制定権論を認めない立場からしても、これを認める立場からしましても、三分の二条項を二分の一条項に変更することはできないということになります。
 第三点として、憲法を改変する方式としての憲法解釈としては、修正条項を付加する増補方式がこの憲法にふさわしいということであります。
 ただし、私は、日本国憲法を擁護し、これを国内外に広めることが私どもの役割だと考えておりますので、この憲法の発展的な意味を積極的に実践していくことを自他ともに勧めたいと思うのであります。
 もう一言、感想を述べさせていただきたいと思います。
 ホームページを見ますと、この参議院の議事録の一番新しいところに次のような発言が載っております。今の憲法学者はひきょうだというのであります。
 ひきょうという言葉には二つの意味がありまして、一つは、例えば戦闘が行われている場合に兵士が逃げ出すという、そういう意味がありまして、これは兵士として心根が曲がっている、倫理的にも全く許されないことである、そういう意味があります。
 しかし、辞書を調べますと、ひきょうという言葉にはもう一つの意味がありまして、用心深いために危ないところには近寄らないということであります。憲法学者すべてを私は掌握しているわけではございませんけれども、とかく今回の憲法調査会というものが、危険への接近をしたくないという用心深い憲法学者たちの態度を生み出しているのかどうか。
 つまり、今の憲法学者は無関心、情けないと言われる一議員の発言を受けとめますと、なぜ憲法学者たちがこの憲法調査会なるものに近づかないのか、その原因をよくよくお考えになりまして、その上で参考人としてお呼びになるという新たな方策をとられてはいかがであろうかという、そういう感想を持った次第であります。
 以上で終わります。

発言情報

speech_id: 115114184X00820010523_002

発言者: 浦田賢治

speaker_id: 20906

日付: 2001-05-23

院: 参議院

会議名: 憲法調査会