中山正暉の発言 (憲法調査会)

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○中山(正)委員 十分間の時間をちょうだいして、意見を申し上げてみたいと思います。
 憲法の前文についてでございますが、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、」その次でございますが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」という文章があります。
 中央教育審議会の委員をしておられた、脳生理学の日本の権威、故人となられましたが、時実利彦先生は、京都大学の教授もなさり、東大の教授もなさり、それから日本霊長類研究所の所長をしておられた方でございます。この方とある講演会の控室で面と向かっておりましたときに、中山さん、私の今までの脳生理学的、学問的見地から考えて、この憲法は、前文のこの文章からもう間違っていますよ、人間の脳の本性の中には殺しの本性しかないんです、こういうお話を聞きまして、私は実は驚いたわけでございます。
 中山さん、ライオンはライオンを殺さない、オオカミもオオカミを殺さない、人間だけが人間を殺す。親が子を殺し、子が親を殺す。このごろは、世の中に、そういうニュースはちまたにあふれているわけでございますが。そのことから考えて、長年人間の脳というものを研究してきた結果は、自分は、憲法が前文から間違っていると思っているということをおっしゃいました。
 平和とか幽霊というのは、確かに言葉はあるんですが、いまだかつて平和が永久に続いたことはないし、幽霊をつかまえた人はいません。次の戦争までが平和だというのが平和です。字の講釈で恐縮でございますが、平という字は、漢字はよくできていると思うんですが、上の一本は天でございます。下の一本は地です。間に人を入れて、やじろべえのように棒で支える。天と地の間に人を入れて、それを、差別をなくして、区別と差別は違いますが、差別をなくして平等に扱うというのが平という字の語源です。それから、和というのは、これは、のぎへんというのはアワ、麦、ヒエ、大豆、小豆、米、そういうものを口に入れる。平和というのは、食べ物を口に入れて、そして人を平等に扱うというのが平和です。その平和すら、言葉は存在しても、今まで確立したことはないわけですね。
 今まさに、戦争なのか犯罪なのかという、アフガン問題に見るように。また、イスラエルというところに、アラブは二十二カ国ありますが、国境も首都も、それから人口もはっきりしない、アラファト氏の、パレスチナの国家をこれからつくろうということで、これすらも世界の象徴とすべく、特にスペインでは五百年間ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が仲よく住んでいましたから、マドリードで中東和平の協定が結ばれて、そしてイスラエルに乗り込んできましたが、いまだにうまくいきません。
 その時実利彦先生という方がおっしゃったのは、人間の心というのはどこにあるのか。人間の心といったら前頭葉にあるわけでございますね。昔は、すぐ胸をたたいて、心というのはここにあると。
 これは、一休禅師という方が、ある侍から、和尚、心というのはどこにあるんだと聞かれたときに、いや、ここにあると胸をたたいた。それじゃ、心とかを切り抜いて見せてくれと言われて、一休禅師が「年ごとに咲くや吉野の桜花木を切りてみよ花のありかは」とおっしゃった。心というのは、そのときが来て外へあらわれてこそそれが心なんだ、桜の花が四月に咲くからといって、木の幹を切ったって桜の花なんかその中にないよ、こうおっしゃったといいます。
 時実先生が、脳生理学上、人間の前頭葉には百四十億の細胞がしわしわの大脳皮質に包まれていて、これは開くと新聞紙の一枚の大きさになるんだそうです。情報源である新聞紙の大きさが人間の脳の前頭葉と等比に匹敵するのは非常におもしろい話だというお話も聞かせていただきましたが、人間だけが、百四十億から百五十億ある前頭葉の細胞一つずつに突起が五十本ぐらい出ている。それが三歳から十歳までの間に絡みつく。ところが、ライオンは初めからライオンの配線で生まれてくる、オオカミはオオカミの配線で生まれてくる。
 インドでアマラとカマラという二人のオオカミ少女が見つかったことがあります。一人は七歳で死にましたが、死んだときに顕微鏡で見てみたら、何とオオカミの脳の絡み方と一緒だった。だから、人間はオオカミに育てられたらオオカミになる可能性がある。絶対に手で御飯を食べなかった、成長してもなべの中へ顔を突っ込んで食べたと。オオカミの食べ方ですね。
 そのことから考えますと、「野生のエルザ」という映画にもなりましたが、英国の女性の動物学者がアフリカへ行って、ライオンを何とか人間にしようと思って教育したが、やはり野生に返っていった。
 これを考えても、人間の脳というのは、同じように大学を出て、会社へ一緒に入ったけれども、だれかが先に課長になる、いや、何とか君おめでとうと口で言っても、実は腹の中じゃ殺してやろうかなと思っているというんですね。
 それがしかし、教育とか宗教とか倫理とか道徳とか愛の精神、それを人間は教育というもので受けるから、人間は、相手の出世に対して、いや、おめでとうと、全然心とは違う、相手に対する愛情を持って対応する。そして、自分の子供が警察に捕まると、警察へ飛んでいって、うちの子に限ってそんなことするわけがありませんと、お母さんが机をたたいて警察官にどなる。これは、相手の存在を愛で認めているのです。飲んだくれの亭主で、ろくなものでないと、近所の人からもう別れた方がいいんじゃないのと言われても、あれでもいいところがあるんですよなんて言って添い遂げる。これも人間の、相手の存在を愛で認める行動です。中山さん、これが教育だと言われました。
 しかし、日本の憲法の前文というのは、これは幻想だと指摘されました。
 フランシス・ベーコンという人が、ギリシャのアリストテレスのスコラ哲学に対して、これを批判しました。その中に、いわゆる劇場のイドラ、幻想、これは劇場という権威の妄信を批判したのです。昔ならアリストテレスという人が言ったことに対しては逆らえなかったというようなことがあった。今ならテレビで聞いた、新聞に書いてあった、だからあなたは間違っていると。マルクスが言った、毛沢東が言った、レーニンが言った、だから間違いはない。そういう権威に弱い人間の状態、それをいわゆる劇場のイドラというそうでございます。
 それから、これはいわゆる市場のイドラというんだそうで、市場での交際から言葉を交わしているうちに、言葉で生まれる偏見です。さっきの平和と幽霊ですね。
 それからもう一つは、種族のイドラという、常識に関してのことです。常識として地球は平らだと言っていたときに、いや、そんなことはない、地球は丸いんだよと言ったら、もう少しで死刑になりかけた人がいるんですね。昔は、レコード盤みたいに、海の向こうへ行って帰ってこないのは、向こうに滝みたいなものがあって、落ちて、帰ってこないんだと思っていた。地球は丸い、それを言った途端にそれが罪になる可能性すらあったということです。だから、地球は丸いというのは今では当たり前の話なんですが、常識すら変わることがある。
 化け物というのは昔は信じられていて、雷なんていうのは化け物のしわざだった。天神様の話がいい例ですね。菅原道真が藤原時平にざん言を受けて、そして太宰府に追放されて、二十年後に雷になって帰ってきた。だから、不思議なことに桑原というところだけに落ちなかった。雷が鳴ると、くわばらくわばらと言うと、菅原道真の領地だったので落ちないんだというのがうわさで広がって、今でも難儀なことがあると、くわばらくわばらと言って避けるという風習がありますが、これもその話でございます。
 それから、洞窟のイドラ。これは、井の中のカワズ大海を知らず。個人の性癖による偏見です。
 この四つの幻想からいかに逃れるか、これが大切です。
 十分では時間がなかなか足りませんが、そういう幻想から離れて、前文から間違っている憲法は前文からひとつ考え直す必要があるのじゃないか。ないものを追い求める憲法では、国民の将来が心配です。我々はやがて死にます。「生まれては死ぬるものなり押しなべて釈迦も達磨も猫もしゃくしも」、一休の辞世の句です。みんな死ぬのですから、その後の、私どもの子供の時代、孫の時代を考えれば、間違った幻想にとらわれた前文から始まる憲法である上に、アメリカ人から押しつけられたものをいつまでも大事にしていることは、我々、現在生きている者として、責任を果たしていないということだと思います。
 ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 中山正暉

speaker_id: 32328

日付: 2001-12-06

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会