今野東の発言 (憲法調査会)
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○今野委員 今野東でございます。
憲法についてはさまざまな議論がありますが、私は、本日は、外国人の人権と、もう一つ、安全保障という二つの点について意見を述べさせていただきます。
外国人とは、日本の国籍を持たない者と定められておりますが、その中にも、外国籍の人、また無国籍の人がありまして、さらに、その中間に、まだ国家として独立していない地域の人々、あるいは、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国や台湾のように、日本が国家として認めていない地域の人々が存在します。もっとも、この中には、実際には外国の国民としての地位を認めているという面もありますが、人権として考えていくときには、未承認国の国民、未国交、未回復国の国民も外国国民としての正当な扱いがなされるべきでありまして、無国籍の発生をできる限り防がなければなりません。
一九四八年の世界人権宣言、一九五一年の難民条約、一九六六年の国際人権規約などの制定を通して、人権は国際的管轄事項だという認識が標準となっております。外国人の自由権を認める国はふえましたが、外国人の社会権については、日本も含めまして、問題を抱えている国が多いというのが現状であります。
日本国憲法は、外国人の人権をどのように保障しているのでしょうか。憲法第三章、国民の権利義務には、外国人の人権は明文化されておりません。しかし、人権の自然権的性質から、外国人の人権を保障することについては見解の一致が見られます。また、外国人の人権享有主体性についてどういう見方をするかで、日本の憲法がどのように外国人の人権を保障するのかが分かれてきます。
この外国人の人権享有主体性については、幾つかの説があります。一つは、全くこれを認めない保障否定説。それから、原則として憲法の書き出しによって、「国民は、」という書き出しと「何人も、」で始まる条項を分けて考えまして、部分的に保障しているのだという説。それから、人権の性質によって保障の有無を決定する権利性質説。そして、国民と同じような生活をしている者には国民と同等の保障をするのだという考え方の準用説などがあります。
これらのことに基づきまして、私たちは、在日韓国・朝鮮民主主義人民共和国の人たちの再入国の権利ですとか、それから、外国人登録についての問題、外国人の入居差別、入店差別、受験差別、あるいは地方自治体における外国人の参政権等、さまざまな問題があって、これらについても私たちは論議をまだまだ続けていかなければならないと思っております。
さて次に、安全保障についてですが、安全保障については日本とアメリカの関係を除いては語れない、これはだれでも共有して持っている意識だろうと思いますが、私は、これまでの日本とアメリカとの関係は多としながらも、その関係は冷静に見直していかなければならないと考えております。
そこで出てくるのが人間の安全保障という考え方でありますが、国連では、一九九〇年になりまして人間の安全保障という言葉が使われるようになりました。一人一人の人間にとって最も大事なものは命であります。その命を支える物質的、経済的な基盤を奪われたり、脅かされたりしないように安全を保つという考え方は、これからの国際紛争解決のキーにしていかなければならないと考えております。
人間の安全保障には国境がありません。それでは、人間の安全保障という観点から、だれがおびえている人を救うかといいますと、一つの国自身や国という単位で構成された軍隊ではそれを遂行しにくい、やはり国境が外れた国連軍であるべきではないかと私は考えます。しかし、大国の利益が大手を振って濶歩している今の国連では、国連として正しく存在しているとは思えませんし、その国連が国連軍を形成して人間の安全保障のためにその目的を遂行するとは考えにくい、日本はそのことをこそ叫ぶべきではないかと思います。国連の構成メンバーの一員である日本が、世界のどこかで起こる紛争解決のためにみずからの憲法を変えるという視点があるとすれば、それは慎重に訂正しなければならないと思います。
日本が独自で定めた自主憲法を持つべきだという話もあります。確かに、現憲法は、第二次大戦後の、アメリカ主導によってつくられたもので、日本が二度と武力を行使して世界の国々と戦うことがないように、その方法のあらゆる可能性を抜き取ったものであります。
しかし、この憲法こそ、世界の国々が定めるべきものではないでしょうか。日本は世界の国々に向けて、世界が平和であるための一つ一つの国のありようの理想の姿を、他の国々に先駆けて掲げたのだと、私は国民の一人として誇り高く思います。国がみずからに制限を加え、戦うためのすべをもぎ取っておくことこそ理性ある国の姿ではないでしょうか。そうしておいて、国連に本来の国連としての姿を求めていく、そして、国連軍ができて、国民のだれかがそこに個人として参加しようとするときに、その個人の世界平和への意思を国として拒まない、世界平和への秩序はそのように求めていけばいいのではないかと考えております。
以上でございます。