相沢英之の発言 (本会議)
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○相沢英之君 ただいま、私ども議員九名が院議をもって永年在職議員として表彰の栄を賜りました。まことに光栄この上もなく、ここに、年長をゆえともちまして、一同を代表して、心からお礼の言葉を申し上げたいと存じます。(拍手)
私が二十五年の長きにわたり、本院に在籍し、院にあっては、法務委員長、外務委員長などの大役を務め、経済企画庁長官、金融再生委員長の要職も大過なく務めさせていただきました上、今日ここにこのような栄誉に浴することができましたのは、ひとえに、先輩、同僚議員の皆様の御厚情と郷土鳥取県の皆様の多年にわたる温かい御支援の賜物でありまして、この機会に心から厚く御礼を申し上げます。(拍手)
顧みますと、昭和十七年秋、学徒動員で陸軍に入隊、兵役にあること六年、この間、中国各地を転戦後、北鮮に移駐、戦後三年間のソ連抑留生活を体験し、二十三年の夏、舞鶴に上陸いたしました。
戦災による廃墟を目の前にし、戦争中及び抑留間、喪われた多くの戦友の死を思うとき、胸中深くふつふつとして湧き上がるものは不戦の誓いでありました。子々孫々に至るまで再び戦争の悲哀を嘗めさせるな、そして、万一戦うことあらば絶対に負けてはならない、そしてまた、戦争から生きて帰れた自分のこのいわば拾いものの人生は亡き戦友達の志に捧げ、世界の平和のため、お国の復興のため、生命ある限り働かなければならないという固い思いでありました。(拍手)
復員後、大蔵省に復帰し、昭和四十九年、事務次官で退官後、故赤沢正道先生の強い慫慂もあり、鳥取県から衆議院議員選挙に立候補を表明いたしましたが、それは、この思いを実現すべく、政治家として微力を盡すべき秋が来たと思ったからであります。
長い官歴を生かして中央政界において活動すること及び地元山陰の発展のため中央とのパイプ役として働くことをモットーに掲げ、私が初当選いたしましたのは昭和五十一年十二月、戦後初の任期満了選挙が行われ、三木首相の退陣、福田内閣の誕生を見た時であります。
爾来二十五年、自民党の政治主導のもと、我が国経済は生々発展を続け、高度成長の極限としていわゆるバブル期に突入、株価も地価も異常な昂騰を見せましたが、軈てバブルの崩壊、今や円高、産業の空洞化、戦後最高の完全失業率、経済のマイナス成長、著しい少子化現象等、いまだかつて経験したことのないほどの深刻な事態に直面いたしております。
近くはまた、米国におけるイスラム過激派勢力による集中テロ事件の勃発により惹き起こされた世界的な政治経済の混乱にも、我々は敢然として、勇気を持って立ち向かうことが求められております。
今こそ、国政に参画する者として、日はまた昇るという固い信念を持ち、国民の英知と努力によって築き上げられてきた国際的評価と実力に率直に眼をいたし、議会制民主主義のもと、政治、経済、社会のシステムを大胆に見直し、新しい活力ある構造改革を実現しなければなりません。日々三省の心をもって自粛自戒し、謙虚に課題に直面し、明るい、力ある日本の再生に向けて、勇気を持って責任ある政策を遂行し、国民の負託に応えることをお誓い申し上げ、御挨拶といたします。ありがとうございました。(拍手)