世耕弘成の発言 (憲法調査会)

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○世耕弘成君 自由民主党の世耕弘成でございます。
 今まで法曹界、学界等に身を置かれた専門的な視点からの御意見が多かったわけですが、少し素人感覚で幾つか申し上げてみたいと思います。
 その前に、まず先ほど舛添議員から引用のありました読売新聞の調査結果の中、世論調査結果の中で一つ大変気になる数字がありました。それは、この憲法調査会、もう既に二年以上機能しているわけですけれども、この憲法調査会に関心があると答えた人は三二%にしかすぎなかったと。逆に、関心がないと答えた人は六四%。関心があると答えた人の倍もいたということで、これは非常に残念な数字だなと。諸先輩、同僚議員の皆さん、あるいはいろいろな専門家を呼んでかなり深い議論をしていると私も思っておりますけれども、なかなかそれが国民に評価をされていないということが非常に残念だと思っています。
 しかし、この憲法調査会に対する国民の評価というのは、ある種、今の政治に対する国民の評価が一つ投影されてきているのではないかなというふうに思っています。というのは、この憲法調査会が、やはり国民から見た場合、憲法の在り方について決める場ではなくて、あくまでも調査をするだけの場であるというところにやはり国民の関心が低いところの最大の原因があるんではないかなと、私はそういうふうに思っています。
 やはり、憲法調査会も、憲法の議論というのは、国会で行う憲法の議論というのは、国民から請託を受けた国会議員がやはり現実的に、プラグマティックにやはり国民に対して方向性を示していくということも非常に重要ではないかなというふうに思っております。
 私自身、初当選してからまだ政治の世界に身を置いて三年半なわけですけれども、その中で政治というものについていろいろと考えてまいりました。政治というのは一体何なのだろうかということを考えてまいりました。その中で、自分なりに今一つの結論を得ているのは、政治というものの役割とか機能を本当の意味で、短く大胆に要約をすると、やはり決めるということではないかというふうに思っております。いろいろな価値観がある、いろいろな意見がある、だけれどもそれを全部同時に実現することは不可能という中で、しっかりと議論をした上でやはり一つの結論を導いて現実の政策行動につなげていくというのが政治なんではないかなという気がしております。その点でいえば、この日本の政治というものには、やはり決めるという機能が決定的に欠如をしているのではないかという思いがしております。
 先ほど、平野議員から、なし崩しとかなれ合いとかいう御指摘がありましたけれども、私も全く同感でございまして、やはり村社会の伝統というのを非常に根強く引きずっていて、徹底的に議論をしてそして最後は多数決ですぱっと物を決めていくという習慣が、単に我々の中だけではなくて、日本社会全体に欠如をしているような気がします。
 他党のことは分かりませんが、我が自民党でも、私は入党して以来、手を挙げて多数決で物を決めたという経験は全くございませんで、大体、全会一致か議長一任という形で決まっていきます。これは、単に自民党だけの問題ではなくて内閣でもそうでございます。閣議というのは、これは多数決ではなくてあくまでも全会一致で決められる、そしてまた、閣議で、私は当然、閣僚の間で活発な議論が行われているのかと思っておりましたら、大臣経験者の方に聞いたら、閣議での発言というのはすべて事前に登録をしなきゃいけないということを聞いて、内閣でもそういう活発な議論の結果、多数決で物を決めるという機能が機能していないんだなということを痛感した次第でございます。
 やはり、この憲法を考えていく中でも、この日本の法体系の中で決めるという機能がどういうふうに位置付けられているのかというのをしっかりと考えていく必要がある、それがどういうふうに機能をしていくのかというのをしっかりと考えていく必要があると思っております。特に、決めるという観点では、単に平時の物事を決めていくだけではなくて、一朝有事のときにどう物を決めていくか、単に戦争だけではなくて、例えば首相に事故があった場合等の危機管理全般ですけれども、そういうときにどういうふうに決めていくかという仕組みも意識しておく必要があると思っております。
 現在、国会でこれから有事法制の議論も行われていくことになるわけですけれども、一部有事法制があるから有事が起こるというような議論がありますが、これは消火器があるから火事が起こるという議論と私は同レベルだと思っておりまして、もう一度日本の憲法から法律あるいは政令、条例に至る法体系を全部点検して、どういう事態においても一種マニュアル的にきちっと物事を決める仕組みが確立されているかどうかというのをチェックすべきだと私は思っております。
 やはり私は、政治が物を決めないということが国民からも大きな失望を受けているんではないかと思っています。政治が物事をきっちり決めないのであれば国民が直接決めようじゃないか、そういう風潮が根底にあって、やはり最近の首相公選論とかあるいは住民投票等による直接民主主義といった動きが出てきているのではないかと思っています。これは私は、政治の貧困に対してあいくちが突き付けられたに等しいことだと思っておりまして、議員としても真剣に反省をしなきゃいけないんではないかと思っています。
 しかし現実に、首相公選導入、先ほどの読売新聞の調査では、六三%が望ましい、また住民投票を求める動きも非常に強まっているわけでございます。
 私も、住民投票はともかく、首相公選制につきましてはこれまでも真剣に検討をしてまいりましたし、今までは首相公選論者の一人でありました。あえて過去形で言わせていただきますけれども、首相公選をきっかけに憲法改正に取り組めば国民が納得しやすいのではないかとか、あるいは毎年年中行事のように国のリーダーが替わっていく現状に対して、やはり安定的に一定の任期を持って仕事をやった方がいいんじゃないかという意見を持っておりましたけれども、しかしこの考えは今少し変わりつつあります。
 特に最近の世論というものの非常に激しい動きに関して、この中で首相公選制を導入して本当に大丈夫かなという気持ちを持っております。こういう中で首相公選制を導入した場合、やはりポピュリズムによって、不適切な人がそれこそやぶから棒が出てきたように首相に選任されることになるのではないかという懸念を私は持っておりますし、また、ナチス・ドイツが国民投票という手法を多用して権力を獲得していっていったという事実、あるいは第二次世界大戦下の日本やドイツが、まあ国民が情報を正しく適切に与えられていたかどうかという問題はちょっと置いておくとしましても、東條内閣やヒトラー政権を圧倒的に支持していたという歴史的事実も忘れてはならないと思っています。
 この内閣支持率の乱高下なんかを見ていると本当に不安になります。マスコミの支持率調査で、四〇%を切ったら赤信号で一〇%を切ったら退陣だなんというのがもう今何か当たり前の法則のようになっていますが、非常に危険だと思っていますし、アジアの国会議員たちと私は議論をしたときにそのことを鋭く指摘をされました。今の日本の世論の動き、特に内閣に対する支持が、ある日突然低くなってみたり、ある日突然高くなってみたりするその現状を見たときに、いつ日本人が軍国主義を支持する世論にぱっと傾いても不思議はない、恐怖感を持っているという意見を言われまして、これに対してはもう私、返す言葉もなかったというのが現実でございます。
 私自身、そういう経験も踏まえて、元々は首相公選の早期導入論者ではありましたけれども、早急な導入には慎重な立場を最近では取るようになっております。
 そして、まずは現行の議院内閣制度の仕組みの中でできる限り国民の意見をうまく取り入れる形で首相を決める仕組みを構築することが重要だと思っております。特に、議員の改選と首相が選ばれるという行為が全く無関係だというところに国民の不満が非常に集積していると思います。
 我々、自民党の中で今検討のたたき台として国家ビジョン策定委員会というところで政治システムというのをやりました。これは官と民の関係だとか事前審査の廃止、そればかりを言われていますが、実は第一章で選挙のやり方、特に選挙において公約の掲げ方というのを一番に述べております。やはり政党が選挙を戦うときには、選挙に勝ったらだれを総理大臣にするかということをやはりきっちりと掲げた上で選挙を戦う、これが私は議院内閣制度を保持しながら国民の今いろいろ持っている首相、政治のリーダーシップに対する不満を解消する手だてになるのではないかなというふうに思っております。
 以上でございます。

発言情報

speech_id: 115414184X00420020410_014

発言者: 世耕弘成

speaker_id: 15381

日付: 2002-04-10

院: 参議院

会議名: 憲法調査会