中山正暉の発言 (憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会)

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○中山(正)小委員 先生、御苦労さまでございました。中山正暉でございます。
 非常に高度な御解析をいただきましたことに心から敬意を表しますと同時に、きのう、きょう質問してくれというお話をいただきましたので、私といたしましては、昭和三十八年に私は地方議会からスタートしまして、およそ四十年間、国会に出していただいてから三十四年がたっておりますが、その間の自分の経験をもとに物を言うことしかできないのかな、こう思っております。
 まず、私は、日本の政党の始まり、これが憲法と言えるかどうかは別にして、十七条憲法の第一条には、人皆たむろありと。たむろという字は、党という字を聖徳太子は書いておられます。人皆党あり、争うことなきを旨とせよ、和をもってとうとしとなせとおっしゃっている。
 私は、日本のいわゆる政党、そのころは、言えば蘇我党、物部党みたいなのがあって、蘇我入鹿が新羅の方に加担をする。中大兄皇子とか軽皇子とかが、皇極天皇を中心にして百済の方に加担をする。それが、蘇我入鹿を板蓋宮で中大兄皇子と軽皇子が首をはねることによって、朝鮮出兵の問題が議論をされた。そのときの党というもの、そういうことを予測しておられたものは、とにかく仏教と神道、両方を祭れ、争うなよとおっしゃったこと、これが私は割に世界的に古い政党論の根底じゃないかなと思っています。
 私の経験から申し上げますと、私が大阪市議会議員として地方議会の選挙に立候補したときは、大阪自民党府連本部は公認してくれましたが、選挙区の支部では認められず、苦労して当選はしました。しかし、大阪市長は、指定都市初めての革新市長が誕生して、少数自民党、しかも野党議員というのが私の政治生活のスタートでございました。
 非常に複雑な、この自民党の中でも、私はちょっと違った体験をしておりますが、今はもう私の頭の中には政党という感覚はほとんどありません。もう連立政権になっておりますし、特に冷戦構造の中で、社会主義か共産主義か、それから自由主義かというその中で、私は自由主義が大事だと思って、その政党に所属してきました。
 ところが、私のかつての経験で、大変私を悩ませる事件が起こったんです。それは、二つの中国のうち、自由主義の台湾を自民党が切れと言い出しました。何だろうと。私は、それでは自分がやめて、自分の選挙区の共産党さんに投票した方がいいんじゃないか、こう思いましたので、私は最後まで日中条約に反対をいたしました。外務委員会で私一人、たった一人で反対しました。当時の大平幹事長のところへ行ったら、私のおやじが前日に死んだわけでございまして、お父さん死んで大変だったね、またあしたから頑張ってねと。きっと除名されると思ったら、除名もされませんでした。
 そこで、私のおやじの話で恐縮なんでございますが、私のおやじは戦前、昭和七年に国会に当選をいたしまして、そして、昭和十五年の東条英機の陸軍大臣のときに、斎藤隆夫という方が反軍演説をいたしました。私のおやじは、当時、進行係をそのころ四年やっておりまして、その進行係をしていたおやじは、たちまち斎藤隆夫を除名するという国会の動きに反対をいたしまして、死刑の判決があっても直ちに執行をするということはないだろうと言いました。ついにそれが、東条英機さんから国会の廊下で腕をつかまれて、お前のようなやつがいるからぐあいが悪いといって、廊下へ追い詰められたことがあったとおやじが言っておりました。
 それから考えてみると、それは二・二六事件以来、高橋是清とか自由主義政治家がみんな、国家社会主義、北一輝なんかに指導されていた軍部、ある意味では、軍隊による社会主義革命行動みたいなものに自由主義政治家がみんな殺されて、本当の残っている自由主義政治家がはっきり物を言わなくなった。このことが大政翼賛会に発展していって、政党が全部解散されたと思っています。
 私が先生に伺いたいのは、ドイツは、モスクワの革命が起こります前にミュンヘン革命というのがありました。ミュンヘンで、革命政府に対して農村が食糧を送らなかった。ロシア以前にドイツで革命が起こったときの革命の失敗は、農民が革命政府に協力をしなかったという事態があります。ドイツもまた、ヒトラーという人によってどんどん独裁政権ができていきましたから、その経験で、今ドイツというのは、政党法を大変上手につくり、少数政党が突然出てきて支配することのないように、知恵を出しています。世の中を治めるものは、政治家の議論でもなし、学者の理論でもなし、実際にこの世の中を支配するものは、最後は恐怖と暴力だと言われておりますから、政治に恐怖と暴力が立ち向かってきたときに、一体どんなふうに歯どめをかけるのか。
 日本は、アメリカのように共和党と民主党という二大政党ではございません。共産党さんも立派な政党でございます。アメリカは、いわゆる結社としては共産党を認められておりますが、財政上、共産党の国会議員が選ばれても、それに給料を払っちゃいかぬということになっておりますから、事実上、戦前の日本と同じような形態になっております。
 そんな中で、一体、これからの憲法改正にこれを盛り込む盛り込まないは別にいたしまして、日本での政党法というのを、民主主義が定着しますように、とんでもない方向にある日突然向かっていかないようにせねばなりません。小泉総理大臣という人は、改革に反対をしたらおれが自民党をつぶすと言っている。みんなは辛抱してそれを聞いているわけでございますが。そういう話になってくると、いつまた政党再編成、それがどっちの方向へ向いていくかわからない。
 勝手に演説していたらぐあいが悪いので、ひとつ先生が、これからの日本の民主主義の中で、政党というものを定着させるためには一体どういうふうにしたらいいのか。技術的な問題であって、なかなか結論は出しにくいと、先生のさっきの御議論の中でもちょっと耳に挟んだように思いますが、その中で理想的なものを、お若い学者の先生として、政党法とはこうあるべきだというのは、日本の割に浅い政党政治の歴史の中でどんなふうに考えたらいいのか、御示唆をいただければありがたいと思います。

発言情報

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発言者: 中山正暉

speaker_id: 32328

日付: 2002-11-14

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会