谷川和穗の発言 (憲法調査会)

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○谷川委員 時間を与えていただきまして、ありがとうございます。本日、こういう緊急な事態なので、私は、イラクの問題に関して、条約と我が国憲法との関連だけにつきまして発言をさせていただきたいと思います。
 国連決議なく、米英の単独軍事行動による戦争だ、もし今回戦争が始まればこういうことだ、こういう発言がありますが、果たしてそうでしょうか。この問題を考えたときに、私は、国際連盟はなぜ機能不全に陥ったか、その事実を思い起こす必要があると思います。
 国際連盟は、ウッドロー・ウィルソン・アメリカ大統領が構想を表に出しましたのが一九一八年。ドイツにおけるワイマール共和制が崩壊したのは一九三三年。満州国承認を非難する四十一カ国の各国代表を前にして国際連盟を脱退するという演説を行って、松岡洋右首席全権が最後に日本語でさようならという言葉を残して国際連盟の総会の議場を去ったのがやはりこの年。そして、ヒトラー・ドイツが軍備平等権を主張して国際連盟を脱退したのがやはりこの年の十月。
 今振り返ってみると、国際連盟の悲劇は、制裁規定を持っていなかったということが最大の悲劇だったんだろう、私はそう考えております。
 そして、国際連合ができたのは一九四五年の六月でありますが、ヨーロッパ戦線は既に終局いたしておって、戦いは終わっておったわけですが、極東ではまだ沖縄において壮絶な戦闘が続いておったころであります。
 当時、国連憲章を協議するに当たって最も大きな、中心的な議論となったのは安全保障の問題であって、つまり、制裁措置をどう規定するかということが国際連盟を経験した多くの世界の人々の考え方だったと思うんです。したがって、国連規約の中で、国連憲章の中で国際連合を特徴づけるのは、私は第七章だと思います。
 第七章は、御存じのように「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」。その三十九条に勧告が出てまいりまして、四十一条に非軍事的な措置をとる、そして四十二条にそれがだめな場合には軍事的措置をとる、こういう手続になっております。つまり、国際連盟憲章との違いは、武力制裁をとるという姿勢を国際的に表明したというところに非常に大きな問題があった、私はそう思っております。
 イラクに対する安全保障理事会の決議ですが、ここの中で武力制裁を認めた決議は、一九九〇年十一月二十九日に採択された決議六百七十八号、クウェートから直ちに撤退せよ、それからその次に、その翌年の四月三日に採択された六百八十七号、出ていかなければ武力行使をするぞと。これは十五カ国の決議ですが、フランスは提案国の一つです。反対したのはキューバとイエメン、棄権したのが中国、あとは全部賛成です。六百八十七号について棄権したのはエクアドルとイエメン、反対はキューバ、やはりフランスは提案国の一つです。国連憲章四十二条に基づく初の制裁措置がここで決まった。
 武力制裁には二つの考え方があって、一つがコンバタントと呼ばれる、これは字引で引くと日本語で戦闘員とありますが、もう一つがノンコンバタント、これは、字引で引かなくてもそういう言葉が出てくるのかもしれませんが、非戦闘員。私は、ここに大きな誤解が生じてしまったのではなかろうかと思います。すなわち、戦闘員であろうと非戦闘員であろうと、両方とも軍人であることは間違いないんです。それを、非戦闘員という言葉を使ったために民間人がこれを行うような意識になったと思うんです。
 最大の痛恨事の一つとしていまだに私、自分の気持ちの中に残っているのですが、一九九一年の海部内閣当時、一切の武力行使はけしからぬというような世論があってああいう結果になりました。日本国憲法九条第二項の後段、「前項の目的を達するため、」「国の交戦権は、これを認めない。」政府答弁は、交戦権というのは交戦国が国際法上有する種々の権利の総称を意味するもの、これが政府見解ですが、私はこの見解は正しくないと思います。
 なぜならば、英文日本国憲法では、ここは、ザ・ライト・オブ・ベリジェレンシー・オブ・ザ・ステート、こうありますが、この読み方は、ザ・ライト・オブ・ザ・ステートとベリジェレンシー・オブ・ザ・ステートと二つに分けて読むのが文脈上当然のことでありまして、しかも、日本国憲法の場合には、その他の国というところはネーションズという言葉を使っておって、この九条のここだけがステートになっています。したがって、小文字で書いてあるけれども、ここは、この国の権利、この国のベリジェレンシー、交戦権、こう読むのが正しいと私は思います。
 ベリジェレンシーという言葉は字引で引くと確かに交戦権ですが、ベリジェレントというのは交戦中のというふうに出てきておって、それは当然のことなんですが、戦っている団体があるいは個人が果たして交戦団体か交戦上の個人であるか、実はこれは、ベトナム戦争でベトコンは交戦団体かということで大変大きな国際的な問題を起こした一つの大きなテーマです。
 国際紛争を解決する手段として国権の発動たる戦争あるいは武力による威嚇または武力の行使、これは国際紛争の解決手段としては永久に放棄するぞというのは、それがかかって前項の目的というのが九条第二項の頭につくわけですが、あそこへポツが一点ついておって、その後に不保持原則で、それで丸がついて、その後に国の交戦権はこれを認めないとあるので、私はここで大いに議論していただきたいと思います。「前項の目的を達するため、」というものが、後段の「国の交戦権は、これを認めない。」にかかるのか、かからないのか。
 もしかかるということであれば、「前項の目的」ですから、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力行使、それならば、それ以外の交戦権は当然これを認めているというふうに読むべきなのか。あるいは、もし、さらに、後段はかからないというふうに判断する、丸がついて立っているところですから、かからないという判断をすれば、我が国を防衛するための必要最小限の自衛権を行使することは独立国家のすべてが持つ固有の権利だ、これが政府の見解ですが、それならば、なぜここに、憲法の中で「国の交戦権」云々という言葉を置かなきゃならないのか。世界の成文憲法を私なりに調べてみて、国の交戦権という言葉が入っている憲法はいずれの国にもない。では、なぜこの言葉がここに入ってきたのか。
 この九条後段が置かれた一九四六年ごろは、第二次世界大戦で、都市ゲリラのレジスタンスが行われた。それに対して、正規軍でない者に対しての、戦時国際法上その立場を認めてやらなきゃならぬという、これがあったときに日本国憲法がたまたま改正の時期にあって、非常に珍しいことだったと思います。
 そこで、結論。我々としては、イラク問題で大変な緊張事態に来ておりますが、やはり日本国憲法の中のこの条項についてどう判断すべきかということをぜひ議論すべきだ、私はそう思っております。

発言情報

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発言者: 谷川和穗

speaker_id: 18568

日付: 2003-03-20

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会