舛添要一の発言 (憲法調査会)

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○舛添要一君 私は、憲法上の権利と義務とのバランス、それから公共の福祉との関連について話をしたいと思います。
 日本国憲法をいろいろ考察してみますと、私が今言ったポイントにつきまして、二つの点で新たな検討が必要かと思います。
 第一は、新しい義務規定が必要ではないかと思います。それは、権利と義務の関係からいいますと、戦前の反省から基本的人権はしっかりと守られているんですけれども、義務について言うと、納税の義務とか教育を受けさせる義務とかそういうのはありますけれども、少しバランスを失しているんじゃないかと、そういう問題意識を持っております。
 それから第二点目は、これは後ほど荒井委員が御発言なさると思いますけれども、新しい人権の概念の登場に伴って、旧来の既成の人権と新しい人権との競合が起こった場合にどういう理論でそれを規制するのか、ないし調整するのかと、そういう二つの問題意識から、時間も限られていますので、具体的なテーマで具体的な条項に基づいて申し上げたいというふうに思います。
 まず、第一番目の新しい義務規定ですけれども、これは、日本国民及び日本国を守るという、そういう意味でいろんな外敵から、ないしテロリストから守ると、そういうことのある意味では、国防の義務というのは日本国民に課されているものであるということの何らかの認識が必要かというふうに思います。そうしないと、日本国憲法の前文、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と、そういうことがありまして、それから第二十五条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」、この権利を有するときに、ニューヨークのテロのようにああいう形で私たちの、生存権というのは最も基本的な人権ですから、これを害されるような状況は国民が総力を挙げて排除するというのは義務であっていいというふうに思います。
 したがって、そういう明確な位置付けがあれば、第九条の戦争の放棄についても自衛権が認められているということが、関連が出てくるというふうに思います。この点では、有事法制をどうするかという問題にかかわったりすることがございますし、現下の問題として、九・一一以降のテロに対して我々はテロ特措法を作りましたけれども、諸外国がいろんなテロに対する規制法をやっている。こういう団体規制の問題もそこにかかわってきているわけであります。
 もちろん、憲法二十一条で結社の自由というのを、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」と、こういうのがあります。
 この結社と表現の自由というのは項目を分けて書いた方がいいんじゃないかという気はしますけれども、それはさておき、結社の自由というのは、非常にこれは基本的に重い。しかし、テロリストの結社の自由を許していいんであろうかと、こういう問題意識から、アメリカ合衆国においては一九九六年に反テロ法というのがございます。アンチテロリズム・アンド・エフェクティブ・デス・ペナルティー・アクト。それから、一九七七年には国際緊急経済権限法及び同法に基づく二〇〇一年大統領命令一三二二四号、インターナショナル・エマージェンシー・エコノミック・パワーズ・アクト、エグゼクティブ・オーダー一三二二四とありまして、そしてテロリズム・アクト二〇〇〇、二〇〇〇年テロリズム法、こういう形でテロを規制をしております。
 日本の場合、この団体規制については非常に厳しく当たらないといけません。公共の福祉ということからいえば、例えば国を守るというのは公共の福祉になるのかならないのかと、こういう概念をめぐっていろいろ議論がございましたけれども、私たちの最低の生存権を守る戦いというのは公共の福祉であるというふうに位置付けていいかと思います。そうすると、結社の自由という権限と、我々の生存を守る、その生存を脅かすことを目的とするような団体を許すかどうかと、そういうことが非常にかかわりがあるわけであります。
 その点について、日本で団体規制は破壊活動防止法と団体規制法、正確に言いますと無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律、この二つしかありません。したがって、この法律に掛からない団体がどこに行くかというと、政治団体の衣をまとうわけでありまして、政治団体については政治資金規正法で政治と金の側面からの規制しかございません。
 私は、これはドイツの結社法、一九六四年にありますゲゼッツ・ツア・レーゲルング・デス・エフェッントリッヒエン・フェラインスレヒツというのがありますけれども、その結社法では、例えば三条で、目的又は活動が刑法に違反し、又は憲法的秩序、諸国民の協調の思想に反する社団、フェライン、これを解散させ、禁止することができるということを言っています。この社団の中には政党、ポリティカルパーティーは含まれておりません。しかし、現実に、左翼、右翼の、極左、極右の活動をする人たちが一番規制がないということで政治団体の衣をまとっていると、こういう問題どうするのかということでありますので、ドイツでは刑法でも同じような、テロリスト、結社の規制をやっております。
 したがいまして、私は、政党の活動を活発にさせる。まあ今の統一地方選挙では、無党派が伸びて政党が駄目になったみたいなこと言われていますけれども、政党の活動を担保するためにこそ、むしろ政党以外の社団、ドイツ的に言うと社団ですけれども、こういうものに対して結社法ないし政党法というのを作る必要があるんではないかと、こういう問題提起をあえて皆さん方にしたいというふうに思います。
 それから、第二点でございます。
 それは、先ほど申し上げました新しい人権概念の発生とともに、旧来の人権概念との調整をどうするかと。これ具体的には憲法二十九条に基づいている財産権ですけれども、公共の福祉云々というときはこの財産権の制限が一番大きいわけですけれども、第一項「財産権は、これを侵してはならない。」、第二項「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」、第三項「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」。したがって、これは要するに公用徴収とか収用とか、公用の制限の条項であります。
 ただ、これ今まで言われてきたのは、日本はどうも私権制、私権を守っているということで、ある一軒、一軒の家が絶対立ち退かないといったら環状八号線は絶対できないと、こういうことがあったり、それから空港の問題についてもいろいろございます。
 これは今までどおり、公共の福祉という概念をもっとしっかり確立する必要があるんですけれども、今度は新しい概念として環境権という概念が出てきた。環境権で、例えば、私が持っている森林だけれども、その森林は環境を守るために伐採しちゃいけませんよと。その環境権の重みと私の私有財産の重みと、どちらが強いかと。
 それから、ドイツでは景観、つまり美しい景色、日本の町はもう本当に雑多で都市計画も何もない、こういうのは建築の自由があるからだと。ドイツは建築の自由はないので、要するに原則禁止で、都市計画のために所有権の制限がまずある。まあ、これも一つの極端なやり方ですけれども、もし環境権というのを憲法に記した場合には、この憲法二十九条の財産権との競合をどうするんだろうかと、こういう問題がございます。
 ドイツ憲法では十四条で所有権の保障ということは行っていますけれども、第一項で。第二項では、所有権には義務を伴うということが明言されております。日本の場合、所有権に義務が伴うという、そういう教育もされていなければ、そういう概念もない。こういう点について、是非皆さんと一緒に考えていってみたいというふうに思います。
 話をまとめますと、今二点申し上げました。時間が限られていますので、二十九条と二十一条の絡みで申し上げました。前者については、テロ対策って今一番大きな問題で、いろんな議論が行われていますけれども、結社法、政党法、それから政治資金規正法、そして二十一条の結社の自由、こういう関係の整理を是非やることが我々の政治活動をより盛んにするためにも必要なのではないかと。
 繰り返しますけれども、政治資金規正法の下での政治団体を隠れみのにして、我々が正当なる政党活動をやっていることを邪魔するような団体が出てきているということに対する警告を発したいというふうに思います。
 そして、第二番目は、今申し上げましたけれども、環境権だけについて今取り上げました。しかし、今から議論があると思いますけれども、様々な新しい人権が生まれている。これとの競合をどうするかと。これも公共の福祉という観点から議論を深めたいと、そういうふうに思います。
 以上です。

発言情報

speech_id: 115614184X00520030416_002

発言者: 舛添要一

speaker_id: 6496

日付: 2003-04-16

院: 参議院

会議名: 憲法調査会