山下栄一の発言 (憲法調査会)
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○山下栄一君 党内にも憲法調査会がありまして議論をやっておりますけれども、きちっと発表するような内容のものをまとめておる段階ではございません。今日も個人的な見解を中心にお話しさせていただきたいと思います。
基本的人権の保障は日本の憲法の大原則なわけですけれども、基本的人権の議論の前に、私は、今、日本が置かれて、日本のいろんな社会の現状を見ましたときに、人間の存立基盤が崩れつつあるというか、揺らいでいるといいますか、そういうことの危機感をもうちょっと共有する必要があるんではないかなということを感じております。人権保障の前に人間の存在基盤が崩れつつあるのではないか。
例えば、家族の話ですけれども、親子の関係ですけれども、母親が自分の子供を殺害するということ、児童虐待ということもありますけれども、自分がおなかを痛めた子供を殺すかということでございまして、そういうことは現実にあるわけですけれども、様々な原因があってそういう背景になり、そういうことが起こっていると思うんですけれども、こういうことは、人間とは一体何なんだということが突き付けられているんではないかなというふうに思います。
そういう意味で、人間の存立基盤が揺らいでいるということを申し上げたわけですけれども、人権保障の前にそういう現実についての認識を共有する必要があるんではないかということでございます。ちょっと今までは考えられなかったような事態が今起こりつつある。
それと、若い人が働くことの意味が分からなくなっているという。働くことの意味、もっと言えば生きることの意味ということにつながるかも分かりませんけれども、具体的な就職で、どこに就職したらいいか、就職しても希望が見えるような状況じゃないということを考えている若い人が増えている。その一つがフリーターの増加ということも言えるかも分かりませんけれども、働くことの意味が分からないとか、そういうようなことになってくると非常にこれは深刻な問題になっているというふうに思います。しかし、現実の問題としてそういうことがある。
そういう意味で、新しい人権という前に、日本国憲法で保障される例えば九十七条の規定の重みといいますか、基本的人権の基本的、根源的と言ってもいいかも分かりませんけれども、そういうことが規定されていることの重み、背景。十七世紀以降、西洋で獲得してきた人間の権利ということを背景としてこの九十七条があるわけですけれども、また十一条、十二条、十三条、こういう憲法の元々規定されていることの重みをもう一度自分のものにし、共有する作業が今物すごく必要ではないかなというふうなことを思います。命とか心とか家族とかいうことを盛んに言われます。心の教育、命というふうなことも言われますけれども、そういう言葉が言われること自身、人権の前の人間の存立基盤が揺らいでいるということの危機感を感じております。
それから、新しい人権の話ですけれども、新しい人権のカテゴリーとかいうことではなくて、そういう角度じゃなくて、私はこの環境権というのは新しい人間観を問うているのではないかなというふうにも思います。
ちょっと勉強不足でよく分かっていない部分もありますけれども、元々、基本的人権、人権というのは、欧米といいますかヨーロッパから日本に入ってきたものだと思うんですけれども、これはやっぱり個人に焦点を当て、また人間というものに焦点を当てた、そういう考え方だと思うんですけれども、この環境権というのは、その人間また個人は社会環境、自然環境と共生、相互依存で初めて生きていけるものなのだ、本来人間というのはそういうものだというふうなことを提起しているのが環境権ではないかなと。
環境権というふうなことを言われること、また、今、地球の限界とか地球温暖化の問題もいろいろありますけれども、自然を克服しながら、征服しながら人間は文明社会築いてきたわけですけれども、その在り方そのものが問われている。本来、社会環境、特に自然環境をおろそかにして人間の幸せはあり得ないというふうな、そういうことを提起しているというふうに感じまして、この人権ということを考える前にも、特にこの環境権ということが出てくると、個人に焦点を当てた人権というようなことが、ちょっと新しい概念、人間観といいますか、人間と自然が共生して人間というのがあるんだというふうな、ヨーロッパの理念ではないといいますか、東洋的といいますか、そういうふうなものをもっともっと議論する段階に来たのかなと。人間観そのものをもう一度見直す必要があるのではないかと。憲法に元々書いてある「人類普遍の原理」と言われているその原理そのものも、もう一度深めたり、特に深めるということかも分かりませんけれども、そういう今段階に来ているのではないかと。それが環境権の問題提起ではないかなと。
ただ、新しい人権には環境権とか、先ほどおっしゃったような様々なプライバシーの権利とか言われるんですけれども、この環境権というのはちょっと新しい人間観の問題提起ではないかなということを感じております。
あと時間余りありませんけれども、教育基本法の改正問題、これちょっと一、二分しかありませんけれども。
私は、この教育基本法というのは本来、憲法、日本国憲法、戦後、昭和二十一年、二十二年、セットででき上がってきた背景があると、時代背景として、そういうふうに感じております。そういう意味で、教育基本法の改正なんというようなことは今までやったことがない。やったことがないし、教育基本法の所管は文部科学省だと、だから文部科学省でその改正の原案を作るというようなこと自身が、それでいいのかと。元々、憲法とセットで新しい日本をどう作っていくかという、そのために、憲法の中に教育規定をしっかり書き込んでもよかったかも分からないけれども、別の形で教育基本法という、憲法と同列というか、そういう形でスタートした背景があると。それを改正するときには憲法と同じ重みで、改正手続もほかの法律と同じ改正手続でいいのかと。
憲法の改正手続についてもいろいろ憲法に書いてあるけれども、一応衆議院でも問題提起されておりますけれども、この教育基本法の改正はどうあるべきかというようなこともしっかり議論する必要があるのではないかというようなことを感じております。
時間が参りました。終わります。