阿久津幸彦の発言 (外務委員会)
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○阿久津委員 要するに、走行中というか並走中に襲撃された、それは恐らく車の左側に銃弾が集中していたということからおっしゃっているんだと思うんですけれども、また警察の方からも補足があれば、後で伺う時間があれば伺いたいと思うんですが、私なりに、時間経過に基づいて、少し自分で推測のノートをつくらせていただいたんです。それで間違っているところがあれば逆に御指摘いただきたいと思うんです。
私の考えを言えば、まず、二〇〇三年、昨年の十一月二十九日、現地時間十時ころですね、奥大使及び井ノ上書記官を乗せたランドクルーザー、これはレバノン登録の防弾車で、日の丸、ナンバープレートはなかったというふうに聞かれておりますが、それがイラク人運転手により大使館を出発しました。ティクリートで行われる復興支援会議に出席するため、昼過ぎくらいの現地到着を目指していたんだと思われますが、ほかの参加者である米軍、CPA、NGO等のバグダッド在住の関係者も、国道一号線を通って大体同じ時刻に向かっていたはずでございます。
それで、十二時ころ、奥大使と上村イラク臨時大使が電話連絡をとっているということでありますので、それ以降に撃たれたんだろうと。それで、十二時過ぎ、奥大使と井ノ上書記官の乗った車が、ティクリートの南約二、三十キロ手前地点で襲撃される。第一発見者のハッサン・フセインさん、四十二歳、食料品スタンド店主と言われていますが、発砲音を聞いたのは十二時三十分ごろ、バグダッド方向から走ってきた車がスタンドの手前で右に大きくカーブを切り、路肩を外れて六十メートルほど畑に鼻先を突っ込むようにとまった、すぐ後ろから米軍の車列が通り過ぎていったと証言していると言われている。イラク警察が到着をして、ティクリート病院へ搬送された。十四時ごろ、ティクリートで行われた復興支援会議の冒頭で、広報官のマクドナルド大佐が、二人の日本人とレバノン人が、ムカイシファの南四キロの地点で銃撃され、ティクリート病院へ運ばれたと説明をしている。
ここまでは私の推測で、念のため申し上げておきますと、私どもの同僚議員の若林参議院議員や首藤衆議院議員もさまざまな推測をしてありますけれども、細かい部分で私と若干異なるところがございます。ただ、この推測で明らかに間違っていると感じるところがあれば、その根拠を示してお答えいただきたいと思うんですが、いかがですか。