永長徹の発言 (共生社会に関する調査会)

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○参考人(永長徹君) 御質問にお答えします。
 まず、ノーマライゼーションの意識の関係なんですが、これも体験からしか述べられないんですが、本校にも全盲の子が三年間通学いたしました。小学部は盲学校を卒業して、本人、保護者の希望もあって地域の学校である本校に三年間通うことになりました。もちろん教育というものが個人個人の能力を開発するということ、その作業だというふうに考えれば、本校で送った三年間がその全盲の生徒にとって彼の能力を開発できた三年間かというと大きな疑問があります。正直言って対応できてはいなかったと思います。ただ、その三年間を保護者も本人も盲学校では送れなかった時間、場面だったということで後悔をしていることは一つもなかったんですが、受け持った、授業を受け持った担当者としては、教えられない、学ばせられない悔しさが残った三年間だったというのが正直な気持ちです。
 あと、時間的な、福祉教育の時間的なものなんですが、各学年年間十回行っています。一回の時間が一時間あるいは二時間単位です。総合的な学習の年間のカリキュラムの中の三分の一程度が福祉教育に充てられています。やはりいかに本校が福祉教育を、こういうことをやって、こういうものをねらっているということを保護者にどれだけPRできるか、言葉悪いんですが、宣伝できるかということが保護者の理解につながるのかなと。
 それから、子供の変化というのを親が小さい場面で感じてくれると理解は深まります。例えば、デパートに行って障害者用の駐車場に親が車を止めたときに、ここ止めていいのかと子供に怒られたとか、歩道の点字ブロックの上にいつも止めている、常時止めている駐車の車を隣の子供に怒られたとか、そういうふうに地域の中で、子供たちが学んだこと、気付いたことを大人に向かって発信できるという小さな場面をなるべくこちらが拾い上げて、更にまた社会に返してということをやり続けないと、やはり保護者の理解はなかなか得られないのかなというふうに感じています。もちろん今でも十分ではありません。
 あと、学力低下に関しては、やはり福祉をやるから学力が低くなるということは成り立たないことは説明をします。
 自分は数学の教員ですけれども、年間百五時間授業をやります。でも、教科書一冊の何%を子供たち理解しているでしょうか。理解していない子がいるからって数学は来年なくなりません。福祉教育も理解できる子がいないからといって来年なくすものではない。やはり全部の本校の生徒には学ばせたいもの、気付かせたいものを我々が提供し続けるというのを強く訴え続けるのが理解を呼べる唯一の手段だというふうに考えています。
 済みません、まとまりませんが。

発言情報

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発言者: 永長徹

speaker_id: 18375

日付: 2004-02-18

院: 参議院

会議名: 共生社会に関する調査会