神本美恵子の発言 (共生社会に関する調査会)

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○神本美恵子君 今、有村委員の方から確認をということをおっしゃいました。私も原則統合ということで、在籍するところは健常児も障害児も同じ就学指定といって、今教育委員会が就学する学校を指定するんですが、そこに原則籍があって、そしてあとはその子供の特別ニーズに応じて、場合によっては今ある養護学校のようなところを選択していったり、学年が上がってきてまたニーズが変わってくれば原籍校に戻るというような、そういう融通性も含めてやる必要があるというふうに私は思っています。最終的には選択権は本人、保護者にあるというふうにやれたらいいなと。ところが、今の教育制度はそうなっていませんので、そのことを一つ指摘をしました。
 先ほど、清水委員の方から、子供のころはたくさん周りにそういう人がいて、障害のある人もいて当たり前の社会だったと、私もそうでした。恐らく、一九七九年に養護学校が義務化されて、それまでは就学猶予ということで、重度の障害がある人たちは学校に行かなくてもいいよという形で学校から排除されていたものが、この義務化によって行く場所ができた、そういう意味では私は前進だと思います。
 ただ、それがだれが行くのかということを決めるのが教育委員会が決めるような、先ほど読みましたような学校教育法の施行令になっておりますので、そういった法的な問題もあるというふうに思いますから、ここではやっぱり共生社会を実現していくという意味で、一つは統合原則ということを是非提言として打ち出していく必要があるんではないかというふうに思います。重ねてそのことは申し上げたいと思います。
 それからもう一つは、その障害児者の自己決定なり選択権というだけではなくて、先ほど最後にちょっと申しましたように、分離されて教育されている、周りに障害のある人や高齢者を見ない学校や社会になっていることが、そこに住んでいる人たちの成長なり人格形成も不十分なものにしているということを、私は障害者と一緒に生活したり学んだりすることによって改めて自覚させられたという経験があります。
 それは、森委員がおっしゃったように、自立というのは健常者に少しでも近づいていく、そのことが発達であり、成長であるというとらえ方ではなくて、障害、様々な障害を持っているということが一つの個性として生きられるような社会になったらいいなというふうに思います。
 よく、目が不自由な方や耳が不自由なためにほかの感覚がすごく鋭くて、そのことで能力がすごく伸びたり発揮されたりというふうになって、今背が低いなら低いなりのそういう個性の発揮の仕方とか、様々に、障害あるなしにかかわらず、私たちも個性の発揮の仕方なり能力の発揮の仕方というのは、育つ環境や自分が持って生まれた身体的な条件に合わせて伸びていくというふうに考えれば、障害があるということが一つの個性で生きていけるような社会になったらいいなと。
 そのためには、やっぱり障害者は施しを受けて、戦前、戦前じゃない、江戸時代なんかは間引きの対象になったというようなことを障害者の方々からも聞いたことがあります。世の中の役に立たないということで間引きの対象から、生きていてもいいよと、生きていてもいい、それから施しを受ける対象になって、今や同じような人間としての権利を持つというふうに少しずつ少しずつ前進してきているわけですから、そのことをやっぱり教育の場できちんと、健常と言われる子供たちにこそ障害者の権利について学ぶ場が必要だと。
 そのためには、そこにいてくれるのが一番いいと思いますので、具体的な事例は以前の委員会でも私紹介させていただきましたので今日はもう言いませんけれども、ともに学ぶということは障害者のためというよりも、いわゆる健常者と言われる私たちのために必要なことであるということを申し上げたいと思います。

発言情報

speech_id: 115914046X00620040512_018

発言者: 神本美恵子

speaker_id: 20014

日付: 2004-05-12

院: 参議院

会議名: 共生社会に関する調査会