枝野幸男の発言 (憲法調査会)
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○枝野委員 民主党の枝野でございます。
発言を許していただき、ありがとうございます。
私は、まず、一般的な意味での国民投票についてお話をしたいと思いますが、我が会派の田中議員から幾つか御指摘をいただいた点に加えてもう一つ、今の政治、これからの政治を考えたときに、国政における国民投票制度の活用というのが必要ではないかという観点からもう一つの視点を申し上げたいと思います。それは、二大政党制による政権選択、そして、それがマニフェストによって国民にきちっと政策のメニューを示した上で選挙を戦う、こういう仕組みができ上がりつつあるということ、これが実は、国民投票を国政においても活用せざるを得ない状況を生み出すのではないかと思っています。
それは、御承知のとおり二大政党で、そしてマニフェストでありますから、マニフェストのすべてに国民が賛同してどちらかの政党を選択するということにならない部分があります。八割、九割はこのマニフェストに賛成だけれども、一点、二点は反対である、だけれども、二つに一つを選ぶという中ではこちらを選ぶ、こういうような選択をせざるを得ないことが必ずこうした形では出てまいります。
そのときに、マニフェスト選挙をしっかりやっていく上からは、多数派、つまり与党自身がみずから掲げたマニフェストと違うことを政権の中で行うならば、それはマニフェストに基づく政権選択という選挙の質を変えてしまうことになりますから、与党みずからが国民の意思がこの部分だけは違っていると思っても、みずから変えることはやはりやるべきではないだろうというふうに思います。
しかしながら、国会で与えられた多数と国民の民意とのずれがそうした問題で認識されたときに、そのときには、この部分に限っては、国民の意思を問うことによって、マニフェスト選挙、二大政党で示された国民の意思と各論部分について、ここは違っているんだよという国民の意思とのずれを修復する民主的機会をつくるということの必要性が出てくるのではないだろうか。そういう観点から、二大政党、マニフェスト型の政治においては、マニフェストの八割、九割は賛成だけれども、一割、二割は反対だ、こういう部分のところをしっかりと吸い上げて、それを結果に結びつけている仕組みとしての国民投票制度というのは、一定程度の役割がこれから出てくるのではないかというふうに思っておりますので、そうしたことを憲法上しっかりと位置づけていく必要があるのではないだろうかと思います。
ただし、この場合には、これは田中委員からも御指摘がありましたが、少数意見という問題もありますし、もう一つは、それ以上に少数者の人権にかかわる問題、この部分のところは、それが特に国民投票によって少数者の人権を侵害するような法制定が行われる、こういう場合には、なかなか憲法裁判所や最高裁なども動きにくいだろうというふうに思いますが、そこのところは、特に憲法裁判所などの機関が、そうした直接民主主義的手法であっても少数者の人権を侵害することはできない、この部分のところをしっかりと担保する仕組みが裏づけとして必要なのではないかと思っています。
まだ五分になりませんので、憲法九十六条に基づく憲法改正の国民投票について一点、皆さんの議論に加えて申し上げたいことがございますが、それは、先ほど保岡委員からは国政選挙と同時にやるべきではないと。これは見識ある御見解だと私も思います。二大政党で政権を選択するという意思と、それから憲法を改正するという意思とでは、かなり意味が違ってくると思いますので、同時に行うべきではない。この部分は、憲法九十六条からも立法府の選択で決められることですので、そうすべきであろう、国政選挙とは一緒にやらないということをすべきだろうと思います。
もう一つ、その活動であります。どうしても我々は公職選挙法というものが前提になっていてしまいますので、公職選挙法を引っ張ってくるような形で憲法改正の国民的議論を縛るようなことがあってはいけないだろう。公職選挙法は、まさに村会議員の選挙などだと百票とかそういうレベルで当選できる、あるいは国政選挙でも十万とかという数ですから、例えば買収とかという仕組みが可能であり得る仕組みでもあります。しかしながら、国民全体の過半数を得るための選挙というのは、そんなみみっちいような話ではありませんし、そしてもう一つは、何よりも政治そのもの、国民の政治活動そのものであります。
したがって、もし憲法改正の国民投票法をつくるのであれば、その活動といいますか、国民の議論、その部分についてはほとんど規制をかけないというようなことの見識がないと、この部分のところでその議論が国民の間でできないということになりかねませんので、この点はきちっと留意する必要があると思います。
以上でございます。