枝野幸男の発言 (憲法調査会)
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○枝野委員 まず、ほかのことから申し上げようと思ったんですが、今の坂本委員の御発言のうち、この調査会が憲法改正を前提としてというのは、調査会設置のときの経緯、事実関係から全く違っております。自民党の皆さん、ぜひそうした前提事実をわかった方を委員に選んで発言をしていただくようにしていただきたい。
念のため申し上げますが、民主党や私自身は今の憲法を変えるべき部分があると考えていますが、個人の変えるべきであるという主張とこの会の位置づけとは全く違うものでありますので、ぜひその辺の区別はしっかりとつけていただきたいというふうに思います。
その上で、委員間に若干誤解をお与えしているかなと思いましたので、また札を立てさせていただきましたが、私も、マニフェストは体系的なものであって、マニフェスト対マニフェストでぶつかり合って、である以上は、基本的には一貫性を持って、部分部分を切り張りするようなことがあってはいけない、全く同じ立場でございます。
ただ、もちろん一体性を持ったマニフェストの中にも、まさにその理念、哲学と真っ正面から結びついている部分と、どちらかといったら外周部のところで、この部分は違う選択肢もその哲学の中にもあり得る部分、こういう濃淡はあり得るんだろうと思います。そうした本質からちょっと遠い部分のところについて、実は、全体の体系はこれでいいんだけれども、この部分だけはというようなことはまれにあり得ることだと思いますし、またそれがポピュリズム的な観点ではなくて、実はマニフェストのこの部分は両方あり得たがこっちを選ぶべきだったかななどということを与党としても考えるようなケースというのは、まれにあり得るのではないだろうか。
そういった場合に、逆にマニフェストというものの一体性から考えると、与党みずからが国会の中で、やはり我々のこの部分だけはちょっと変えたいとかということで物が決まっていくよりは、全体として信任を受けた部分の中でここだけは変える余地がある、もしここを変えた方がいいという国民の声があるならば、そこは国民投票でどうでしょうかということを問う余地があるということはあってもいいんじゃないかということを申し上げましたので、むしろ一体性を持たなきゃいけないということを前提で申し上げたつもりでございます。
ですから、本当にレアケース、例外的なケースであり、またマニフェストの本質、中心部分に近いところの政策でそれをやったら、それこそむしろ内閣不信任をされなければならないケースだろうというふうに思っております。
それから、先ほど来、ポピュリズム的にあるいは全体の整合性とか、そういう御意見が若干出ていますが、少なくとも国政についての国民投票を導入する場合においては、やはり何を国民投票に付すのかということ自体を国会が自律的に判断していくということが前提にならないと、要するに、国民にとって耳にいい話ばかりが継ぎはぎされて合成の誤謬が起きるということはあってはならない。
しかし、この部分はどちらの選択もあり得るなという政策課題というのは十分あり得るし、先ほど田中委員からもありましたか、脳死の問題がかつてありましたけれども、あのようなケースなんというのは、やはり国民に問う仕組みがあれば、非常にいろいろな意味で前に進みやすかっただろうというふうに思いますので、そういうことについての余地は、議会の、国会自身の自律的判断ということを前提にして進めていくということは、この議論の当然の前提だというふうに私は思っております。