簗瀬進の発言 (憲法調査会)
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○簗瀬進君 民主党の参議院議員簗瀬進でございます。
統治システムとその相互関係に関する私の考え方を以下述べさせていただきたいと思います。
与えられた時間はたった十五分というようなことでございまして、お手元に発言の要旨をレジュメとして配付させていただきました。時間が来てしまった部分は後でその部分を見て補充をしていただければと思います。
まず第一番目でございます。統治の目的の明確化が重要であるということをまず述べたいと思います。
私は、そういう観点で前文が大変重要な意義を持っていると思います。統治のシステムというのは、統治の目的を実現をするための装置でございます。統治の目的が明確に宣言をされることこそ憲法の第一番目の重要なポイントだと思っております。憲法前文は、そういう意味で、統治システムの目的、何のために統治システムがあるのかということを明確に宣言したものでなければならないと考えます。
そこで、その前文の具体的な内容に盛り込むべき私なりの考え方を述べさせていただきたいと思います。
現憲法に高らかに宣言されている国民主権、基本的人権の尊重、普遍的平和主義、これは当然新しい憲法でも継承すべきであります。その上で、日本国と日本国民の目指すべき未来の目標や理想、すなわちナショナルゴールを明確に前文において宣言すべきであります。
ナショナルゴールとしては、第一番目に平和創造、あるいは核廃絶。私は、核の抑止力、これはある意味で人間の性悪説的な考え方に基づいた安全保障概念だと思いますけれども、これを我が国が先頭に立って乗り越えていくと、そんな大きな理想を前文に掲げるべきなのではないかと思います。
第二番目に、我が国は正に知的創造によって今後とも我が国の国民の幸福を増していくと、それは間違いのない方向だと思います。そういう意味では、知的創造立国ということについても前文に明らかにしておくべきではないかと思う次第であります。
そして、もう一つ、過去の歴史の反省に立ちながら、我が国の地政学上の限界性についても前文にきちんと明記をしておくべきなのではないのかなと思います。
まず第一番目に、どんなに我が国が逆立ちをしても石油は自給できません。また、核の資源も持っていないわけであります。すなわち、エネルギーが第三者に依存をしているという、そういう地政学的な限界を持っている。また、あの大変な諸外国に迷惑を掛けた戦争の歴史という負の遺産を持っている。これもある意味では歴史の重要なポイントだと思います。そして、これからは米国と中国という大きな超大国のはざまで我が国は生きていかなければならない。そういう意味での米中のはざま、あるいは極東に置かれた我が国の位置関係、そういう地政学的な限界性というようなものもしっかりと前文の中に明記をしながら、我が国の今後を考えるようにすべきだと思っております。
次に、天皇制について私の若干の見解を述べたいと思います。
私は、法の支配の貫徹の見地から、象徴天皇制の更なる明確化が重要だと思っております。天皇が日本国の象徴であり、日本国民の統合の象徴であること、さらに、その地位が日本国民の総意に基づくものであること、これについてはその趣旨を十分に尊重しつつ承継をしていくべきだと思います。
ただ、問題にしなければならないのは、現憲法上の象徴概念のある種の混乱であります。
現憲法では、四条一項によって天皇の国政に関する権能を明文で否定をしております。しかし、一方で内閣総理大臣あるいは司法のトップの最高裁判所長官は天皇が任命をするという、天皇に形式的な任命権を付与しております。また、天皇は国会を召集するという形になっております。実質的な権限は否定をしつつも、形式的な任命権を天皇に与えている、このような一種の概念の混乱というのは、天皇主権を国民主権に変えるという大激変、これに対するある意味で激変緩和の措置であったと思います。そんな歴史的な所産であったとして、私はこの規定は十分に歴史的には評価できるのではないのかなと思っております。
しかし、憲法はすべての法体系の源であります。したがって、でき得る限り明晰なものでなければならない、それが我が国における法の支配を貫徹するための基本のポイントだと思います。
この観点から、国民主権の徹底化と同時に、象徴天皇制の意義を更に純化するためにも、天皇規定を再検討をすべきなのではないでしょうか。このことは女性天皇を判断する際の基本的な前提でもあると考えます。
三番目に、地球規模の文明史的な転換点への対応ということについて触れてみたいと思います。
コンピューターというすごいツールが、地球あるいは人間社会全体を変えております。コミュニケーション革命、IT革命が多くの文明史的な変化を私たちに与えている。例えば、個人の情報発信機会が大変極大化することができました。また、その結果として、個人の政治参加の意欲を急激に拡大をし、そして過剰なレベルまで達するに至っております。その結果として、既存の政治システムがこのような参加の意欲を受け入れないということによってもたらされる疎外感、それから発生する急激な政治に対する忌避感、こういうようなものが非常にゆゆしい問題になってくるであろうと思います。そういう意味では、統治システムの可及的速やかな変革がこのコミュニケーション革命への対処として非常に重要になってくると考えるべきであります。
それとも当然絡んでくるわけでありますけれども、国家概念が著しく変わってきているということを我々は極めて重要なポイントとして認識をすべきだと思います。経済あるいは通貨、もう一瞬のうちにマネーは世界を飛び回る。そういう意味では、地球規模の国境を越えた緊密な経済ができ上がってしまいました。国境は事実上消滅をしたと言ってもいいと思います。そして、そういう過程の中で、国家集合体としての新しい国家の統治システムを検討するという余地も入れなければなりません。また、テロへの国際的な対処、あるいは国際的な災害、公害、疾病等への対処等も非常に重要なポイントになってくると思います。
こういう観点に立って、四番目に、統治システムについての新たな重要な課題を指摘をしなければならないと思います。
第一番目に、正にこの個人の政治参加の意思が極めて高められている、そういうコミュニケーション革命に対応するところで、私は、間接民主主義から原則的には直接民主主義へと転換をしていく、そういうことを考えるべきだと思っております。国民主権の徹底化と言ってもいいであろうと思います。まず、立法権においては、国民投票制度をしっかりと位置付けていくべきであります。
また、第二番目に、行政権、これは首相公選制を前面に考えるべきだと思います。司法権、これは国民主権に立脚した司法の再構成が必要となると思います。また、国家概念、先ほども山下委員もお触れになっておりましたけれども、国家の、内部的には国と地方の権限の再配分、また対外的にはEU構想に対応したようなAU構想への懸け橋、展望というようなものを今度の憲法改正でも視野に置くべきなのではないかと思います。
次に、国会と国民による立法権の共有。
先ほど国民投票制度、立法権のお話をさせていただきました。現在の憲法では立法権を国会が独占をいたしております。このような国会が立法権を独占をする時代から、国民と国会が立法権を共有する時代、これの制度整備を考えるべきなのではないのかなと思います。
例えば国民発議。憲法、法律の制定、改廃について国民が発議をし、国民投票で決定をする。また、国民票決。国会が既に決めた憲法あるいは法律についての制定、改廃の権限を国民が持つ。また、国民拒否。既に発効している法律の効力停止。国民票決は、国会が決めた憲法、法律についての制定、改廃ということでありますから、国民が提案をすることができるということでございます。
以上、国民発議、国民票決、国民拒否等の国民投票を正面から位置付けるような制度をしっかりと考えていくべきなのではないかと思います。
三番目には、行政権限の原則、これを今までは国が原則的に行政権限を持ち、地方に分けてやっていると、こういう体制でございましたけれども、これをこの原則例外を逆転をすべきだと思います。
地方が原則的な行政権限を持つ。そして、国は国でなければできない行政権限、例えば条約とかあるいは安全保障とか、そのような国のみが行える、行わなければならない権限を制限的に持つ。こういうふうに国と地方の在り方の原則例外を逆転をすべきだと思います。そして、道州制を前提にした分権連邦国家というようなものをしっかりと構想をすべきであると思っております。
次に、議院内閣制から首相公選制への移行というようなものを私は考えるべきだと思っております。
まず第一番目に、我が国の議院内閣制の実態あるいは評価であります。
新憲法、旧憲法変わらずに存続をしたのは、強固な官僚制度でございました。この新旧憲法の下で継続をした官僚制度の強固な岩盤は、日本の政治をゆがめ続けていると私は思っております。
いっとき、戦後の一時期、この官僚支配からの脱却が一つの政治の主流になったこともあったわけでございますけれども、歴史的に言ってみると、一九四八年の七月に吉田自由党への官僚一斉入党ということがございました。佐藤栄作、池田勇人等の名立たる官僚出身の政治家が一斉にこのときに入党をしたわけでございます。それ以来、政策面、人材面での官僚と与党政党との間の緊密な合体関係ができ上がってしまいました。そして、政官癒着の制度的な裏付けとして議院内閣制が実は機能するようになっていったと私は考えます。議院内閣制は、そういう意味では官僚支配を結果として温存し、増幅をし続けている、このように考えるべきなのではないでしょうか。
さらに、第二番目に、現在の議院内閣制でもある意味では付け焼き刃的な運営が行われております。
小泉政権に特に顕著なのが、法案提出についての与党との調整不足であります。法案提出について内閣と与党との間に連携を欠けば、本来であるならば、議院内閣制の趣旨からいえば、これは総辞職をしなければならないはずであります。
しかし、結果として、政府対与党の対立の場合、勢い報道の焦点は内部対立に行き、結果として野党の存在は大変希薄化をいたしてまいります。このことが意図的に行われると、国民の争点への理解もぼかされるといった弊害になってまいりますし、野党は党勢拡大のチャンスを失い、最終的に名目だけの改革で終わってしまう。
そういう考えの下に、私は首相公選制を新しい日本の枠組みとして政治の体制として取り入れるべきだと思っております。導入についての反対論は、国民の判断力への疑念、独裁化の危険、天皇制との整合性、分裂政府の場合の対応、失政の場合の罷免策等でありますけれども、いずれも本質的な欠陥ではないと思います。
国民主権の徹底化の見地から、そして官僚政治から根本的に脱却する、そういう観点から、議院内閣制をやめて首相公選制に変革をすべきだと思っております。アメリカ的な多極共存型の政治を私は目指すべきだと思います。行政府としっかりと遮断された中で初めて立法府、すなわち国会の機能が充実、拡大をしていくのではないかと考えます。
最後に、国民主権の見地からの司法権の強化について。
詳細はこのメモを見ていただくことにいたしまして、どんなにすばらしい憲法を作っても、政治の側が好き勝手に解釈改憲をし、憲法秩序の破壊が不断に行われるようでは意味がございません。法の支配を実効化するためにも、現在の謙抑的な裁判所の姿勢というのは改めていかなければならない。正に裁判員制度もそんな観点で大変大きな意味を持っているわけであります。
そういう中で、裁判所に民主的な基盤を与えるということが非常に重要になってくるわけでございます。
現行憲法では、裁判官の任命権者は天皇あるいは内閣であります。そして、就任に当たって民主的な基盤を欠いております。これが、例えば統治行為の論理の中で、裁判所は民主的な基盤を持たないから判断を差し控えるということになっていく。私は、そういう意味では、行政裁判における裁判所の硬直的な対応などから、裁判所は自分たちの味方というより役所の味方なのではという国民の疑念を増幅し続けている。このような体制を改めていきまして、最高裁判所の長官、判事の任命のみならず、裁判官の任命自体についても国会の関与をさせていくべきだと思いますし、行政訴訟の改革もしっかりとやっていく。違憲の疑いの強い内閣の異議権については一刻も早く削除すべきだと考えます。
以上でございます。ありがとうございました。