仁比聡平の発言 (憲法調査会)
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○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
申し上げるまでもなく、我が国憲法の統治機構の基本は三権分立にあり、三権の抑制、均衡により権力の濫用を防ぎ、立憲主義と法の支配の目的を達しようとするものであります。そして、統治システムの根源は国民主権原理にあり、市民が平等に選挙その他の方法で政治に参加をし、国の政治の基本的方向を決定するという在り方の内容を豊かにしていくことが憲法を考える際の基本に据えられなければなりません。
ところが、我が国の政治の現実のありようがこの憲法の求める国民主権、立憲民主制、議会制民主主義の要請にこたえてきたかについては、大きな疑問が指摘をされてきました。とりわけ、近年の各選挙での投票率の著しい低下に現れているとりわけ若い世代、無党派層での政治不信は、一部の論者が言うような政治的無関心ではなく、現在の現実の政治に対する積極的不信にほかならないことは、これもまた多くの方面から指摘をされています。ここには、現実の政治のありようが正に国民主権を阻害していることが表れているのにほかならないのではないでしょうか。
私は、今日の意見陳述で特に三つの問題を指摘をさせていただきたいと思っています。
第一は、内閣の在り方についてです。
本来、内閣は、一方で国民を代表する国会の支持の下に形成をされ、国民が何を求めているかを知り得る立場にあります。他方で、現実の行政に携わり、様々な情報に接している行政組織の頂点にあり、その情報を基に国政が必要とする政策を集約し得る立場にあります。この二点のゆえに現代政治は内閣を軸に展開をされております。
しかし、現実の内閣がこのような期待される本来の機能を果たし得ておらず、その原因が、国民の意思が民主的政治過程を通じて内閣に正しく反映をされていないという側面と、官僚主義の弊害の下、行政組織がうまく機能をしていないという側面、その両方に原因があることを私は重く見なければならないと思います。
九〇年代の行政改革論議に先立って、ある政治学、行政学の研究者は次のように指摘をいたしました。日本の首相の権限が弱いのは決して制度のせいではない、内閣や首相を取り巻く法制度は英国とそれほど変わりはない、首相の権限を弱くしているのは政治的な慣習である、年に一度は内閣改造があり、大臣に実力が付かないため、官僚の影響力が強くなり、行政の縦割りが内閣に持ち込まれる、首相の閣僚任免権が政治的慣習により限定をされているため、閣僚の首相に対する忠誠心が弱いと、この研究者は指摘をしています。正に、戦後自民党政治の派閥政治、政官業癒着政治という政治的慣習こそがこの弊害を生み出してきたとの端的な指摘ではないでしょうか。
ところが、この根本問題にメスを入れず、内閣機能の強化を中心とした九〇年代の括弧付き行政改革とその後の小泉政治は、この問題を解決するどころか、政官業癒着と縦割り行政の弊害に加えて、民主的政治過程における国民意思の反映という民主政治の根本的な要請を軽んじ、憲法との矛盾を更に拡大をするものになっています。
国会と国民の現実の暮らしや思いを軽んずる真のねらいがどこにあるか、これは首相のリーダーシップ強化の一環として設置をされた経済財政諮問会議を始めとする政府審議会の構成を見れば明らかであると思います。経済財政諮問会議のほか、企業活動の障害となる規制を取り払うことを提言をしてきた総合規制改革会議、リストラ支援の産業競争力会議など、金融、財政、産業、規制緩和、労働分野などの主要な審議会に日経連、経済同友会首脳を始めとした財界人が会長ほかの主要メンバーとして参加をし、網の目のように多数の審議会を兼任をして国家機構全体を財界、大企業自らの利益実現のために最大限利用してきたことを指摘をしなければなりません。審議会が答申を提出をすれば、これがまるで既に決定をされた政策であるかのように扱われ、国の政策立案がまるで財界によって決定されるような状況があります。
このようなトップダウンによって、国民生活や健全な経済発展と矛盾する膨大な悪法、あるいは我が国の平和主義を侵害する数々の悪法が国会に押し付けられ、国会の形骸化を作り出すやり方は、我が国憲法の議院内閣制が本来予定するところではないと考えます。
第二に指摘をすべきは、国会審議の形骸化の問題です。
憲法が定める議院内閣制の在り方の重要な柱の一つは、国会による内閣に対する民主的コントロールです。立法作用はもちろんのこと、今国会で当面の焦点となっている政治と金の問題をめぐる証人喚問の実現を始めとした国政調査権の行使、議員の質問と答弁を中心とした国会審議の活性化、そこでの野党少数会派の尊重こそ議会制民主主義と議院内閣制の本来の姿だと思います。
この点にかかわって、私は、審議を形骸化させている重要な一つの要因として、首相の国会への出席率の激減の事実を皆さんに御紹介をしたいと思います。
本院の予算委員会、委員部を通じて調査をいたしましたところ、参議院予算委員会の総括質疑は、一九九九年までは七日間行われていましたが、二〇〇〇年以来昨年までわずか二日間とされ、そして九九年までは五十時間前後だった首相の出席時間は、十四、五時間と三割を切って大幅に減少をしています。小泉政権の三年間を見ると、一般質疑への出席は全くなく、集中質疑が行われてもせいぜい一日か二日で首相の出席は十時間程度、締めくくり総括質疑にも三、四時間の出席にとどまっています。結局、本予算の審議について首相の出席は三年間の平均で二十七・三時間しかありません。九九年、平成十一年の七十九時間、これと比べるとわずか三分の一、九五年から九九年の五年間の平均六十五・二時間と比べても半分以下、四割に激減をしているのです。
これは、二〇〇〇年から本格実施をされた党首討論に関連をして首相の国会審議出席についての申合せが合意をされたためです。予算委員会の首相出席を各党一巡の基本的質疑に限り、予算委員会以外への出席は重要かつ広範な内容を有する議案、いわゆる重要広範議案に限るというもので、我が党は国会審議の形骸化になるとして厳しく反対をしましたが、その後の経過は我が党の指摘を現実化し、国会審議をゆがめていることを明らかにしているのではないでしょうか。
加えて、予算委員会の審議日程は、平成六年までの平均十七日間に比べ、この三年間は平均十三・一日に減らされてしまっています。これが国会審議の形骸化に拍車を掛けています。国会審議の活性化につながると鳴り物入りで始まった党首討論も満足に開かれていません。これも、その週の本会議や委員会に首相が出席したら党首討論は開かないという身勝手な申合せが口実にされています。
首相が国会に出席して答弁をするのは、議院内閣制のかなめと言ってよい憲法上の責務であると思います。まして、深刻な財政危機と不況打開、社会保障、相次ぐ自然災害への対策など、首相が国民に説明をすべき国政上の重要課題が山積をしています。にもかかわらず、このような国会論戦の形骸化が小泉政権下で常態化をしていることが国会の民主的統制を不十分なものとし、国民にとって政治不信に拍車を掛けているのではないでしょうか。
さらに、重大なのは、このように限られた国会への出席の中で、首相を始めとした閣僚の答弁が、それ自体、国会に対する連帯責任を誠意を持って尽くすべきという議院内閣制の憲法上の要請を踏みにじるものになっていることです。
二〇〇三年の通常国会を終えて、新聞各紙は小泉内閣の暴言をそろって厳しく指摘をいたしました。朝日新聞は、「荒れる「小泉語」「急所」突かれ、つい問題発言」との記事で、自民党幹部さえ昔なら審議が何日も止まったと漏らす問題発言、良く言えばアピール優先、悪くすると言いっ放しでいいという姿勢と指摘をし、毎日新聞は、「「明瞭」から「放言」「詭弁」にコイズミ語」と題して、小泉首相は今国会で度々説明不足や論理矛盾をさらけ出した、的を外した小泉語は閣僚や自民党幹部らの放言にも波及し、政治家の言語水準全体を押し下げている印象すらある、小泉政権発足後、政界の言語は深謀遠慮より短絡が好まれるようになったとして、そこに表れている慢心、開き直り、焦りを厳しく指摘をしています。この常態化が小泉内閣なかんずく首相の答弁の特徴であることは、今や公知の事実であると言っていいかと思います。
このような答弁態度は、国会と国民を軽んじる不誠実さにおいて厳しくただされなければなりませんが、さらに、国会における、すなわち主権者国民に対する説明責任を尽くさず、それによって内閣自ら行っている政治決断の真意、本質をごまかし、国会における政治的争点の鮮明化の機能、世論形成機能を失わせ、結局、国民的合意なしに国の基本的在り方にかかわる転換を強行する政治手法となっていることが憲法上の議院内閣制の在り方を大きくゆがめているのではないでしょうか。
例えば、イラクに派兵された自衛隊が殺される可能性はないとは言えない、戦って相手を殺す場合がないかといえばこれもないとは言えないと平然と言ってのける態度には、専守防衛の本来の建前を大きく踏み越え、世界の中の日米同盟路線の中で、我が国どころか安保条約の規定も超えて、遠く中東の地で自衛隊が殺し殺されるかもしれない事態を論理的な思考をあえて飛び越えて政治決断を行うという、民主主義にあってはならない態度が表れていると思います。
このような答弁は、議院内閣制の本来の在り方を踏みにじり、議会制民主主義を形骸化をさせ、首相が本来高度に負っている憲法擁護義務を否定するものであります。
第三の問題は、企業献金、団体献金による財界、団体による政治のコントロールの問題です。
繰り返される政治と金の問題は、財布を握った財界の政治コントロールが国民主権の否定にほかならないことを浮き彫りにしてまいりました。今国会での審議を見て泥仕合と評する向きがありますが、私は、決してそうではなく、企業・団体献金がどれほど政治をゆがめ、また政界に巣くっているかを浮き彫りにしたものと考えます。
以上に見るような内閣の権限強化や首相のリーダーシップ、国会の形骸化、これを国内外の情勢の変化に即応する迅速な政治的意思決定と論ずる向きがありますが、実は民主的政治過程の侵害にほかならないのではないでしょうか。
求められているのは、国会の審議の活性化による民主的統制の強化、政策決定過程からの情報公開と国民参加であり、企業・団体献金の禁止に踏み出すことにほかならないことを強く指摘をして、意見の陳述とさせていただきます。
ありがとうございました。